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2018年7月29日 (日)

『蘇ったフッペル!』(T_T);

(薩摩半島 訪問 : その51)
(※注:平成30年 5月 4日(金・祝)の記憶です。)
おはようございます!(^o^)/
【蘇ったフッペル!】(T_T);
(ペン)「おんやぁ?
     こんなところに、でっかいピアノがあるぜ。
     一体、なんだろね?」 Img_0593
(ハム)「えっとね。
     運転手さんがね。
     そのピアノについて知りたいなら、まずは、
     ガラスショーケースの中を、観て欲しいって。」 Img_0590
(ペン)「え゛~?
     そうなのぉ?
     『月光の夏』?
     って、なぁ~に?」
(ハム)「映画の題名だって。」
(ペン)「ふぅ~ん。
     『月光』ってさぁ。
     確か、海軍の、夜間戦闘機で、
     B29の迎撃をしたんじゃなかったっけ?」
(ハム)「ありゃま!
     ペンは、随分と、不思議な部分の記憶が、
     残っているんだねぇ。
     確かに、そうだけどさぁ。
     ここで言う『月光』は、曲名なんだよ。」
(ペン)「え゛え゛~!
     曲名~?」
(ハム)「そうなんだよ。
     ベートーヴェンの、
     ピアノソナタ第14番の通称なんだって。
     『ムーンライト・ソナタ』と、
     呼ぶこともあるんだってよ。」
(ペン)「へぇ~!
     そうなんだ。
     でもさ。
     それが、『月光の夏』と、
     どう言う関係になっているのぉ?」
(ハム)「それはね。
     白い本が、台本なんだけど、その左横の、
     説明書きを読んでみてってさ。
     じゃぁ、読むよ。
     『1945年(昭和20年)の初夏、佐賀県
      鳥栖国民学校に学徒出身の二人の飛行兵が
      訪れ、       「特攻出撃前にピアノを        弾かせてください。」       と、集まっていた生徒と先生の前で
      ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」を       弾いたとの証言をもとに、       1993年(平成5年)
      神山征二郎監督により映画「月光の夏」が
      製作されました。』
     だって。」
(ペン)「そうなんだ!
     じゃぁさ。
     特攻兵が、このピアノを弾いて、沖縄に、
     出撃して行ったってことぉ?」
(ハム)「まぁ、映画の中では、大体、そうなんだけど、
     このピアノは、その時のものとは違うんだ。
     さっきの、説明の続きがあるから、      それを読むよ。
     『特攻隊員が弾いたとされる       フッペルのピアノは、
      1993年から、2年間、知覧特攻平和会館が
      借用し展示していましたが、鳥栖市へ返却と
      同時に、高知市の声楽家濱口勝氏が、
      このエピソードに感動し長く愛用していた
      フッペル社製のピアノを寄贈されました。
      フッペル社製のピアノは現在国内で3台しか
      確認されておらず、このピアノは鳥栖市の
      ピアノと製造時期も同じです。』
     なんだって。」
(ペン)「ふぅ~ん。
     特攻兵が弾いたピアノは、里帰りをして、
     その代わりに、このピアノが、寄贈されたんだ。
     それも、製造時期が同じだなんて、
     兄弟みたいなものだよねぇ。
     なんだか、凄い話しに、      なってきちゃったなぁ。」
(ハム)「でもね。
     映画は、映画。
     現実は、現実で、分けて考えないと、
     いけない部分もあるんだって。」
(ペン)「え゛~?
     それって、どう言うことなのさぁ?」
(ハム)「まず、原作者なんだけどさぁ。
     『毛利恒之(もうりつねゆき)』と言う人で、
     元NHKの契約ライターで、その後は、
     フリーの放送作家で、
     報道ドキュメンタリー作家なんだって。
     その人が、鳥栖国民学校の、
     フッペル社製のピアノを管理していた、
     『上野歌子(うえのうたこ)』先生の話しを、
     聴いて、それを、小説化したんだって。」
(ペン)「なるほどぉ。
     取材をして、それを、小説にしたってことかぁ。
     ん゛?
     小説ぅ~?」
(ハム)「そうなんだよ。
     あくまでも、小説であって、
     『ドキュメンタリー』&『ノンフィクション』
     では、ないんだってさ。」
(ペン)「え゛~?
