カテゴリー「映画・テレビ」の6件の記事

2010年8月21日 (土)

『名解説者!』(^o^)/ (今現在)

『きゃさりん副長。』の隊集会の報告を、一時中断しまして、どうしても、書き残しておきたい事があります。

それは、高校野球のことであります!(^o^)/

この日、高校球児達の、今年の『夏』が、終ってしまいました。(^^;

沖縄の興南高校は、本当に、見事な試合運びでした。

チーム一丸と申しましょうか、あんなにまとまったチームを観たのは、本当に、久し振りだと思いました。

沖縄は、基地問題などで、不穏な空気が漂っていますが、暫くは、この優勝で、心を和らげて頂けたら、本当に、嬉しいと思いました。

準優勝の、東海大相模高校ですが、これは、私の勝手な想像ですが、多分、真正面からぶつかって、『力』と『力』の試合に、持ち込みたかったのでしょうね。

しかしながら、試合を巧みに操られてしまった。

そして、何が何だか判らない内に、点を重ねられてしまった、と言うところの様に感じます。

ですが、流石に決勝戦!

点差は、かなり離れてしまったとは言え、とても見応えのある試合だったと思いました。

汗まみれ、泥まみれになって、甲子園球場を駆け巡った選手達に、今は感謝の言葉を贈りたいと思います。

本当に、元気をありがとう!(^o^)/

最後に、選手達が、球場内を行進するのですが、私は、その姿を観ていますと、様々な想いが込み上げて来てしまいまして、思わず感傷的になってしまい、目頭が熱くなってしまいます。

そして、夏も、もう終わりかぁ、とも思ってしまいます。

ですが、まだまだ、猛暑が続きそうですが・・・。(^^;

それから、NHKの高校野球の名解説者で、私も大好きな『鍛冶舎巧(かじしゃ たくみ)』さん(http://www.amy.hi-ho.ne.jp/makj/sub2_22.htm)と言う方がいらっしゃいますが、その方が決勝戦の解説をされていたのですが、最後に、

『本日を持って、解説者を引退させて頂きます。』

と、お話しになりました。

私は、驚いてしまい、愕然としてしまいました。

優しい語り口で、選手の気持ちになって解説をする事ができる、本当に、数少ない人物だと思っていたのです。

私は、高校野球を愛し続けました、『阿久悠』氏が、お亡くなりになった時と、同じ位のショックを受けてしまいました。

本当に、残念ではありますが、仕方の無い事だと思います。

いまはただ、

『長い間、誠にお疲れ様でした。』

『名解説を、誠にありがとうございました!』

と、感謝をするのみであります。

今年もまた、一つの『夏』が、終ってしまいました。

そしてまた、高校野球の、解説者と言う脇役ではありますが、大事な大事な『宝物』が、姿を消してしまう事になってしまいました。

      『栄冠は君に輝く』

               作詞:加賀大介

               作曲:古関裕而

   雲は湧き 光あふれて

   天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ

   若人よ いざ

   まなじりは 歓呼に答え

   いさぎよし 微笑(ほほえ)む希望

   ああ 栄冠は 君に輝く

   風を打ち 大地を蹴(け)りて

   悔ゆるなき 白熱の力ぞ技ぞ

   若人よ いざ

   一球に 一打に 賭(か)けて

   青春の 讃歌を綴(つづ)れ

   ああ 栄冠は 君に輝く

   空を切る 球の命に

   通うもの 美しく匂える健康

   若人よ いざ

   緑濃き 棕櫚(しゅろ)の葉かざす

   感激を 目蓋(まぶた)に描け

   ああ 栄冠は 君に輝く

最後に、大会の司会進行などが、高校生達の手に委ねられています。

猛暑の中を頑張った、裏方の、高校生達にも、拍手を贈りたいと思います。

そして、多くの審判委員の仲間の皆さんにも、労いの言葉を贈りたいと思います。

本当に、お疲れ様でした!

(注:高校野球では、審判員を、審判委員と呼びます。)

(おしまい!)

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2010年7月10日 (土)

(きゃ#35) 『友情? 国際愛?』(^o^)/ (今現在)

さて、『きゃさりん副長。』が、またまた、座ったまま司会進行をしようとしました、隊集会の開会式。

そして、歌詞の意味が解らず、『歌』にならなかった、『手旗信号』の歌を唸っていた、隊集会の開会式が終りました。(^^;

この日も、生憎の『雨』でありまして、屋外に出ることができませんでした。

『きゃさりん副長。』ですが、どうやら、『雨女?』の様相が出て参りました。(^^;

そんな事は、今までは、全く何の気配も無かったのですが、やっぱり、普段行わない様な、しっかりとした『奉仕実績訓練』を行っていますと、『天の神様』も感動をしまして、思わず、『涙』を流してしまうのでしょうか。(^^;

と言う事で、開会式に引き続きまして、『スカウツオウン』は、スカウトハウス内で行なう事となりました。

Img_0642_2

そこで『きゃさりん副長。』なのですが、やや、興奮気味に、話をし始めました。

心なしか、頬も紅潮して、かなり熱く、語り始めてしまいました。

確かに、いつもとは、全く、調子が違ったのです!

感情移入が激しいと言いましょうか、これは何かあったなと、そう感じさせるものが、直ぐに伝わって来ました。

おまけに、ジェスチャーまで入っていたのです!(^o^)/

この時期は、南アフリカで、丁度、サッカーのワールドカップが開催されていました。

そこで、この日の前日の夜に、『日本対オランダ』の試合を、たまたま、テレビで観たと言うのです。

それで、彼女は、

『私は、発見した!』

と、言うのです!(^-^)/

Img_0643

それで、一体全体、何を発見したかと言いますと、

『胸の国旗を、発見した!』

そうなのであります。

そこで、よおく、『きゃさりん副長。』の話を聞いてみますと、

『日本の選手の胸には、日本の国旗しか付いていなかった。』

『だけれども、オランダの選手の胸には、オランダと、日本の国旗が、並べられて付いていた!』

と、言うのです。

『きゃさりん副長。』が、『スカウツオウン』を行っている時には、上の画像はありませんでした。

ですが、よくよく調べて、画像を見つけてみますと、確かに、『日の丸』も、胸に付けられているではないですか!

何と言うことでしょうか!(^o^)/

これには流石に、私も、驚きを隠せませんでした。(^^;

いやぁ、オランダって、随分と、味な事をやるなぁと、本当に、感心をしてしまいました。

確かに今までは、自国の国旗が、胸に付いていて当り前で、相手国の事など、眼中にはありませんでした!

