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2010年3月 8日 (月)

『スポーツ万能?』(^o^)/ (小学校3年生 ⅩⅩⅩⅥ)

旧家の庭の、西側に引っ越して来た、三女の叔母の旦那様は、結構な、『スポーツマン』であった様である。

野球は、本当に良く知っているし、野球以外でも、ゴルフなど、様々なスポーツを、堪能している様であった。

また、職場でも、自らが企画・計画をして、みんなを、引っ張って、連れて歩いていた様であった。

叔母は?

と言うと、何となくではあるが、運動と言うものには、縁が無かった様な、そんな気がした。

その叔父であるが、ウィンタースポーツもご他聞に洩れず、スキーやスケートを、軽く、こなしていた様であった。

考えてみたら、大体、私の父は、運動が、まるっきり、駄目である。

苦手、と言うか、その域ではない!

運動音痴、と言った方が、適切である。

かろうじて、『剣道』をやっていたと豪語していたが、持っていた木刀は、素振りの為ではなく、私達兄妹の、脅しに使っていたのであるから、全く、信用はできない!

次男坊は、ソフトボールとか言っていたけど、あの動きは、どうにも怪しい。

三男は、これまたソフトボールと言っていたが、こちらは、企業チームに入っていたので、まぁ、信用ができる。

四男は、野球。

一応、高校球児でもあったし、試合も観ているので、大丈夫である。

長女・次女・三女の、叔母達だよなぁ~。

こちらは、誰にも聞いてはいないし、看た事も無いし、どうにも信用ができないよなぁ。

母方の方は、と言っても、今回は、叔母の関係であるから、特には、関係が無いであろう。

それにしても、父方の方で、『スポーツマン』と言ったら、誰が、該当するであろうか?

家の中には、『運動をする』とか、『スポーツをする』と言った、そう言う風潮は、まるで無かった様に思った。

従って私も、『走る』事に関しては、そこそこであった様に思ったが、『体育』全般に関しては、全く、自信が無かった。

跳び箱とか、鉄棒とか、かろうじて、人並みにはできた様に思ったが、特にこれと言って、得意なものは、無かった様に思った。

『運動』ができる子は、とにかく、目立つ。

そして、人気者になる。

それは、私からしたら、とても羨ましい事だらけであった。

私は、休日になると、未だ子供が居なかった、叔母と叔父の所に、よく遊びに行く様になっていた。

その叔父は、遊び人、と言う訳では無かったが、とにかく、『遊ぶ事』は、とてもよく様々な事を、知っていた。

とにかく、何を聞いても、応えてくれたのである。

私にとっては、全てが新鮮であり、全てが、憧れ、であった。

『トランプ』から始まって、『花札』や、『将棋』。

メンコだって、ビー玉だって、付き合ってくれた。

それに、話が上手いし、その話が、とても面白かった。

『野球』は、NHKで、パ・リーグの試合をやっていても、それを、面白く、解説をしてくれた。

多分、オープン戦か、何かだと思った。

その頃の『野球』は、大体が、『巨人軍』主体で、まず、『巨人』以外は、テレビで観ることは無かった。

全てが、『ジャイアンツ』、いや、『王』・『長嶋』、中心で、回っていた様に思った。

第一、『巨人・大鵬・卵焼き』、と言う言葉さえ、生まれた位である。

『巨人』以外の球団を、知らなくたって、それが、当然であったと思う。

逆に、パ・リーグのチームを知っているなんて子供がいたならば、相当、マニアックだったと思う。

でもまぁ、大体が、父親などの、影響を受けていたとは思う。

その叔父は、知識も豊富であった。

『阪急の山田の投げ方は、アンダースローって、言うんだよ。』

とか、

『南海の野村は、苦労をして、三冠王を獲ったんだ。』

とか、その三冠王について、解り易く、説明もしてくれた。

この選手は、何処の出身だとか、何処の高校だとか、甲子園はとか、多少、私が、付いて行けない部分も多かったが、それでも、かなりの事を、教えてくれた。

家には居なかったタイプの、全く新しいタイプの人間である。

私は、結構、叔父に、のめり込んで行った様にも思った。

『野球』については、話が、途切れなかった。

話は、打撃法とか、特に、『王貞治』と『長嶋茂雄』の話は長くって、あれには、参った。

投球法は、『村山実』のザトペック投法とか、スタルヒンの話や、それも、終いには、訳が解らなくなって、少々、嫌気が差していた。

最後には、ルールの話であった。

結局、話し相手が居なかったのか、叔母と、遊びに行く事も無かったので、誰か相手をして欲しかったのか、それは判らないが、とにかく、延々と話が続いて、流石の私も、参ってしまった。