     でもさ。
     映画が作られて、ピアノまで、
     寄贈されちゃってさ。
     それで、何が、どうして、現実と違うのさ?
     随分と、話しが、おかしいじゃん!」
(ハム)「じゃぁさ。
     年代の、流れを中心に話しをするよ。
     まず、フッペル社製のピアノだけど、
     『1930年(昭和5年)       鳥栖町(現:鳥栖市)の婦人会が、       「こどもたちにいい音楽を、
       本物のいい音を聴かせよう。」と、
      寄付金4500円(現:1億円相当)を集め、
      ドイツから、最高級のグランドピアノを
      取り寄せ、鳥栖国民学校(現:鳥栖小学校)に
      寄付した。
      鳥栖小学校の音楽主任教師の、
      陶山聡先生が選定したピアノは、
      当時日本に2台しかないドイツ・フッペル社の
      グランドピアノ、鍵盤は象牙製であった。』
     と言うことらしいよ。」
(ペン)「げぇ~!
     寄付で、1億円も、集まっちゃうのぉ?
     凄過ぎない?
     それに、1億円のピアノかぁ。
     溜息しか出て来ないよね。」
(ハム)「そうだね。
     それでね。
     『上野歌子』先生は、当時、音楽教師で、
     フッペル社製の、グランドピアノの管理を、
     任されていたんだって。
     ただ、ずっと、管理し続けていたかどうかは、
     判らないんだけどさ。
     それで、終戦44年後のことらしいんだけど、
     フッペル社製のピアノが、いつの間にか、
     埃にまみれて、小学校の体育館の隅に、
     追い遣られていたんだって。
     その頃、既に、      退任していた『上野歌子』先生は、
     そのピアノが、廃棄処分となると聞いて、
     『廃棄されるくらいなら、       私の手元に置きたい。』
     と、願い出たんだって。
     その理由を、校長先生が、尋ねたところ、
     ピアノと、二人の特攻隊員との思い出と、
     そのエピソードが話されたんだって。
     その話しを聴いた校長先生が、
     『上野歌子』先生に、鳥栖小学校の全校朝会で、
     その話しを、語って貰ったんだって。」
(ペン)「そうだったんだぁ。
     『上野歌子』先生が、気付いて、
     本当に良かったよね。
     何も気付かずにいたら、日本に、
     2~3台しか無かったピアノが、
     消えて無くなっていたってことだよね。」
(ハム)「本当に、危ないところだったみたいだよ。
     余談だけど、フッペル社は、旧ドイツ東の、
     一地方の、小さな町工場で、ピアノは、
     大量生産なんて、とてもではないけど、
     できなかったそうだよ。
     だけど、仕事がとっても丁寧で、
     音色が素晴らしく、名器を輩出したんだって。
     でもね。
     第2次世界大戦中に、      ユダヤ人への迫害を受けて、
     廃業に追い込まれたみたい。
     だから、現存するピアノしか、もう、
     遺っていないんだって。
     それでね。
     その後、その『上野歌子』先生のお話しが、
     ラジオなどで、あっと言う間に、
     広がっちゃったんだって。
     そこで、ピアノの保存運動が、      九州を中心として、
     勿論、鳥栖市や、鳥栖小学校が、
     現場としての中心なんだけど、
     巻き起こっちゃったんだって。
     それで、ピアノは、見事に修復され、
     蘇ったんだってさ。
     その間も、『上野歌子』先生は、
     エピソードの講演で、様々な場所を、
     語り周ったみたいだよ。」
(ペン)「良かったねぇ~!
     それで、そのピアノは、
     知覧特攻平和会館にも展示されて、今は、
     鳥栖市に戻っているんだね。
     素晴らしいよなぁ~!」
(ハム)「うん。
     なんでも、鳥栖駅の東、
     鳥栖スタジアムのすぐ隣にある      「サンメッセ」の、
     一階に、置かれているんだって。
     申し込みをすれば、誰でも、弾けるみたいだよ。
     それに今は、
     『フッペル鳥栖ピアノコンクール』
     と言うコンクールまで、      行われているんだって。」
(ペン)「あれま!
     そりゃまた凄い!
     鳥栖市は、頑張っているんだねぇ。」
(ハム)「あとね。
     ガラスショーケースの中の物なんだけど、
     ・『上野歌子』先生の楽譜
     ・『上野歌子』先生愛用の風呂敷
     ・『上野歌子』先生の詩
     が、納められているんだって。」
(ペン)「りょっかぁ~い!