ところが、全く、違うのですね。

ワールドカップを楽しむかの様な、そして、相手国との対戦を楽しむかの様な感じで、この事には、本当に、恐れ入りました!(^o^)/

ボーイスカウトでも、海外派遣をされる場合には、胸に、『日の丸』を着用します。

その事は、確かに誇らしい事であります。

ですが、本当に、相手国の事までは、考えたこともありませんでした。(^^;

Img_0644

『きゃさりん副長。』は、その事実を述べた後に、

『私は、テレビで、そのユニフォームを観た瞬間に、日本は、オランダに負けると思った!』

と、言い切りました。

確かに、日本は、0対1で負けてしまいました。

『きゃさりん副長。』は、

『だって、そんなに心が広い国に、自国の事しか考えていない島国の日本が、勝てる訳無いもの!』

とまで、言っちゃいました。(^^;

そこで、『きゃさりん副長。』は、『スカウツオウン』の内容を、急遽、変えたそうでありました。

口述書も、手書きで、とにかくこの事をみんなに伝えたかった。

そして、考えて欲しかった。

『友情とは? 国際愛とは?』

『きゃさりん副長。』は、本当に、興奮状態にありましたが、それも致し方ないと感じました。

まさかその様な感じで、胸の、『仲良く並んだ国旗』を見つけるとは、夢にも思わなかったでしょう。

それも、一生懸命に、『スカウツオウン』の事を考え、『題材』を探し、そして、『奉仕実績訓練』に、真剣に取り組んでいたお陰だったのではないのでしょうか!

本当に、よくぞ見つけた!

お見事!だったと、思いました。(^^;

Img_0645

『2.スカウトは友情に厚い

   スカウトは、きょうだいとして仲よく助け合います。

   すべての人を友とし、相手の立場や、考え方を尊重し、思いやりのある人になります。』

ベンチャー君も一緒になって、『おきて』の唱和を致しました。(^o^)/

Img_0646 

ベンチャー君は、部活で、ハンドボールをしているのですが、心なしか、感動をしている様でもありました。

私も、実に、好い話であったと思いました。

ですが・・・。(^^;

ちょっと、残念だったのは、『きゃさりん副長。』の、『スカウトサイン』でありました。

どうにも、緊張の糸が緩んでしまったのでしょうね。(^^;

『スカウトサイン』は、右手を、『3つのちかい』を表す、『三指』とし、それを、『直角』に維持しなければなりません。

ですが、残念ながら、後方に、そっくり返ってしまっていました。(^^;

ここで、『スカウトサイン』が、決まっていれば!(^o^)/

ですがそこが、『きゃさりん副長。』の、特色であり、スカウト達に、とても親しまれる、好いところなのでしょうね。(^-^)/

次は、頑張って、格好良い『スカウトサイン』をしようね!

『きゃさりん副長。』!(^o^)/

(つづく・・・。)

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2010年3月25日 (木)

『審判委員!』(^o^)/ (今現在)

今年は、本当に、雨が多い。

こんなに、雨が続くのも、珍しい様な気がする。

今日も雨だし、お陰で甲子園は、またまた試合が、順延の様である。

一体全体、菜種梅雨は、何時まで続くのであろうか?

本当に、憂鬱になってしまう。

さてさて、ところで私は、テレビで甲子園の高校野球を観ていると、思わず、『審判』の方を先に見てしまう。

それで、その審判達の『動き』を、じっと観察してしまう癖がある。

例えば、この審判は、

服装は大丈夫だとか、

ゼスチャーは決まっているかとか、

声が出ているかとか、

ベテランだとか、経験が浅いだとか、

上手いとか、下手糞だとか、

勝手に評価をしてしまうのである。

それに加えて、審判は一人では決して行うことができない。

公式戦では、必ず、4人のチームで行う事になっている。

大体の人間が間違って呼ぶが、ホームプレートの所にいる審判は、『球審』であって、『主審』では、無い。

『主審』と呼ばれる人間は、『責任審判員』の事であって、どの審判員が『主審』なのかは、通常は判らないが、大体は、2塁か、本塁の審判が務める事が多い。

それと、もう一つ。

よく、『線審』と呼ばれることがあるが、バレーボールやテニスではあるまいし、勘違いも甚だしいのである。

あれは、外野の審判なので、本当は、『外審』と呼ばれるのである。

テレビ中継のアナウンサー達も、よく間違ってくれて、しっかりと『線審』とのたまわってくれるが、あれは、大間違いなのである。

とにかく、何とかして欲しいものである。

と、その様な話しはともかくとして、その審判のチームであるが、どの様になっているのか?

チームとして、成り立っているのか?

そのメカニクス(国際的な動きであり、クロックワイズと呼ばれる)は、できているのか?

審判同士のカバーリングはできているか?

チームワークは取れているか?

アイコンタクトができているか?

思わず、そんな所まで、ついつい、観てしまうのである。

これはもう、完全に、審判病である。

普通は、ゲームを優先して観るはずである。

ところが、おっとどっこい。

審判経験者は、ついつい、違う所を観てしまうのである。

これは本当に、悲しい性である。

何とも悲しい、性分だと思ってしまう。

私は、かなり長いこと、高野連の審判をやってきた。

だけれども、高校野球では、『審判』は、『審判員』とは呼ばないのである。

『審判委員』と呼ぶのである。

それは、『財団法人 日本高等学校野球連盟』発行の、『高校野球審判の手引き』の中に、しっかりと書かれている。

『高校野球は教育の一環であり、野球を通じて将来日本の社会に役立つ立派な人間を育て上げることを大きな目的としています。』

そのため、

『高校野球では指導者の一員という立場を加えて「審判委員」としています。』

と記されている。

私が、高校野球の審判にデビューをしたのは、何時の事であったろうか?

試合ははっきりと覚えている。

何せ、延長17回まで行ったのであるから、そんな事、誰だって忘れはしないであろう。

練習試合は、本当に、数多く行わせて頂いた。

だけれども、公式戦は、なかなか行わせては貰えなかった。

本当に、狭き門であった。

初めての公式戦。

愛鷹球場。

沼津東高校 対 伊豆中央高校。

審判のデビューは、大体、3塁塁審からと決まっている。

その試合前、思わぬ事が起きていた。

通常、野球を観戦するならば、バックネット裏の中央が、良い席に決まっている。

ところが、3塁塁審の私から見て、3塁線の延長線上、ホームプレートの先のネット裏に、一塊の集団がいた。

何と、審判部の皆さんが、私の様子を観に来ていたのであった。

3塁塁審を観るならば、当然、3塁側のスタンドが良いに決まっているが、そこは、応援の観客で埋まってしまっている。

従って、一番観易い? 3塁線の延長線上に、陣取った訳である。

流石に、これには参った!

