« 『鎖骨骨折、その後・・・。』(^^; (今現在) | トップページ | 『茶色い、やつ!』(>_<)! (小学校3年生 Ⅴ) »

2010年1月23日 (土)

『い・も・う・と!』 (小学校3年生 Ⅳ)

私には、二人の妹がいる。

それぞれ、2歳ずつ、離れている。

なので、私が小学校3年生の時には、下の妹が、小学校1年生で、次の妹が3歳であった。

父親と母親は、絶対に、目論んでいたに違いない!

と言うのも、私の誕生月が11月で、次の妹の誕生月も11月である。

そして、次の妹も・・・。

流石に、11月とはいかなかった。

6月である。

ただ、そこに、一つの、問題がある。

母親が、口癖の様に、言っていた言葉がある。

『お酒を呑んで、しては、駄目!』

『お父さんが、あの時・・・。』

やはり、誕生月を、揃えたかったらしい。

2番目の妹は、聾唖者である。

はっきり言って、全く何も、聞こえないらしい。

それに母親が気付いた時は、妹が、歩き始める頃であったろうか?

当初は、聴力が弱い、ぐらいにしか、思っていなかったそうである。

手を叩いてみたり、畳を叩いたりすると、反応をした。

だから、『難聴』だと、思っていたらしい。

だけれども、それは、とてつもない、間違いであった。

要は、『振動』によって、妹が、反応を示していただけであった。

風と言うか、空気の振動。

そして、畳を伝わって来る振動。

それらに対して、反応をしているだけであった。

母親は、野良仕事に追われた。

従って、下の妹の面倒は、殆ど、看る事はできなかった。

祖母任せであった。

祖母は、雑であった。

孫の面倒は、本当に、雑であった。

但し、外孫については、とてつもなく、可愛がった。

その矛盾は、何時まで経っても、許せるものではない!

下の妹は、とにかく、祖母に、ぞんざいに扱われた。

声が出ないと言う訳でもない。

但し、おかしな韻で、発音を繰り返す。

すると祖母は、

『この子は、頭が、駄目かもしれない。』

そう、言っていた。

所謂、知的障害者、だと、母親を、罵っていた。

母親は、とても苦しんだであろう。

妹が、2歳になろうとしていた頃であろうか?

母親は、妹を抱え、かなりの病院を巡ったようである。

国立東静病院から始まり、神奈川県の、湯河原の病院まで、幾つも幾つも、駆け回った様である。

祖母からは、

『こんな子を産んで・・・。』

と罵られ続け、

そして、父親からは、

『仕事にならねぇじゃねぇか! 早く、何とかしろ!』

とんでもない、親子である。

今考えると、確かに、生活が苦しくて、厳しかった。

だけれども、それは無いだろうと、思う。

でも、それが、貧農の、現実であった。

幸いな事に、妹は、知的障害者では無かった。

様々な、そして、とても多くの検査を受けての結果であった。

そして、聾唖者でも無かった。

単なる、『ろう』だと言う。

その辺りは、本当によく判らないのであるが、喋ろうと思えば、喋る事ができるそうなのである。

しかしながら、妹は、発音をする事が無かった。

なので、聾唖者と言う烙印を、押されてしまった。

母親は、毎日毎日、妹を、野良仕事に、連れて出て行った。

そうして、病院で教わってきた様に、50音の口の形を覚えさせ、同時に手のひらに、字を指で書いて行く。

何回も繰り返し、最後には、妹に、発音をさせようとする。

しかしながら、妹の、聴覚神経は、全く、機能をしていないと言う。

全てが、単なる振動として、全て同じ振動としてしか、それも頭蓋骨にしか、伝わらないと言う。

脳には、何も伝わらないらしい。

だから妹は、発音をしても、自分の頭蓋骨が振動をしているだけで、訳が判らなかったようである。

母親は、何としても、口の形を覚えさせ、要は、読唇術を、叩き込もうとしていた様である。

未だ、2歳である。

その様な訓練に、耐えられるものでは、到底、無かった。

私と、下の妹は、2番目の妹に、その様な事が起きているとは、全く、解らなかった。

ただ、幼いが為に、言葉を発する事ができないのであろう、位にしか、思っていなかった。

だけれども、『はしか』や、『阿多福風邪』などで、長期、学校を休んでいた時に、母親から告げられた。

『この子は、耳が聴こえない。』

私も、妹も、本当に、訳が解らなかった。

母親の言っている意味が、全く、理解できずにいた。

その上、いつも一緒に遊んでいる。

いつも一緒に、ご飯を食べている。

普通に、私達と同じ様に、暮らしているのである。

母親は、何を言っているのだろう?

と、不思議に思っていた。

だけれども妹には、その頃、既に、補聴器が付けられていた。

母親からは、

『これはとても大事な物だから、ちゃんと面倒を、看てあげてね。』

とは言われていた。

母親と、そして、父親が、交通事故で、寝込んでしまった時。

誰も、『ろう』の妹の面倒を、看る者が、居なくなってしまった!