     そこまでは、大体、解かったんだけど、映画と、
     現実は、何が違うのぉ?」
(ハム)「飛行兵がね。
     ピアノを、弾きに来たって言うのは、
     事実なんだって。
     だけど、それが、陸軍の特攻隊員
     (特別操縦見習士官)だったのか、      どうなのかは、
     よく判っていないみたいなんだ。
     また、目達原基地から、鳥栖まで、      線路を伝って、
     歩いて来たと言うのも、本当に、
     目達原基地からだったのかは、判らないみたい。
     二人の飛行兵が、ピアノを弾いた翌日に、
     目達原基地から、知覧飛行場に、転進する際に、
     鳥栖国民学校の上空を、旋回したと言うのも、
     謎みたい。
     また、本当に、知覧飛行場に向かったのか、      どうなのかも、
     判っていないみたいなんだ。
     それから、二人の飛行兵のうち、
     一人は上野の音楽学校(現:芸大)出身で、
     ピアノ科専攻(ベートーヴェン)で、
     『月光』を弾き、もう一人は、      熊本の師範学校で、
     音楽教師を目指していて、      『海ゆかば』を弾いて、
     先生と生徒達が、その歌を歌い、      飛行兵を見送り、
     先生は、ユリの花を贈ったと、
     されているんだけど、それも、
     よく判らないみたい。
     更に、ピアノを弾きに来た飛行兵は、      独りだったとか、
     ピアノを弾いたのは、二人の内、
     一人だけだったとか、謎なんだよねぇ。
     あと、二人の特攻隊員は、
     一緒に出撃することになるんだけど、一人は、
     特攻で戦死して、もう一人は、
     エンジントラブルで引き返して、生き残るんだ。
     それで、特攻隊員の生き残りとなるんだけど、
     実際に、『上野歌子』先生は、
     その方と逢っているらしいんだけど、お名前は、
     公表されていないみたいなんだ。
     と言うか、元々、『上野歌子』先生は、
     ピアノを弾きに来た飛行兵の名前を、
     聞いてはいないんだ。
     だから、結局のところは、
     謎だらけなんだよねぇ。」
(ペン)「でもさ。
     きちんとしたストーリーで、お話しは、
     残っているんでしょ。
     それに、『上野歌子』先生からの、
     お話しを基にしたんでしょ。
     だったらさぁ。
     信じても、良いんじゃないのかなぁ。
     俺は、真実だと思うぜ。」
(ハム)「それがね。
     やはり、『小説』と言うところに、
     問題があるみたいなんだ。
     それに、作者の、『毛利恒之』は、
     口を閉ざしてしまっているんだよ。
     その上、『上野歌子』先生は、
     映画『月光の夏』の、公開前年に、
     亡くなってしまったそうなんだ。
     だから、今は、何も解らなくなって、
     釈然としないんだ。」
(ペン)「なんだかなぁ。
     ハムはさ。
     いっつも、拘り過ぎるんだよなぁ。
     だから、話しが、ややこしくなるんだよぉ!
     実際問題、飛行兵が、ピアノを弾きに来たのは、
     事実なんだよね。
     それに対して、『上野歌子』先生が、
     対応したのも事実なんだよね。
     それで、とっても貴重なピアノが、
     みんなの手で修復されて、遺っているんでしょ。
     それも、事実なんでしょ!
     だったら、それで良いじゃん!」
(ハム)「まぁ、そうなんだけどあぁ。」
(ペン)「全くもう!
     『きゃさりん副長。』だって、
     いつも言ってるじゃん!
     『世の中には、解からないことがあったって、
      良いじゃん!』
     ってさ。
     それに対して、おデブ隊長だって、それを、
     認めてるじゃん。
     何が、不服なのさぁ?
     それに、ここには、貴重なピアノが、      寄贈されて、
     更に、額が2面、絵画が1点、
     展示されているじゃん。
     それだけ、みんなに支援されている、
     ってことじゃないのぉ?」 Img_0591
(ハム)「うん。
     そうだね。
     運転手さんに、話しを聴いてみたんだけど、
     左の額は、
     『皚(しろ)い彼岸花』
     と言う題名で、画家の『井上正子』氏が、
     贈られたものの様だよ。
     右の額は、その右の絵画と共に、
     元佐賀大学教授で、画家の『深川善次』氏が、
     贈ったものなんだって。」
(ペン)「でしょう!