審判が、試合を観に来ないで、審判を観に来ているのである。

本当に、不思議な光景であった。

試合は、11:30に始まった。

その当時は、延長18回まで行う事になっていた。

現在の様に、延長15回で終了では無いのである。

試合中、5回毎に、グラウンド整備が行われる。

その際に、審判はネット裏に下がり、給水をし、簡単な評価・反省を行い、打合せを行う。

15回が終了した時に、

『泣いても笑っても、あと3回だ! 頑張って行こう!』

と、球場責任審判委員の、審判技術指導委員に言われた事を、今でも覚えている。

延長17回。

試合は、サヨナラゲームで、幕を閉じた。

試合終了は、16:30。

何とも、5時間もの、洗礼を受けてしまった。

しかしながら、私を観に来ていた審判部の皆さんは、用事がある人を除いて、殆どの方が残っていた。

『ご苦労さん!』

『お疲れ様!』

『延長17回も、良く頑張った!』

本当に、温かい言葉を掛けてはくれたが、その続きでは、かなりの過酷な評価をされた。

本当に、私の動きを、しっかりと観ていたのである。

ほろ苦い、公式戦のデビューであったが、審判部の皆さんの熱意には、本当に驚かされた。

そして、後輩を思う気持ちの篤さと、野球に対する情熱と、審判に対する真摯な態度。

それらを、痛感させられる思いであった。

高校野球の審判をやっていた時に、色々と思わされた事が多くあった。

また、画面を通して高校野球を観ていても、同じ様な気持ちになる事が多くある。

高校球児とは言え、彼等もまた、18歳以下の、単なる、普通の高校生なのだと思うのである。

野球に関する技術・技能はあったとしても、ボーイスカウトに照らし合わせてみたとしても、彼等もまた、私が担当をしているベンチャースカウトと、何ら、変わりが無いのだと、いつも思っていた。

ドラフトに掛かる様な選手でも、素顔は、普通の高校生であって、実際には、精神的には、まだまだ未熟であって、仲間と一緒に居れば、無邪気で、一生懸命で、溌溂として、純真で、明るくて、結構、正直な所もあるし、意外と根性もあって、面白おかしい、少年達なのだと感じていた。

それに、甲子園を夢見る、マネージャーの少女達もいて、本当に、青春、真っ只中と言う気がいつもしていた。

大会になれば、多くの応援の生徒が出て来て、その上、吹奏楽部も出て来る。

そうなると、とてつもない大音量に、ダイヤモンドは覆われ、応援合戦にも、より一層の熱が入る。

その大音量と熱気が、肌に伝わると言うよりは、肌に響くと言った感じになる。

みんな、若さを爆発させて、思い切り叫び、喚き、試合に集中し、誰も彼もが、一生懸命になる。

そんな姿や場面を観ていれば、自然と、気も引き締まるものである。

いくら練習試合と言えども、決して、ミスジャッジなどはできない。

いい加減な服装態度などはできない。

選手達を見下した様な言動は、以っての外。

彼等に信頼され、期待に応える。

とにかく、ルールを身に付け、審判技術を磨き、審判委員としてのしっかりとした心構えを持つ。

要は、ボーイスカウトの指導者の要素の、『知識』・『技能』・『心構え』と、殆ど同じなのである。

ただ、ボーイスカウトの指導者と、大きく異なってしまうのは、審判は、年に最低1回は、講習を受けなければならない事である。

これには、例外が無く、どんなにベテランでも、また、審判部長であろうとも、支部長、地区長であろうとも、全員が受講しなければならないか、または、指導者側に回って、指導を行わなければならない。

それは、審判技術の向上に努める共に、新しい技術や知識を身に付けなければならないからである。

また、審判は、4人で『チーム』を組まなければならないし、派遣審判員として、他地区に行った場合に、誰と組んでも、どんな人間と組んでも、審判を行えなければいけないからである。

それに、審判は、ゲームの進行役であり、主役は選手達であり、審判の失敗で、ゲームを台無しにすることがあってはならないからである。

そうやって考えて行くと、何となくではあるが、審判は、ボーイスカウトの指導者に、相通じる所がある様に思えてならないのである。

審判をやっていて、具体的に思ったり感じたりした事は、

選手達を見守るだけであって、決して、ゲームの邪魔にはなってはならない。

判定は下すが、それ以上のことは、何も言わない。

服装や態度、言動においては、選手達からみて、尊敬される様に心掛けなければならない。

常に厳正であって、公平でなければならない。

同様に、健康を維持し、体力の向上・維持を目指す。

野球規則に精通し、審判技術の向上に努める。

チームワークを重んじ、チーム員を信頼する。

情報収集を怠らない。

謙虚であって、フェアプレイの精神を忘れず、決して報いを求めない。

そして何よりも、日頃から、信頼される社会人になることを心掛ける。

そんな事を考えていたら、結局根底は、審判委員も、ボーイスカウトのし指導者も何も変わりが無いのであると思った。

ところで、高野連の審判委員には定年がある。

それは、55歳である。

またそれはどうしてかと言うと、球審を行うと、一試合で、大体、300球以上のボールの判定を行わなければならない。

そうすると、300回以上のスクワットをしている事と同じ事になってしまう。

それに、ボールを追いかけ、選手を追いかけ、走り回らなくてはならない。

とても体力を必要とする。

灼熱の球場で、選手達の様に交代もできず、3時間近くもグラウンドに立つ事になる。

そんな事が、果たして何歳まで、続けて行う事ができるのであろうか?

当然、年齢は限られて来る筈である。

下手をすれば、命さえ落としかねない。

しかしながら、ボーイスカウトの指導者には、定年は無い。

ただ、定年がある役務が一つだけあるが、それは、指導者を指導する、『リーダートレーナー』である。

対象者は、極々、限られた一部の人間だけである。

一応私も、その対象者にはなっている。

65歳で、定年である。

ボーイスカウトの指導者は、審判の様には、体力は必要とはしない。

だけれども、元々が、野外活動が主体である。

その事を考えると、やはり船体的にも、定年は必要なのかも知れない。

高野連の『審判委員』と、ボーイスカウトの指導者について、その精神面的なものには、随分と、共通するものがあると感じた。

そしてまた、もう一つ、共通をするものがあると感じている。

それは、

『参加人数の減少』と『高齢化』である。

高野連には、実際には、審判員は存在をしない。

では、どの様にしているのかと言うと、全日本軟式野球連盟の1級審判員の中から、推薦によって選出され、また、講習会を行い、その中で認められた者だけに、『審判委員』の路が開かれると言う、何とも狭き門のシステムになっている。

最近は、審判員になってくれる若者が、極端に、減っていると言う。

それで、高野連の『審判委員』に推薦をする者が、いなくなってしまっていると言うことである。

そうなってしまうと、当然の如く、『高齢化』が始まってしまう訳である。

また、例え、新人が入って来たとしても、審判は、経験が物を言うものである。

育成をするまでには、相当な時間と労力が掛かってしまう。

それに伴って、審判の技術も低下をしてしまう。

ボーイスカウトも、全くの、同様なことであるが、とにかく、極端に人数が減少をしている。

その上、指導者に付いては、後継者を、全く育成しようとはしない。

とにかく、アクションを、何も起こさないのである。

団委員会の皆様は、団の役務に就こうが何をしようが、とにかく、自分の任期が過ぎれば、それが過ぎ去ってくれれば、それで良いのである。

とにかく、酷い!

