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2010年3月 3日 (水)

『どうぶつ、たち。』 (小学校3年生 ⅩⅩⅩⅠ)

新しい家の、大騒ぎの建て前が終ってから、古い家の方では、ボチボチと、変化が出始めていた。

まずは、庭の東側にあった、牛小屋を改良して使っていた、納屋が、壊されてしまった。

と、同時に、その中で飼っていた、山羊が、居なくなってしまった。

山羊は、虚弱の私のために、母親が、農家仲間から、譲り受けてきたものであったが、その姿が無くなってしまった。

小学校から、戻って来た時であった。

流石に、餌を与えたり、面倒を、多少は看ていたのであるから、それは寂しいものであった。

母親に聞くと、山羊は、新しい家には、連れて行けないと言う。

仕方の無い事であった。

ただそこで、驚いてしまったのが、その納屋の建てられていた場所であった。

無くなってしまった建物の跡を見てみると、そこは、崖、ギリギリに、建てられていた。

崖に近付いてみてみると、軽く、5m以上はあったであろうか?

そんな場所に、どうやって建物を建てたのであろうか?

いくら高い所が好きだからといても、その時は、本当に、恐ろしく思えた。

西側の納屋は、未だ残ってはいたが、そこも様子が、変わっていた。

納屋の前には、様々な動物を入れてあった籠が置かれていたが、その数も、減っていた。

うさぎやアヒル。

ガチョウもいたであろうか?

それに数々の鳥達。

叔父や叔母が、面倒を看ていた動物達である。

まずは、鳥達が、姿を消して行った。

行き先は、解らなかった。

そして最後に残ったうさぎ達。

それも何処かに、消えてしまった。

不思議なものである。

実は私は、その動物達には、あまり愛着は無かった。

とにかく、面倒を看るのが、本当に、面倒臭かったのである。

それに、イタチやテン。

ハクビシンもいたであろうか?

それらに襲われてしまう事もあったし、それを守るために、一々、板で覆ったり、納屋の中にしまったり、とても面倒であったのである。

それに、籠の掃除もしなければならなかったし、一時期は、

(こんなもの。みんな死んでしまえばいいんだ!)

ぐらいに、思っていた時もあった。

それが、いざいなくなってみると、とても物悲しいのである。

本当に、不思議であった。

十姉妹とか、インコもいたであろうか?

とても煩かった。

だけれども、いなくなってしまうと、淋しいと思ってしまうのは、どうしてなのだろうか?

ただ、流石に、鶏だけは、そのまま、残されていた。

それらの小動物がいなくなった後、西側の納屋も、取り壊された。

すると今度は、大きな壁が、現れた。

それも5mぐらいの高さがあったであろうか?

その壁には、やたらと、筋が入っていた。

その旧家を、その家を建てる時に、どの位の労力を要したのであろうか?

要は、斜面になっている部分を、ひたすら削って平らにし、そこに家を建てたと言う事である。

そこまでして、家を建てなければならなかったと言うのは、少しでも、耕地面積を増やす為に、平らな所には、一切、家を建てなかった、と言う事であろう。

それにしても庭は、とてつもなく、広く、なってしまった。

バレーボールのコートが一面、入る位の広さが、出来上がってしまった。

それから暫くして、今度は、大きなトラックが、家の中に、入って来る様になった。

一体全体、何をするのかと思っていたら、庭の西側に、植えてあった木々を、移し変える、作業であった。

家の西側には、大きな木が、多くあった。

その木々が、強烈な、季節風の西風を、防いでいてくれた。

その木々を、新しい家の方に、移し変えると言う事であった。

それで、その為に、広い場所が必要だったのと、納屋が、邪魔であったのだった。

それに、その納屋にいた、動物達も、同時に邪魔に、なってしまったのである。

ただ、あの動物達。

どう考えても、新しい家の方には、居場所は無かった様に思った。

だけれども、何処に連れられていかれたのであろうか?

一番、可愛がっていたのは、父親であった。

父親は、私達には、とてつもなく、厳しく当たったが、動物達には、本当に優しかった。

動物に対する笑顔は、満面の笑みであったが、その様な笑みは、私達には、見せた事が無かったのである。

全く、理不尽なものであった。

庭の木は、次々と、移し変えられていった。

まずは、一番高かった、槙の木から、運ばれて行った。

ただ、相当、根が張っていたようで、とても大変な作業であった様である。

次に、ヒバ。

それから、松。

段々と、座敷の南側が、明るくなっていってしまった。

こんなにも、明るかったのかと想うほどに、太陽の日差しが、厳しかった。

考えてみれば、座敷の南側は、ジャングルに近かった。

そこが、納屋が壊され、高木が無くなって行けば、当然、光はどんどんと、差し込んで来る。

当然の、結果である。

でもそうなると、不思議なもので、その庭にも、座敷にも、愛着が湧いて来るのである。

ここを、この家を離れるのかと思うと、何となく、物悲しくなったものである。

それはそうと、あとは、梅の木。

それから、南天や、つつじ。

百日紅も、あっただろうか?