     みんな、平和への想いは、一緒なんだよぉ。」
(ハム)「そうだね。
     それで、『深川善次』氏なんだけど、最初は、
     学徒兵として、佐世保相浦海兵団に、
     入隊するんだって。
     その後、海軍予備学生受験に合格して、
     魚雷艇を志望し、特攻への道を、
     目指したんだってさ。
     だけど、特攻隊入隊前に終戦を迎えて、
     東京師範学校(現:筑波大学)を卒業し、
     小中高校教諭をへて、
     佐賀大学教育学部教授となるんだって。
     それで、佐賀大学退官記念個展で、
     『秘話学徒出陣』
     と言う絵を描いたんだって。
     その絵は、今は、『鳥栖市立鳥栖小学校』に、
     納められているそうだよ。
     そちらの画の方は、日の丸は、
     左胸に描かれているんだってさ。
     だけど、こちらの画の方は、日の丸が、
     右腕に描かれているでしょ。
     なんでも、『知覧特攻平和会館』に、
     献画するために、
     『学徒出陣月光の曲秘話』
 
     と言う題名で、退官、1年後に、
     ここに納められたんだって。」 Img_0592
(ペン)「ふぅ~ん。
     そうなんだぁ。
     ピアノや、絵画、そして、詩。
     みんな、芸術繋がりなんだね。
     芸術は、世界共通!      芸術は、世界平和に繋がる!
     そして、芸術は、みんなを、幸せにして、
     心豊かにしてくれるものね。
     ここに展示されているのには、
     とっても深い意味があるんだね。」
(ハム)「うん。
     今のペンの話には、大納得だよ。
     とっても、感心しちゃった!」
(ペン)「俺だってぇ、考える時には、
     しっかりと考えるのさ。
     困った時には、任せてくれよぉ~!
     よっしゃぁ~!
     次も、安心してもらって、大丈夫!」
(ハム)「あぁ~あ。
     折角、良い感じだったのになぁ。
     この軽さが、無ければなぁ。
     とっても、良いのになぁ。」
(ペン)「ん゛?
     何か言ったぁ?」
(ハム)「いいや。
     別にぃ!」
(ペン)「あ゛っ、そう?
     じゃぁ、次、行ってみよぉ~!」
(つづく・・・。)
皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

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2018年7月23日 (月)

『超~、激混み!』(^^;

(薩摩半島 訪問 : その45)
(※注:平成30年 5月 4日(金・祝)の記憶です。)
おはようございます!(^o^)/
【超~、激混み!】(^^;
(ペン)「運転手さん。
     車を、停められたのかなぁ。
     『先に、行って、入館してて。』
     って、言っていたけどさぁ。」 Img_0565
(ハム)「駐車場への道路は、渋滞してたし、
     駐車場の入口には、『満車』って、
     表示板が出てたしね。
     何か、裏技でもあるのかなぁ。」
(ペン)「タクシー専用の、駐車場が、あるとか?」
(ハム)「それはぁ、ないと思うよ。
     あったらさ。
     そこに、先に行くでしょ。」 Img_0566
(ペン)「そりゃそうだ。
     おっとぉ。
     『ミュージアム知覧』、だって。
     ここは、なんだろうね。」
(ハム)「ん゛~、そこは、予定には、入っていないなぁ。
     それに、おデブ隊長も、よく知らないみたい。」
(ペン)「ふぅ~ん。
     だけど、気になっちゃうじゃん!」
(ハム)「全くもう!
     しょうがないなぁ。
     えっとね。
     『ミュージアム知覧』なんだけど、
     平成5年(1993年)に、
     南薩摩の文化を紹介するために、
     歴史資料館として、開館したんだって。
     それで、特に、南の琉球文化と、      北の大和文化が、
     交錯して発展した、知覧文化の姿に、
     焦点を当てているんだって。
     あと、薩摩藩が、『浄土真宗』を、
     弾圧したんだけど、それに抵抗した、
     『隠れ念仏』についても、紹介してるんだって。
     それから、館内は、音と映像を駆使して、
     『民族の比較』・『武家屋敷群』・『知覧城址』
     なども、紹介しているんだってよ。」
(ペン)「へぇ~、そうなんだぁ。
     そう言えばさぁ。
     指宿市にもあったよね。
     なんて言う名前だったけぇ?