折角、ローバースカウトまで頑張ってくれた若者達を、無碍にも、放り出してしまう事さえある。

それが、自分で自分の首を絞めている事が判っていながら、何もしようとはしないのである。

それでいて、審判の様に、講習の義務も無い訳だから、技能や能力は、どんどんと、低下をして行ってしまう。

それさえも、全く、気が付いていないのである。

それでその上、居心地が良ければ、何時までもそのポジションに、居座っている方々も、とても多く居る。

とんでもない、『高齢化』である。

結局、団がどんどんと、衰退をして行ってしまうだけなのに、それを誰も止めようともしない。

だけれども、ここで本当に大きく違うのは、

審判には、定年がある。

年に一度以上の、講習会がある。

しかしながら、ボーイスカウトの組織には、それらが無い!

この辺りに、ボーイスカウト衰退の、根本原因があるのではなかろうか?

ただ私が思うには、審判委員も、ボーイスカウトの指導者も、青少年のために活動をしていることは間違いは無い筈である。

そしてそのどちらも、『野球が好き』であり、『ボーイスカウトが好き』であって、尚且つ、眼をキラキラさせながら、若さと躍動感を持って、一生懸命になっている『子供達が好き』であると思っている。

そしてそれが原動力となって、ボランティアを行っているのだと思っている。

今となっては、その事が、忘れ去られているのではないのだろうか?

ボーイスカウトの指導者の皆様には、今一度、自分自身を、足元から見直してもらいたいと思うのである。

本当に、ボーイスカウトに奉仕をして、喜びが得られているのかどうなのか?

そして、その事が、自分の人生に於いて、掛け替えの無いものに、本当になっているのかどうなのか?

その辺りを、十分に、見直す必要があるのではないかと、私は思っている。

私にとっては、審判委員として奉仕できたことや、ボーイスカウトの指導者として奉仕が行えているこの喜びは、本当に、掛け替えの無いものとなっている。

だからこそ、今生きている、原動力にもなっているのである。

高校野球。

甲子園。

その夢のステージでは、球児達も、審判委員も、眩いばかりに、輝いて観得てしまう。

スカウティングも、輝きが欲しい!

そう思うのであるが、とりあえずは、高校野球を楽しもう!

『今』は、『今』しか無いのであるから!

(つづく・・・。)

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2010年3月 5日 (金)

『ゴジラ!』 (小学校3年生 ⅩⅩⅩⅢ)

川口先生が、母親に頼んだもの。

それは、とても、多くのものがあった様だ。

とにかく、世間知らずだった私達に、少しでも、多くのものを見せてあげて欲しいと言う事。

ちょっとでも良いから、『街』、と言うものを知ること。

『買い物』を知ること。

『お金』、と言うものを知ること。

『本』などに、触れること。

『音楽』に、触れること。

『自然』や、『観光』、その様な事を、『楽しむ』と言うこと。

などなど、とにかく、とても多かった様に感じた。

とにかく、川口先生が、自宅に家庭訪問に来てからと言うもの、様々な事が、劇的に変わってしまっていたからである。

多分、であるが、『芸能』、と言う事についても、お願いをしてくれていたのではなかったろうか?

『長崎屋』には、かなり、出掛ける様にはなっていた。

だけれども、そこでの『ラーメン』も、飽き始めていた頃であった。

いつもの様に、『沼津駅』行きの、バスに乗っていた。

私達兄妹は、『大手町』で、バスを降りる準備をしていた。

ところが母親は、

『今日は、沼津駅まで行く。』

と言う。

私は、到々、『その時』が、やって来た!

と、思っていた。

噂で聞いていた、デパートの地下。

フロアーは広くて、エスカレーターも広くて大きい。

階数も、比べ物にならない。

そして、でっかいエレベーター。

そこには、車掌さんの様な、女の人が乗っている。

そんな事を、始めて味わえるのだと、心が躍っていた。

ところが、である。

バスを降りて、本来ならば、『東』に、向かうはずなのに、母親は、『西』に向かっていた。

それも、どんどんと、『西』に向かって行く。

路を縫って、やや広い、通りまで出た。

そこで母親は、何かを探していたが、突然、立ち止まった。

その、通りを、渡ると言う訳ではない。

その通りの反対側の建物を見て、その建物の正面で、立ち止まっていた。

通りの反対側の建物には、やたらと大きな看板が、幾つも、取り付けられていた。

絵が描いてあったり、でっかい文字が書いてあったり、それに、やたらと人が、多く居た。

『ここじゃないのかしら?』

母親は、何かを言っていたが、結局は、その場を、離れる事になってしまった。

私達は、母親に連れられて、またまた、元の場所まで、戻る事になってしまった。

まるで、やり直しをするかのようにして、母親は、もう一度、今度はゆっくりと、歩いて行った。

母親は、とにかく、何かを探していた。

それは、私達が期待をしていた、デパートではなかった。

何だか、判らずにいたのであるが、とにかく、全くの、初めての場所である事だけは、確からしかった。

母親は、ある、ビルの前で、立ち止まった。

『ここで良いかしら?』

と言っていたが、私達には、何の事だか、さっぱり判らなかった。

だけれどもそこには、『ゴジラ』の文字があった。

怪獣映画の『絵』があった。

私は、『えいが』を、観るのか?

と思って、内心、驚いていた。

『えいが』。

そんなものを、観ても大丈夫だろうかと、また、祖母に、ぶつぶつ、言われやしないかと、そちらの方ばかりが、気になっていた。

『えいが』。

全くの、初めてであった。

母親は、切符を買った。

それで、階段を、上がっていった。

大きな厚い扉を開けると、そこには、大きな画面と、大きな音で、大きな画像が、映し出されていた。

私は、興奮をした。

とにかく、こんなものは、初めてである。

だけれども、『席』が空いていない。

よくよく見てみると、前の方の席が空いていた。

私達は、そこに座った。

私にとっては、見上げる様な感じであったが、何とかちゃんと、観る事はできた。

母親は、

『首が痛い。』

そう、言っていたのを、覚えている。

とにかく、物凄い、迫力であった。

私は、途中から観たので、母親に、もう一度、ちゃんと観たいと言った。

すると母親は、私達を連れて、急いで、後の席に移動をした。

『映画はね。後ろの方が、観易いのよ。』

どうやら母親は、映画を観た、経験があった様だった。

『ゴジラ』。

どうして、『ゴジラ』だったのか?