とにかく、家の南側の木は、ことごとく、運ばれて行った。

但し、杉と、檜は、残されてしまった。

その他にも、一旦は、移植の準備はされたが、そぐわないと言う事で、処分をされてしまった物も、あった様であった。

ただ、私が、とっても気になっていたのは、家の南側の木ではなくて、北側の、家の裏の、木達であった。

ニッキもあったし、枇杷もあった。

桃だって、夏みかんだって、柿だってあった。

ところが、それらには、一切、手出しがされなかった。

とにかく、何もされないでいた。

私は、本当に不思議になって、祖父に聞いてみた。

『出せないんだよ。裏から木は、出す事ができないんだよ。持って行けない。』

そうなのであった。

木々が、あまりにも大きくなり過ぎて、運び出せないのである。

それに、作業をするのにも、あまりにも狭過ぎた。

人が、3人も入れば、一杯になってしまう。

とにかく、裏の木は、諦めざるを得なかった。

祖父は言っていた。

『接ぎ木か何かを、試してみるから。』

しかしながらそれは、叶わなかった。

旧家の庭が、すっかり綺麗になった所で、庭にあった、『池』の全容が、顕わになった。

こんなにも大きな池だったのか!

それが、まず、最初に思った事であった。

池は、東西に、二つに分かれていた。

池の中央には、人も渡れる、石橋まで付いていた。

それまでは、東側と言うか、半分と言うのか、池のその片割れしか、確認をしていなかったのである。

何と言う事であろうか。

随分と、皮肉なものである。

この家を去ろうとした時に、その真相が、見えて来るとは。

本当に、何とも言えない、郷愁感にも包まれてしまった。

その『池』であるが、新しい家には、『池』は、作らないと言う。

と言うか、新築をする場合には、『池』は、作らないのだそうである。

その理由は、定かではないが、祖父も父親も、口を揃えて、言っていた。

旧家の『池』には、鯉や鮒などなど、かなりの魚が棲息をしていた。

それをどうするのかと思っていたら、四男の叔父が、

『明日、池ざらいをするぞ。』

と、言って来た。

池ざらい?

何だろうと思っていたが、池を、空っぽにすると言う。

とにかく、池の水を、全部、さらってしまうとの事であった。

池ざらいには、私達兄妹が、狩り出された。

家にありったけの、たらいや、バケツ。

柄杓に、空き缶。

などなどを持って来て、池ざらいは、始まった。

叔父の話によれば、

『水をかい出せば、後は、魚は、手掴みで取れる。』

との事であったが、とんでもない話であった。

手掴みなんかで、捕獲できる代物では無かった!

鯉の大きい奴なんて、50cm位もあり、とてもではないが、子供の手に、負えるものでは無かった。

それに鮒だって、ゆうに20cmぐらいはあった。

『何だぁ、こいつら。何時の間にか、こんなにでかくなりやがってよ!』

叔父はそう言っていたが、とにかく、手掴みは、到底、無理であった。

その為、たもを持って来て、それで何とか、たらいに移す事ができた。

本当に、悪戦苦闘の連続であった。

作業をしている途中で、突然、叔父の手が止まった。

何をしているのかと、その視線の方向を観てみたら、何と!『亀』、である。

『かめ』が二匹、体を寄せ合う様にして、じっとして板のであった。

叔父は、亀を見つめながら、

『ひょっとしてこれは、おらが、買ってきた奴か?』

『大社のお祭りで、買って来た、あの、亀か?』

そう、呟き続けていた。

叔父は、

『亀はちょっと、そのままにしておこう。』

と、言っていた。

私達は、リヤカーを持って来た。

それに、魚達が入っている、たらいや、バケツを積み込み、川端へと、向かった。

そこで叔父が、魚達を、柿田川の支流に、離していった。

私は、柿田川の水温は低いし、本当に、大丈夫なのかと、怪訝に思っていたが、叔父は、

『大丈夫さ。ちゃんと、生きて行くさ。あのまま、池の中にいたって、死んじゃうだけだから、この方が、良いのさ。』

と、言っていた。

家に戻ってきて、バケツやたらいを、片付けていた。

でも、今度は、どうしても『亀』が、気になって仕方が無かった。

そこで『池』に行ってみると、そこにはもう、『亀』の姿は無かった。

叔父に聞いてみると、

『あいつらは、自分で生きて行くさ。自分で、生きる場所を、探せるさ。』

と言っていた。

本当に、大丈夫なのであろうか?

叔父は、そんな風に、簡単に言い切っていたが、本当に『亀』達は、大丈夫だったのであろうか?

私は、未だ持って、『亀』達がどうなったのか、気になって、仕方が無い。

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