     忘れちゃったけど、一部が、『西郷どん館』に、
     なっていたよね。
     ここにも、『西郷どん』を、
     展示してあるのかなぁ。」
(ハム)「だからぁ!
     例え、『西郷どん』が、展示されていたって、
     ここは、予定に入っていないの。
     目的地じゃないの。
     それに、『ミュージアム知覧』に、
     寄り道なんかしちゃったら、時間が、      どんどんと、
     無くなっちゃうじゃん!」
(ペン)「う゛~。
     そんなに、捲し立てなくったっても、      良いじゃん。
     ちょっと、興味が、湧いただけなんだからさぁ。
     お゛~!
     『ホタル』だってよ!」 Img_0567
(ハム)「ほう!
     なぁ~るほどぉ!」
(ペン)「どしたの?」
(ハム)「ほら、『戦闘指揮所』跡には、
     『俺は、君のためにこそ死ににいく』
     の、石碑が、あったじゃん。
     それで、『ホタル』の方は、
     パネルだけだったじゃん。
     もし、二つの映画の石碑を、
     同じ場所に建てちゃったらさ。
     何となくだけど、競っている様で、
     おかしくなっちゃうと思わない?」
(ペン)「まぁ、そう言われれば、そうかもね。」
(ハム)「それに、『ホタル』の方が、
     公開が早かったからさ。
     きっと、ここに、建てることができたんだよぉ。
     パネルだけの紹介だなんて、随分と、
     おかしいと思っていたんだよぉ。」
(ペン)「ということはぁ。
     『俺は、君のためにこそ死ににいく』
     の方が、遠慮をしたってことなのぉ?」
(ハム)「まぁ、それはあるかも知れないけど、
     『俺は、君のためにこそ死ににいく』
     の、石碑は、『戦闘指揮所』跡の方が、      やっぱり、
     似合う気がする。
     それにしても、『ホタル』は、
     随分と立派な石碑だよなぁ。
     驚いちゃった。」
(ペン)「ふぅ~ん。
     ハムはさ。
     いっつも、一匹で、感動し捲るから、
     よく解んないんだよなぁ。
     それで、これから、どうするの?」
(ハム)「とりあえず、運転手さんに、言われた通りに、
     会館に入るって。
     なんでもね。
     運転手さんは、『知覧特攻平和会館』には、
     何十回も来ているから、混雑していても、      俺達を、探し出せるんだって。
     もし、見付からなかったら、      おデブ隊長の携帯に、
     電話するってさ。」
(ペン)「りょぉ~かぁ~い。
     でもさ。
     あの、行列は、なぁ~に?」
(ハム)「げぇ~!
     どうなっているのぉ?
     最後尾は、どこ?
     それに、一体、何列に並んでいるのぉ?
     混み過ぎだよぉ~!」
(ペン)「あれあれ?
     『きゃさりん副長。』、
     おデブ隊長の車椅子を押して、
     行列の先に行っちゃったよぉ。
     一体、どうすんのかなぁ?」
(ハム)「あ゛っ!
     ほら、あそこに、
     『身体障害者の方は、
      こちらにお申し出ください。』
     って、書いてあるじゃん。
     だから、そっちの、
     事務所のカウンターに回ったんだよ。」
(ペン)「ほう!
     なぁ~るほど。
     それで、運転手さんは、どうするのかなぁ。」
(ハム)「えっとね。
     今回は、個人タクシーでしょ。
     それで、なおかつ、チャーターして、
     観光に回っているでしょ。
     だから、そう言う時に使うことができる、
     入館パスを、持っているんだって。
     つまり、ノープロブレムで、何も、
     気にしないで良いってさ。」
(ペン)「それまた、凄いね。
     でもさ。
     この館内も、凄くない?
     ロビーが、人だらけで、それに、全く、
     人が動かないから、空調が効かずに、
     蒸し暑く感じるよ。」
(ハム)「それは、確かに言えてる。
     それに、こんなに大量の人がいると、館内の、
     どこに行ったら良いのか、さっぱり、
     判らないよね。」
(ペン)「お゛っ!