母親は何かを間違っていたらしかった。

その当時は、沼津にも、三島にも、映画館は、多くあった。

まず、三島だったのか?

それとも、沼津だったのか?

それと、映画館の場所である。

母親は、誰かに聞いて、出掛けたらしかった。

だけれどもそれが、はっきりとしないまま、出掛けてきてしまったようであった。

『ゴジラ』は、流石に、妹達にとっては、『不評』であった様であった。

母親は、『文部省推薦』の、『何か』を、観させたかった様である。

それも、『怪獣物』でもないし、『特撮物』でも、無い様であった。

あの当時と言えば、何だったのだろう?

『みなしごハッチ』とか、そう言う類のものだったのだろうか?

とにかく、『漫画』だと、母親は言っていたが、今となっては、誰の記憶にも残ってはいない。

その後、、何回か、映画には出掛けたと思った。

だけれどもその後は、『怪獣』を、映画館で観る事は、無かった様に思った。

ただ、今思うと、川口先生の言った『芸能』からすれば、『ゴジラ』は、『芸能』であったのだろうか?

単なる、『娯楽』だったのでは、なかったのではあるまいか?

しかしながら、始めて『映画』を観た事には、変わりは無い!

また一つ、人生の上での楽しみを、知った時だと思った。

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2010年2月19日 (金)

『いよいよ、デジタル化?』 (今現在)

親戚に、電気屋のおじさんがいる。

特に、そのおじさんから、勧められたと言う訳でもない。

家には、ケーブルテレビをひいてある。

ケーブルテレビ局からは、アナログテレビでも、チューナーを入れれば、それで今までのテレビでも、使えると言われた。

それに、今までのテレビが、壊れてしまった、と言う訳でもない。

それに、来年ではないか!

来年の話、だよなぁ。

来年の7月。

そう、私は記憶をしているのであるが、何か、違ったであろうか?

何となく、慌しかった。

母親が、随分と、急くのである。

どうしてそんなに急くのかと、不思議でならない。

大体、こう言う時は、ろくな事が無い。

何か、怪我をしてしまうとか、事故を起こしてしまうとか、そんなものが、付き纏ってくる。

そう言えば、父親が亡くなった時にも、父親は、菩提寺の若住職と喧嘩をして、墓を移してしまった。

そうしたら、である。

『急いては、事を仕損じる!』

と、自分でしょっちゅう、言っていたのに、自分自身が、その通りになってしまった。

母親に、変な災いが、降り掛からなければ、良いのであるが。

とにかく、母親が、テレビを換えたい、と言って来た。

ならば今、食堂にある、自分用のテレビを換えろと言ってみた。

だけれども、それはそれで、ケーブルテレビ局から、チューナーを無償で借りている状態だから、それで良いと言う。

だったら、私の寝室にある、テレビだって、同じ事ではないか!

こちらのテレビを、バタバタと、換えられるのは、溜まったものではない!

寝室には、布団が敷きっ放しであるし、掃除だってしていない。

大体、テレビの後などは、埃の、巣窟である。

そんな所を、出されてしまったら、部屋中、埃だらけになってしまう!

布団だって、埃まみれになってしまう。

ホットカーペットの絨毯だって、何だって、みんなみんな、埃まみれになってしまう。

第一、私が休めない!

休む所が、無いではないか!

しかしながらそれは、強行された。

テレビのデジタル化は、強行されてしまったのである!

なんと言う事であろうか?

おじさんは、ニコニコしてやって来た。

いくら親戚とは言え、当然、タダではない!

そして、安くも無い。

また、金額を負けてくれると言う訳でもない。

通常通りである。

ただ、古いテレビの引き取りや、設置、セッティング、掃除、その他諸々は、サービスとしてだけでは無く、とても、懇切丁寧に、行ってくれる。

それが、親戚サービスの様なものである。

その日は、突然、やって来た。

いきなり、である。

おじさんは、家の門の中に、軽トラックを入れ、さっさと準備を始めてしまった。

古いテレビの回収。

そして、新しいテレビの、設置である。

Img_9057

まぁ、とにかく、手際が良い。

でもまぁ、考えてみたら、ブラウン管では、もう無いのである。

私が、高校年代に、あれだけ学習して、テレビの構造について、どれだけ学習した事か!

って、実際の授業中は、殆ど、寝ていたのであったのだが・・・。(^^;

だけれども、本当に、薄く、軽く、そして画面も、あっと言う間にでかくなってしまった。

10年位前までは、本当に、苦労をしていたはずだったのに、今、眼の前に、そのテレビが有る。

それが存在をしているのである。

画像は、と言うと、これがまた、綺麗なのである。

ブラウン管の掃引線の画像とは、全く違うのである。

Img_9066

いやぁ、本当に、鮮明な事! 鮮明な事!

これはちょっと、驚きであった。

ただちょっと、横長の画面に慣れず、全体が、潰れて見えるのは、気のせいであろうか?

おじさんの話によれば、

『出たばかりの、最新型だから。』

と言う事であった。

それに、BSも、CSも、ケーブルテレビも、OKだと言う。

但し、その、チャンネル設定に、とても時間が掛かると言う事であった。

私は、パソコンを繋いで、どうにかできないのかと尋ねたのであったのだが、何でも、リモコンを使わないと、できないとの事であった。

そのリモコンと言う物やらを見てみると、

Img_9058

こんな感じの、リモコンである。

リモコンも、随分と、シンプルにまとめてあるとは思ったのであるが、よくよく観てみると、数字の横の文字が、携帯電話と一緒で、小さくて、どうにも読む事ができない!

とにかく、老眼鏡を使っても、良く見えないのである。

何でもおじさんが、大体の設定はやってくれたのであるが、気に入らなかったら、自分で直して欲しいと言う。

だったら、最初から言ってくれれば良かったものを、今更、そんな事を言われてもと、思った。

何でも、今までのブラウン管テレビでの、WOWOWは、チューナーを付けていたが、今度は、要らないと言う。

カードか何かを差し込めば、それで済むと言っていた。

WOWOWは、暫く、契約を切っていた。

これだけ綺麗な画面になってしまうと、どうしようかと、悩んでしまう。

ただ、リモコンであるが、もう、この画面、このチャンネル設定で良いと言うのであれば、ご老体用の、リモコンもあるのだそうである。

それが、

Img_9062

このリモコンである。

もう完全に、携帯電話と、同化しているなと、思った。

機能は要らない、必要最小限であれば、それで良い。

それは、ご老体向きと、言う事である。

だけれども私は、こちらの部類に、入るのであろうなぁ?