私も、次の妹も、小学校に行く。

家では、祖母が、愚痴を溢しながら、動けない、両親の面倒を看ている。

そんな状況で、『ろう』の妹の面倒まで、看ていられるか、と言わんばかりに、妹は、ぞんざいに、扱われていた様であった。

そんな時、ある日、小学校に、遅刻して行っても、平気になっていた私が、小学校に行こうと思っていた時に、妹が、私の後を追って、玄関から出て来た。

その姿を見て、私は、愕然とした。

黄色い帽子を被り、ランドセルを背負って、手提げ袋を持ち、私の後に付いて来るのである。

帽子は、直ぐ下の妹の幼稚園時代の物であった。

ランドセルも、白い小さな、幼稚園の物であり、幼稚園のマークが入っている。

手提げ袋は、中には何も入っていなかった。

きっと、誰かの姿を、真似たものであろう。

妹は、気が付いていたのであろう。

私もそろそろ、学校に、行く時期なのだろうと。

兄と、姉の姿を観て、私も、幼稚園か、学校に行くんだと。

だけれども、妹は、普通の学校に、通う事はできなかった。

沼津の『聾学校』に、行かなければならない。

その上、幼稚園は無い。

小学校からしか、無いのである。

とてもとても、無邪気に笑っている妹には、そんな事は、理解ができなかったであろう。

私は、その、無邪気に笑っている、妹の手を曳いた。

川口先生に、怒られたって、どうでもいいや、と思って、妹を、小学校に連れて行った。

とにかく、連れて行ってしまった!

給食も、半分にすればいいや、とか、周りから、何を言われてもいいやと思い、そんな事を考えながら、学校へと向かった。

それに、あんな、お婆ちゃん(祖母)の下に置いておくよりは、よっぽど増しだと思っていた。

小学校では・・・。

とても、意外であった。

気が付いてみると、椅子がもう一つ、何時の間にか用意され、妹と二人で、一緒に並んで、座っていた。

給食は、給食室の、前の教室であったため、食器を余分に持って来て貰い、みんなが、妹の分を分け合って出してくれて、それでお膳が、成り立った。

何と言う事であろうか!

川口先生も、そして、クラスのみんなも、妹を、受け入れてくれたのである。

今考えても、本当に、不思議でならない!

今だったら、この現代であったら、その様な事は、可能であろうか?

多分、無理であろう。

随分と、大らかな時代であった。

と言うよりも、先生に、そしてクラスのみんなに、『感謝!』である。

かなり後になってから、川口先生に聞いてみた。

すると、先生は、しっかりと、その事を、覚えてくれていた。

先生は・・・。

昇降口の辺りで、妹と、ウロウロしている私を、授業中に見つけたそうである。

そうして、大体の事が、直ぐに呑み込めたそうである。

そして、クラスのみんなに話をし、交通事故の事や、妹の『ろう』について、理解を求めたそうである。

そして、クラスのみんなが、受け入れを、認めてくれたと言う事である。

また、小さな木の椅子を用意したのも、クラスの仲間が、自ら行なってくれたと言う事であった。

遅刻常習犯。

そして、虚弱な私。

それでもクラスのみんなは、私の事を、受け入れてくれたのであった。

だけれども、その事は、川口先生の、お陰だと思っている。

『川口 寿子』先生。

その方の、とてつもない温かい心と受容によって、私と妹は、救われたのであった。

妹との通学は、母親が、寝床を離れるまで、続いた。

そして私は・・・。

不思議な事に、その頃から、遅刻をしなくなった。

遅刻をする様な事が、無くなった。

そして、遅刻常習犯の汚名も、返上できたのである。

|

« 『鎖骨骨折、その後・・・。』(^^; (今現在) | トップページ | 『茶色い、やつ!』(>_<)! (小学校3年生 Ⅴ) »

コメント

私は3人の子供がいます。息子娘娘ですが…まさに真ん中の娘が聾です。ブログを見て涙がこぼれました。優しいお兄ちゃんがいて妹さんは本当に心強かったと思います。

投稿: 通りすがりです | 2010年1月25日 (月) 00時24分

コメントをありがとうございました、
妹はその後、筑波大学付属の学校に進学をし、大学まで、卒業をする事ができました。
しかしながら私は15歳で家を出、妹も寄宿舎で生活をし、家族は、バラバラの状態でした。
その点では、家族愛と言うものが薄れ、今は、仲が良いと言う程ではありません。
どうかご家族、仲良く、楽しく、日々過ごされる事を、お祈りしたいと存じます。

投稿: がいち | 2010年1月25日 (月) 13時12分

気になりまた来てしまいました。
付属に通われたのですね…娘も就学前には付属でお世話になりましたが今は別の聾学校に通学しています。
息子は妹(娘)が可愛くて仕方がない様子。喧嘩ばかりしていますがなんとかコミュニケーションをとっています…

大人になった兄妹がまた違った形で関われるように…

投稿: 通りすがりです | 2010年1月25日 (月) 16時05分

余計な話だとは思いますが、ご兄妹は、できるだけご一緒に、いらっしゃった方がよろしいかと思います。
私の所は、私が自衛官で家を出てしまい、『ろう』の妹が一人暮らし、そして、もう一人の妹が、家で一人寂しく暮らしました。
いくら経済的な理由からとは言え、家族がバラバラになってしまうのは、一番の理解者達を失うと共に、兄妹の人間関係も崩れて行ってしまいます。
非常に厄介な事ですが、兄妹の人間関係が、一旦崩れてしまいますと、まず修復はできません。
今、私達兄妹は、本当に、バラバラです。
仲良くも無く、口も利かない事が非常に多いです。
その原因と言うものは、10代の頃に、家族愛を失ってしまった事にあります。
ですので、今の状況を、何とか維持をされて、兄妹がバラバラにならぬ様に、そのまま、成長をされて行かれることを、お祈りしたいと存じます。


投稿: がいち | 2010年1月26日 (火) 08時26分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1273244/33092027

この記事へのトラックバック一覧です: 『い・も・う・と!』 (小学校3年生 Ⅳ):

« 『鎖骨骨折、その後・・・。』(^^; (今現在) | トップページ | 『茶色い、やつ!』(>_<)! (小学校3年生 Ⅴ) »