叔父の話が、段々とつまらなくなり、そこに通うのが、億劫に成り出した頃に、『スケート』の話が、いきなり、飛び込んで来た。

『すけーと?』。

その頃の私にとっては、ウィンタースポーツなどは、全くの、『無縁』であった。

第一、『スケート』自体を知らない。

ただこの頃、『冬のオリンピック』が開催をされ、多少は、盛り上がっていたらしい。

そこで、『スケート』は、一つのブームに、なっていたらしかった。

その当時は、今とは、気候が全く異なり、冬になると、とてつもなく、寒かった。

氷は、毎日の様に張り、霜柱は、かなり固い土でも、持ち上げた。

私達は、通学の時に、水溜りに張った氷を、こぞって足で踏み割り、霜柱を、踏み潰した。

それに、通学途中に、大きな工場の社宅があったが、そこの防火水槽に、氷が張る。

結構な、厚さであったと思った。

それをまた、割って歩いて行くのである。

それがまた、通学時の、楽しみでもあった。

柿田川からは、湯気が沸き立ち、その水温と気温との差を、その湯気の量で、私達に、知らせてもくれていた。

また、周辺の湖、と言っても、近くでは無いのであるが、箱根の芦ノ湖や、そして、富士五湖などには、氷が張った。

何cm、氷が張った。

スケートができる。

ワカサギ釣りができる。

などのニュースが、テレビからも流れていた。

今から、40年ぐらい、前の話である。

叔父は、

『山中湖に行こう!』

と、話を持ち掛けて来た。

(やまなかこ?)

私は、まだまだ、周辺の事が良く解っておらず、大体、富士山自体が、どの位の高さがあるのかさえ、知らずにいた。

その富士山の向うに、何があるのかさえ、知らずにいた。

その、富士山の、向こう側に、行こうと言うのである。

話は、母親の元に、届いた。

私は、ワクワクして、母親の、許可が下りるのを待っていた。

しかしながら、母親からは、許可が、下りる事は、無かった。

とにかく、『遠い』、と言うのである。

それに、母親が、付いて行ければ良いのであるが、そうもいかないと言う。

出掛ける時刻も早く、帰って来る時刻も遅い。

それに対応が、できないと言うのである。

そんな理由であったが、一番の心配は、『湖』、と言う事にあったらしい。

その当時の山中湖は、軽く、20cm以上は、結氷していたらしい。

それでも、氷の厚さ自体は、湖全体では、一様ではなく、厚さは、まちまちであったらしい。

母親は、『割れたら?』と言う事と、男児が、私一人だけである。

祖母から、何と言われるか?

どうやら、それが、一番の、嫌がる理由であった様である。

私が、諦めかけていた時であったが、叔父が、今度は、別のカードを抜いて来た。

今度は、『強羅』だと言う。

(ごおら?)

私は、その場所も、全く知らなかった。

『箱根の、強羅だよ。』

と、叔父は、言っていた。

私は、またまた、ちんぷんかんぷんであった。

まぁ、良いや、と思って、地図を見る気にもならずにいた。

どうせ、母親は、許してはくれないであろう。

そう、思っていたからである。

しかしながら意外なことに、今度は、母親の許可が下りた。

どうやらやっぱり、地上の上であれば、良かったのであろう。

私は、喜んで、叔父に、連れて行って貰った。

しかしながら、行きのバスも、帰りのバスも、眠りこけていて、何処をどの様に行って来たのかは、全く覚えてはいない。

かなり、楽しみにしていたのである。

車窓から、景色が、どんどんと変わって行くのが、本当に、一つの楽しみであったのである。

だけれども、残念な事に、眠りこけてしまった。

何も、覚えてはいない。

富士山の横を通って、富士山が、とても綺麗に見えると聞いていたのに。

実際のスケートは、と言うと、叔父は何と!

マイ、スケート靴を持っていた。

それで、腰を屈めて、優雅に滑って行くのである。

その上、私を肩車して、それでも、滑る事ができたのであった。

私は、初めての体験に、ただただ、驚くばかりであった。

氷の上を滑る。

自由にならない体を、何とか、維持をしようと思ってみたが、どうにもならないでいた。

その内に、体中、びしょびしょに、なってしまった。

叔父は、私の着替えを、持って来てくれていた。

それで私を着替えさせ、休ませてくれた。

結局、私の、初めての『すけーと』は、それで、終ってしまった。

借りたスケート靴が、びしょびしょになり、とても履ける状態では無かったのである。

靴紐も緩まず、そのせいで、足が入らない。

私は、再び濡れるのが嫌だったので、いとも簡単に、諦めてしまった。

その後の私は、スケートは好まなかった。

足は痛くなるし、顔面から氷面に、突っ込んだ事もある。

スケートは、やらなくなってしまった。

その分、スキーに、夢中になってしまった。

その後の叔父であるが、その当時、導入をされたばかりの、コンピュータ関係の業務を、行っていた様であった。

仕事の帰りも遅く、私へのお誘いも、段々と、少なくなってしまった。

その結果、胃潰瘍を患ってしまった。

無理をして、仕事を続けていたせいであろう。

最後には、入院。

そして、手術となってしまった。

叔父が退院をしてきた時、別人、かと思ってしまった。

頬はこけ、あんなに、筋骨隆々だった叔父が、別人の様になってしまった。

体が衰えると、気力も、衰えるのであろうか?

その後の叔父は、遊びに出かける事は、少なくなってしまった。

私は、まだまだ、色々な事を、教えて欲しかった。

様々な体験を、してみたかった。

だけれどもその願いは、叶う事は無かった。

ただ、世の中には、本当に、様々な物や事があると言う事は、その叔父によって、知らされたのかも知れない。

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