とにかく、眼が見えない。

夕刻になり、光量が無くなって来ると、パソコンの画面も観えなくなって来るし、キーボードの文字も、観えなくなって来てしまう。

おまけに、薄暗い寝室に入れば、いくら電灯を点けたって、リモコンの、文字も確認できなくなってしまう。

暫くはまた、このリモコンに慣れるのに、苦労をするのであろうか?

以前のリモコンであるが、それはとても、単純なものであった。

Img_9064

こんな単純な物なのである。

だから逆に、指で覚える事ができたのである。

例え部屋が暗くても、指先で、その感覚で、ボタンが何か、判っていた。

リモコン自体も小さいし、この方が、使い勝ってが良かった様に思った。

さてさて、新しいリモコンには、どの程度で、慣れる事ができるのであろうか?

今、丁度、バンクーバーオリンピックが開催をされている。

だけれども、テレビは、あまり観ていない。

とにかく、寝室に戻ってしまうと、つい、横になってしまう。

そうして、テレビでも観ていると、何時の間にか、寝てしまうのである。

そんなにも、勿体無い事があって、たまるか!

と言う、気分である。

だから残念ながら、部屋に戻って、テレビを観る事はないのである。

だからこそ、母親の常駐している、台所にでも、置けば良かったのである。

母親は、とにかく、一日中、テレビを、観ている。

そう言えば、この32型のテレビ。

これが、一番の、売れ筋なのだそうである。

逆に、これより小さい型だと、値段が、高くなってしまうのだそうである。

要は、今は、この型のテレビが、お買い得と、言う事であろうか?

最近の科学の進歩は、目覚ましい!

本当に、加速度的に、進歩をしていると言っても、過言では無かろう。

大学時代から、20数年。

その頃、実用研究されていた、音声認識や、二足歩行ロボットなど、もう、実現をされてしまった。

それに、携帯電話。

そして、薄型テレビに、3D。

果たして、これから、どの様な物を、観る事ができるのか?

そして、何処までその操作と利用に、付いて行けるのであろうか?

ただ、私が欲しい物。

そして実現をして欲しい物。

それは、私の左半身を動かしてくれるもの。

そんな補助ロボットが、今は、欲しい。

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2010年2月 9日 (火)

『く・る・み!』 (小学校3年生 ⅩⅦ)

柿田川は、国道1号線バイパスの、本当に直ぐ脇から、柿田川湧水群によって噴出された湧水によって、いきなり大きな川幅の清流となっている。

ここは、私達の、大事な大事な、遊び場であった。

そして、大切な大切な、教場でもあった。

しかしながら今は、それが奪われてしまった。

誰も、柿田川の中には入っては行けない。

だけれども、たった一人、我が物顔で、入って行く人間がいる。

その人間は、知床半島に端を発した、ナショナルトラスト運動を展開し、金を集め、そして、柿田川の保護を、訴えた。

そして、柿田川の中には、誰も入るなと!

でも本人は、入っている。

自然は、みんなの財産である。

たった一人の、研究の材料の為の物ではない!

とは言え、お一人で、頑張られているのである。

そして、その結果が、立ち入らない方が良いと言うのであれば、従うべきであろう。

また、そのご努力と、ご尽力には、敬意を払わなければならないであろう。

沼津市の泉水源地が整備をされ、その東側の、柿田川の中に、公園が造られたのは、何時頃の頃であったろうか?

川の中央部分から、コンクリートで仕切りがされ、長さ50m程のプールが造られた。

横幅は、広い所で、25mぐらいあったであろうか?

その大きなプールと、水源地の石垣の壁との間には、長さ10mほどで、水深も、50cm程の小さなプールも造られていた。

その南側には、ブランコなどの遊具も備え付けられ、私達の、素晴らしい遊び場となっていた。

プールと言っても、コンクリートで仕切られただけである。

その大きなプールの方であるが、水深は、まちまちであり、50cm~1m50cmもあったであろうか?

柿田川の上流(北側)方向は浅く、下流(南側)に行けば、深くなっていた。

私は、プールの南側では足が着かず、恐ろしくて、とてもではないが、近付くことはできずにいた。

プールの底は、勿論、火山礫だらけであった。

気を付けないと、それで足を切ってしまう。

それに、所々に、湧き間があった。

プールの中でも、水が湧いていたのである。

おまけに、水草もが生えていた。

それに、足を取られてしまうこともあった。

また、『はや』などの魚もいた。

プールの南側の深い所では、釣りをしているお兄さん達も、沢山いた。

要は、プールと言っても、天然のプールであって、ただ単に、コンクリートで、仕切りをしたものであった。

実際には、その、『仕切り』の中で遊ぶ者は、本当に、少なかった。

遊んでいる者と言えば、ボートなどのプラモデルを作って来て、それで競争をさせたりと、そんな程度の遊びだけであった。

『仕切り』の中で泳ぐ者など、まず、いなかった。

何せ、水温が、年間を通して、15℃程度なのである。

とてもではないが、水の中になど、入ってはいられない!

