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2010年3月24日 (水)

『野球の審判!』(^-^)/ (今現在)

先週の、春の嵐が過ぎ去って、やっと晴れたと思ったら、またまた雨!

今年の天気は、一体全体、どうなっているのであろうか?

本当に、参ってしまう。

この天候不順は、身体障害者の私にとっては、本当に、辛いものである。

とにかく、気候の変化に体が付いて行かない!

どうにかならないものだろうか?

でもまぁ、この寒さで、スカウトハウスの桜も、足踏みをしていてくれれば、今週末には、桜を楽しめるのかも知れない。

そう言えば、昨日の、選抜高校野球の第三試合は、泥沼の様であった。

それでも試合は、続けられた。

全く、甲子園と言うものは、大したものである。

本当に、素晴らしい球場なのであろう。

本当に、甲子園で、一度で良いから、プレーをしてみたかった。

と言っても、審判としてである。

本当に、野球をやっていた者であれば、誰もが憧れを持つであろう甲子園。

そこでプレーができるなんて、本当に、夢の様な話である。

ところで、私が、野球の審判部に飛び込んだのは、何時の事であったろうか?

今考えても、ちょっと、思い出す事ができない。

少し、記憶を辿ってみたいと思う。

野球は、本家の人々が、殆ど全員、やっていた。

甲子園に出場したおじさんもいれば、慶應大学に進み、六大学で、活躍をしたおじさんもいた。

その影響で、父親の兄弟の四男の叔父が、高校野球も、社会人野球もやっていた。

その影響を受けたと言う訳ではないが、野球には、幼い頃から親しんではいたと思う。

その頃は、父親は、塾通いなどは、決してさせてくれなかった。

許してくれたものと言えば、ボーイスカウトと、野球だけであった。

本格的にやり始めたのは、小学校6年生の頃であったろうか?

清水小学校に、初めて、少年野球チームが組織され、そこで野球を始めた様に思った。

私は、体が小さかった為に、レギュラーになる事はできなかった。

第一、背番号は、背の高さの順番で配られたのである。

体の大きさで、レギュラーが決められてしまったのである。

試合に出た記憶さえ無い。

その後は、中学、少年工科学校と続けた。

少年工科学校では、神奈川県立湘南高校の通信制に入っていたため、もう一つの甲子園と言われた、通定制の大会、神宮球場を目指していた。

ここでもやはり、レギュラーになる事は叶わなかった。

第一、ろくに練習をしなかった。

仕方の無い事で、自業自得である。

その後、三等陸曹となり、部隊配置をされるが、その間も、野球は決して止める事は無かった。

25歳で自衛官を退官し、民間の会社に入った。

だけれどもその会社には、野球部と言うものが存在をしなかった。

それを調べないで、入社をしてしまった私も私であるが、それにしても野球部が無いとは、本当に驚きであった。

だけれども、中学以来の友人に、軟式ではあるけれども、クラブチームに誘ってもらった。

とにかく、野球は、続ける事ができたのである。

とまぁ、野球は、ずっとずっと、続けて来た訳である。

それで、何時、審判の道も、歩む事になったかである。

野球のクラブチームに誘ってくれたのは、中学からの親友であった。

またその彼が、チームを作り上げ、主将も務めていた。

実はその彼は、誠に残念ながら30代半ばで、私達に別れも告げずに、突然、旅立ってしまった。

ただその彼が、審判部を紹介してくれたのである。

要は、親友の生前に、審判部に入ったと言う事になる。

と言う事は、30代の前半であろうか?

いや、20代の後半かも知れない。

何れにしろ、30歳の前後である事は、間違いが無いであろう。

審判をやりたいと思った理由は、幾つかある。

私のポジションは、キャッチャーであるが、大会に出てみると、毎回、球審から、幾つかの指摘を受ける事があった。

私は、何年も何年も、野球をやって来た訳であるから、どうしてそんなに指摘を受けなければならないのか、不思議でならなかった。

しかしながらそれは、単に、自分の思い込みであり、ルールを知らずに、野球をやっていたと言う、何ともお粗末な顛末であった。

ルールを知りたい。

野球を、もっともっと深く知りたい。

そんな欲望があった。

それともう一つ。

ボーイスカウトで、地区コミッショナーへの、就任の話しが出て来てしまった。

地区コミッショナーと言うのは、ボーイスカウトの地区組織において、教育面を代表する者である。

それから、『地区の純正なる発展と、基準の維持』を行わなければならない。

そこで、非常に、悩んでしまったのであるが、『基準の維持』と言えば、『審判』であろうと、勝手に思い込んでしまった。

『審判』ならば、『基準の維持』に付いて、何か掴めるものや、ヒントになるものがあるのではないのかと思い、審判をやってみる事を、思い立ったのである。

それと、もう一つ。

私の悪い癖である。

同じ事をやっていると、飽きはしないのであるが、どうしても新しい事をしたくなってしまうのである。

何か新しいこと。

新しい世界に飛び込んでみたくなってしまうのである。

その結果、審判部に飛び込む事になってしまったのであった。

ただ、その審判部への加入の仕方が、何とも言えないものであった。

親友で、クラブチームのキャプテンである彼からは、

『審判部の部会があるから、それに顔を出して、話を聞いてくれ。』

との話しだけであった。

早速、言われた日時に、その会場に足を運んでみると、いきなり、審判部長から、

『今日から審判部に入ってくれる事になった。自己紹介をしてくれるかな?』

である。

何とも言えない状況であった。

とりあえずその日から、私の審判人生は始まってしまった。

いきなり、少年野球の公式戦の審判もやらされてしまった。

野球の審判は、やってみると、随分と面白いものであった。

あの、ジャッジを下すまでの、どぎつい緊張感。

しっかりとポーズを決めなければいけない、ゼスチャー。

そして、大きな発声。

審判服を綺麗に着こなす事。

などなど、よくよく考えてみたら、自衛官にも、ボーイスカウトの指導者にも、共通することばかりではないか!

なんて事はない。

結局、『基準の維持』は、何処かに、すっ飛んでしまった。

結局は、自分が、自分自身が、様々な手本を示して、地区の指導者達を引っ張って行く事。

それが、基準の維持であったのである。

『基準の維持』は、我に有り。

それが、私の答えであった。

しかしながら、審判は、やめる事は無かった。

審判には、『級』があるのであるが、『無級』でも、登録をすれば、審判は行える。

しかしながら、高校野球の審判を務めるのには、1級審判員にならなくてはならなかった。

試験は、1年に1回しか行われない。

私は4年を費やして、3級・2級・準1級・1級と、『級』を上げた。

と言うか、上げてしまった。

そのお陰で、高校野球の審判も行う様になった。

高校野球には、また、格別な想いがある。

それで、甲子園で、プレーができたらと、思う様になってしまったのである。

『ああ、甲子園』。

憧れになってしまったのであった。

だけれども、まず、年齢制限で引っ掛かってしまった。

それから、身体障害者にもなってしまった。

夢は、夢で終らせるな!

たった一回の、人生ではないか!

そうも言われるが、今は、甲子園で駆け回っている高校球児たちを観、そして、審判委員達を観、それでも、審判を長年やって来られたお陰で、ある程度の、満足は得られている。

明日こそ、甲子園は、再開して欲しいものである。

そして、暖かくも、なってもらいたいものである。

(つづく・・・。)

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