30秒とは持たない。

水の中に入ると、まず、体が固まる。

筋肉が、硬直するのである。

そして、次には、体に震えが来る。

そうして、おちんちんが、いきなり、股間に吸収されてしまう。

陰も形も、無くなってしまうのである。

それでも頑張っていると、今度は、段々と、唇が、紫色になってきてしまう。

恐ろしく、冷たい水なのである。

それでも我慢をしていると、段々と、水の冷たさにも慣れてくる。

体を震えさせながら、唇を紫色にしながらも、水の中にいたのである。

しかしながらそんな状態でも、子供達は、また少年達は、大勢の者が、その場所には、集まっていた。

では、一体全体、何をして遊んでいたかと言うと、結局は、川の様々な場所で、思い思いに遊んでいたのである。

川を遡って、上流まで行く者。

そこから、タイヤチューブの、黒い浮き輪などに乗って、下流まで流されてくるのを楽しんでいる者や、エアーマットに乗り、川の流れの弱い所で、漂っている者もいた。

新しい湧き場を探すべく、川の辺を、歩き回っている者。

川を東西に、川の流れに逆らって、何回も何回も、横切っている者。

沸き場の中に、身を沈めて、這い上がり、また身を沈めて、また這い上がったり、そんな事をしている者。

川の辺の大木に、ロープを縛りつけ、川の中に飛び込んで行く、ターザンごっこをしている者。

水中眼鏡をして、片手に『たも』を持って、魚を追い掛け回している者。

沸き場の中に、竹竿を突っ込んで、湧き場の深さを測ろうとしている者。

等々、本当に、様々な、自然を相手にしての遊びが、展開をされていた。

大きいお兄さん達は、一体全体、何をしていたかと言うと、何処から持って来たのかは、判らないが、和船を持って来て、それで柿田川を、上り下りしていた。

それで下流に行っては、大きな湧き場に船を着け、そこで、銛を持って、水中に潜り、虹鱒などを捕っていた。

ただそこには、絶大な、絶対的な、暗黙のルールがあった。

とにかく、浅い所は、それは、川の上流部分であるが、そこは、50cm程度の水深しかなく、そこは、小学生の中学年程度までの、遊び場であった。

その上流部分には、絶対に、舟は、乗り入れる事は無かった。

それにそこでは、釣りや、銛を使っての魚獲りは、行ってはいけなかった。

大きいプールの周りであるが、プールの東北の角の部分が、川の中に出っ張っており、そこがやや、川幅が狭くなっており、そこは流れが急に速くなる。

そこには、幼い子供は、近付いてはいけなかった。

そこは、大きいお兄さん達が、飛び込みの練習や、急な流れに逆らっての、クロールなどの練習場所に充てられていた。

小さいプールの南側には、水源地の、遊水池からの放水路があった。

そこは、とても浅い場所であったのであるが、また、沢蟹などもいたので、ついつい近付いてしまう。

そうすると大きいお兄さん達がやって来て、いつ、水が放水をされるか解らないので、近付くなと言ってくれた。

逆に、放水が終れば、1時間位は安心だからと、一緒になって沢蟹を捕まえたり、釣りの餌にする、川虫などを、獲っていた。

その放水路の流れの、そのまた南側は、更に浅くなっていたが、そこには、『アシ』が、生い茂っていた。

また、プールの上流部分の、西側にも、『アシ』が生い茂っていた場所があった。

だが実は、そこは、とても危険な場所でもあった。

『アシ』に隠された、大きな湧き場が、沢山あったのである。

小学校の、集団登校の成果ではないのだろうが、とにかく、その様な場所は、大きい、お兄さん達が教えてくれた。

それに、暗黙のルールも、指導をしてくれたのである。

釣りを行なうならば、大きいプールの南側。

小さい子は、銛を使ってはいけない。

大きいお兄さんの指示には、絶対に従う。

それは誰であろうと、言う事を聞く事。

そんな自然な伝統が、何時の間にか出来上がっていた。

大きいプールの東側は、川幅も広がり、流れもやや緩やかになる。

しかしその先は、大きな湧き場もあって、急激に流れが速くなっている所もあった、

その近辺は、大きなお兄さん達の遊び場で、私達は、近付くことは無かった。

逆に、お兄さん達がいることによって、幼い私達は、護られていたのかも知れない。

だが、何時までも、川の中に入っている訳にもいかない。

何分かすると、みんなぞろぞろと、プールの周りに、水から上がって来る。

大きいプールの周りには、1mほどの通路があった、

そこに横たわり、冷えた体を温めたのである。

上流の浅い部分や、流れのやや弱い部分には、黄緑色の、とても柔らかい、足がそれに包まれると、とても温かく、気持ちが良い、水草が生えていた。

上流部分は、殆どが、その水草に、覆われていた様にも思った。

そこに横たわると、とても気持ちが良かった。

白い花を付ける。

私達はそれを、金魚草、と呼んでいた。

だが実際は、それは『みしま梅花藻』と呼ばれる、希少植物であった。

川の中や、プールの中には、その気持ちの良い水草以外にも、多くの水草が生えていた。

だけれどもそれらは、茶褐色や、赤茶けていて、梅花藻に比べたら、とても汚く見える物であった。

プールの南東に陣取っているお兄さん達は、よくそれらの水草を、川の中から、引き抜いていた。

但し、梅花藻だけは、絶対に、手を出さないでいた。

それは、所々にある梅花藻は、川の中での、休憩地点だったからである。

梅花藻の中に足を入れ、そこで休憩をし、また、火山礫の川底を歩く。

当然、足は裸足である。

梅花藻は、みんなにとって、大事な大事な、水草であった。

では、茶褐色や赤茶けた水草はどうなのかと言うと、まず、滑るのである。

それに、下手をすれば、足を切ってしまう事もあった。

梅花藻は、清流に良く映える。

従って、水深も、確認がし易い。

けれども他の水草は、水上からは、黒く見えてしまう。

結構、厄介な物であった。

その、引き抜いた水草達を、お兄さん達はどうしていたかと言うと、プールの、南側の、コンクリートの通路の上に並べていた。

プールの南側の外側は、結構、流れがきつかった。

だからそこには、殆ど、誰も近寄らなかった。

だからかも知れないが、まるで、ワカメや昆布を干すようにして、広げていた。

それが乾燥をすると、山積みにする。

それからが、お兄さん達の、醍醐味だったのであろう。

それに、火を点けるのである。

乾燥させた水草を、燃やすのである。

そうすると、下流に居た和船が戻って来る。

舟からは、竹笹を、鰓から口に通された虹鱒が、投げられる。

それをお兄さん達は、焼くのである。

また時には、ただ単に、暖を取るために、燃やされていた時もあった様である。

幼い私達は、それを、最初は遠巻きにして観ていたが、その内に、顔見知りになると、その特別な場所に、私達も、呼んでくれた。

とにかく、暖が取れることが、何よりも嬉しかった。

真夏に、体が震えている。

それを焚き火によって、体の震えを止める。

何とも、おかしなものであった。

それに、焼き魚のお零れにも与ることもできた。

毎回毎回では無かったが、それでも嬉しい、おやつであった。

ある時、近所のガキ大将と言うか、お兄ちゃんが、とにかく、『たも』を持って泉に来い!と言う。

私は、何が何だか解らなかったが、とにかく、『たも』を持って、泉の公園に向かった。

すると、大きなプールの北東の角に、多くの人間が集まっていた。

そのプールの角の対岸を見てみると、一本の大木の上に、2人ぐらいであったろうか?

大きいお兄さん達が登っていた。

その大木の根元にも、何人かのお兄さん達がいた。

そこは、川の流れが、とても急な場所である。

大木の根元と、プールの東北の角とは、ロープで結ばれていた。

そのロープを使って、お兄さん達は、川の中を、行き来していた。

私達は何を命ぜられたかと言うと、その下流の、やや流れが弱くなった所で、陣取れと言われた。

幼い者達は、流れが弱まった、やや浅い部分に、横になって並んだ。

『いいか、お前達! 流れて行った物を、取り逃がすんじゃねえぞ!』

『おっし! 始めるぞ!』

大木の上に居た、お兄さん達は、枝に付いていた何かを、しきりと、叩いたり、枝を切ったりして、下に落としていた。

大体は、大木の下にいたお兄さん達が、キャッチをしていた。

それを今度は、プールの通路の上に運ぶ。

その作業は、大木の上の方で、また下の方で、また、右だったり、左だったり、様々な場所で、行なわれた。

私達は、川下で待っていた。

だけれども、流れて来るのは、葉っぱばかりで、特に何が流れて来るというものでもない。

何をしていたら良いのだろうと思っていたら、私より、かなり東側にいた子が、水面の上で、ずるずると木の枝を引きずって、持って来た。

私は、何だろうと思って、

『何?』

と聞いたら、その子は、

『実が付いてんだよ!』

と言って、プールの縁の方に持って行った。

結局、私の所には、何も流れては来なかった。

『おっし! 良いぞ! 上がれ!』

一人の、大きいお兄ちゃんの号令で、やっと私達は、川から上がる事ができた。

体は、冷え切っていた。

プールの通路を見てみると、大きく山積みされた水草が、二か箇所ほどあった。

それにお兄さん達が、またまた火を点けた。

私達はそれに群がり、とにかく、体を温めた。

だけれども、大きいお兄さん達は、プールの北東の角で、何か作業を続けていた。

そして何かを、しきりと、籠の中に入れている。

要らない葉っぱは、柿田川の中に投げ込んでいた。

お兄さん達は、体も温めないで、作業をし続けていた。

そのうちに、

『おっし! お前ら、こっちに来い!』

一人のお兄さんに呼ばれた。

行ってみると、木の枝が積まれていた。

さっきの、あの大きな籠は?と思ったら、既に、小さなプールの、南側の広場に、運ばれた後だった。

『今日はな、お前ら頑張ったからな、褒美をやるぞ。もって帰れ。』

そうして私達は、木の枝を、一本ずつ貰って、家路についたのであった。

と言っても、私の家は、本当に、直ぐ近くであった。

とぼとぼ歩きながら、枝を見てみると、5つ位の、黄緑色の実が付いている。

だけれども、何の実か解らないし、どうやって食べるのかも解らなかった。

その大作業に参加した何人かは、途中で、その枝を捨ててしまった。

それで、走って帰ってしまった。

私が川端を、通り過ぎようとしたら、『れーこちゃん』のお母さんが、川端にいた。

『あら、採って来たの?』

と言う。

私は、みんなも捨てちゃったし、どうしようかなぁと思っていたら、

『そのままでは、食べられないのよ。それじゃぁ、まあちゃん家じゃ、少ないわね。おばちゃんが、貰ってもいい?』

と、聞いてきた。

私は、さっき、他の仲間が、貰った物を捨てた事を伝えると、

『あら、勿体無い!』

と言って、おばさんは、捨てた物を探しに行き、見事に、見つけて来た。

『これはね。今直ぐには、食べる事ができないんだよ。食べられる様になったら、おばちゃんが、家に呼んであげるから。』

と言った。

それから、どの位の日が流れたであろうか?

『れーこちゃん』が、家に私を、呼びに来た。

私はすっかり、そんな事は忘れていて、その時は、どうでも良いと思っていた。

『れーこちゃん』の家の中に招き入れてもらい、居間のテーブルの横に座ったが、テーブルの上には、何も無かった。

何も無いじゃん、と思っていたら、『れーこちゃん』のお母さんが、いきなりガラス窓を開けた。

そこには、橙色の網目の袋が提げられていた。

何だ、みかんを入れる網じゃないかと思っていたら、お母さんがそれを外して、テーブルの上に持って来た。

そして、梅干の種が大きくなった様な物を、ガラガラと、テーブルの上に、転がし始めた。

その、しわしわの姿を観て、私は一瞬、気持ち悪いと、ひるんでしまった。

すると、

『これ、知らない?』

と、『れーこちゃん』のお母さんが言う。

そして、何か、鋏のでかいような物を持って来て、梅干の種の大きなものを、がちんと、割った。

すると中から、何か、実の様な物が出て来た。

『これはね。クルミって、言うんだよ。』

そしておばさんは、胡桃を、どんどん割って、私に食べさせてくれた。

それに、胡桃を入れたクッキーも、食べさせてくれた。

『おばさんはね、クルミが、大好きなんだよ。』

私が生まれて初めて、胡桃を、口にした瞬間であった。

この胡桃採りは、伝統的なものであったらしい。

野生の胡桃が、柿田川の、それも辺に、一本だけ生えていた。

それに、流れも、かなり急な場場所である。

川の流れに、土も根も、浚われやしないかと思うが、そうではないらしい。

とても古い木で、昔から、多くの若者が、手入れをして、守って来たのだそうである。

そしてそれが、延々と、受け継がれて、来た様である。

しかしながら残念な事に、今はその様な事は行われていない!

何せ、柿田川の周辺には、誰も入る事ができないのであるから。

数年前に、泉水源地の屋上から、その胡桃の木の方向を、観てみた。

ジャングルである!

私達が、柿田川で遊んでいた頃には、不必要な蔓は、切ってしまった。

下草も刈った。

枝打ちもしていた。

とにかく、柿田川の中だけでなく、辺に生えている木々も、若者達の手によって、手入れをされていたのである。

例えそれが、遊びのためであっても、遊びの延長であっても、である。

だけれども、今の柿田川は、柿田川ではない!

ただの、ジャングルである。

美しさも何も、感じる事ができない!

自然と人間の共生。

私達の時代には、それがあった。

柿田川の恩恵を受けるからには、柿田川にも、お返しをしなければならない。

それが、下草刈りであり、枝打ちであった様な気がする。

今の柿田川は、悲惨なものである。

例の胡桃の木も、つるが捲き付き、昔の、堂々たる大木の、面影などは、全く無い!

他の大木達も、幹に、随分と、苔むしていた様である。

幹が緑色の大木などは、見た事も無かった。

残念である。

本当に、残念である。

ジャングルになってしまった柿田川。

苔に覆われてしまった大木達。

そして、つるに締め付けられてしまっている、胡桃の木。

それらが朽ち果てて、倒木となってしまったら、どうなるのであろう?

次の大木は、古木は、何時の時代になったら、誕生するのであろうか?

柿田川の両岸の、緑地帯は、非常に狭い。

また、斜面も、急峻である。

古木や、大木が倒れてしまったら・・・。

どうなってしまうのであろうか?

果たして私達は、次の世代に、何かを、残せてあげられるのであろうか?

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