     『きゃさりん副長。』が、戻って来た。」
(ハム)「なんでもね。
     色々と、説明を受けたんだけど、第一に、
     『館内は、撮影禁止!』
     なんだって。
     それだけは、厳守してって。
     あと、一応、お勧めの、
     順路みたいなものがあるんだけど、今日は、
     混雑しているし、車椅子だし、無視して、
     空いているところから、巡ってください。
     と言うことなんだって。」
(ペン)「果てさて、困ったねぇ。
     おデブ隊長と、『きゃさりん副長。』は、
     どうするのかなぁ。
     運転手さんを、待つのかなぁ。」
(ハム)「おっとぉ!
     今、館内放送で、
     『講話室で、ビデオ放映をします。
      お時間は、30分程度でございます。』
     って、放送があったじゃん。
     おデブ隊長と『きゃさりん副長。』は、      どうやら、
     それを観に行く様だよ。」
(ペン)「え゛~!
     それじゃぁ、運転手さんと、
     逢えなくなっちゃうけど、それでも、      良いのぉ?」
(ハム)「とりあえず、『きゃさりん副長。』が、
     座りたいんだって。
     『知覧飛行場』跡とかで、      かなり動き回ったから、
     疲れちゃったんだって。
     それに、人の波に揉まれるのも、      嫌なんだって。」
(ペン)「そっかぁ。
     それじゃぁ、仕方ないよね。
     ところでさぁ。
     『講話室』って、どこなのぉ?」
(ハム)「一番奥の、左側。
     北西の位置!」
(ペン)「ん゛~もう!
     そんなこと言ったって、全然、判んないよぉ。」
(ハム)「おっと!
     あまり、時間が無いみたい。
     急げや、急げ!」
(ペン)「ハァハァ、やっと着いたぁ~!
     ところで、どんな内容のビデオなの?」
(ハム)「えっとねぇ。
     ゴールデンウィーク中だけの、
     企画展みたいなんだ。
     内容は、知覧飛行場の成り立ちと、      特別攻撃隊が、
     どうして編成されたのか。
     特別攻撃の様子。
     それから、特攻隊員の、
     出撃までの様子などなんだって。」
(ペン)「そうなんだ。
     俺が、観ても解るのかなぁ。」
(ハム)「とりあえず、30分に、      まとめたものだってから、
     解り易いんじゃないのかなぁ。
     お゛っ!
     ビデオが、始まるよ。」
(つづく・・・。)
皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

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2018年7月22日 (日)

『2トンって!』(^^;

(薩摩半島 訪問 : その44)
(※注:平成30年 5月 4日(金・祝)の記憶です。)
おはようございます!(^o^)/
【2トンって!】(^^;
(ペン)「おやおやぁ。
     なんだか、住宅街に、入って来ちゃったよぉ。」
(ハム)「そうだね。
     それにしても、みんな、生垣が高くってさ。
     旧い家が、多いのかなぁ。」
(ペン)「生垣の中は、当然、観得ないんだけどさ。
     何となく、立派な家が、多そうだよね。」
(ハム)「うん。
     何か、歴史を感じる。」 Img_0561
(ペン)「ところでさぁ。
     さっきから、交差点とかにさぁ。
     石碑って言うかぁ、石板みたいなものが、
     あるんだけど、あれは、なんだろうね。
     それに、消火栓にしては、随分と、
     細い様に感じるんだけど、でも、消火ホースを、
     繋げることが、できる様な感じになっている、
     水道管みたいなものが、立っているんだけど、
     あれは、なんなんだろうね。」
(ハム)「おお゛~!
     ペンの、観察眼が、働き出したなぁ。
     ちょっと、待って。
     運転手さんに、聞いてみるから。」
(ペン)「うん。
     分かったぁ。」
(ハム)「んとね。
     それらが造られた時代は、戦前、戦中、戦後、
     いずれかは、判らないけれど、両方とも、
     『知覧町』時代の、ものじゃないのかって。」
(ペン)「んん゛?
     だけどさ。
     今いるところは、『知覧町』じゃぁないのぉ?」
(ハム)「えっとね。
     『知覧町』は、歴史が古くって、
     『薩摩の小京都』とも、呼ばれているんだって。
     それでね。
     明治の頃は、『知覧村』、昭和の初期に、
     『知覧町』に、なったんだって。
     だけど、平成19年に、合併して、
     『南九州市』に、なっちゃったんだって。」
(ペン)「あれま!
     またまた、合併なのぉ?」
(ハム)「うん。
     あと、『南さつま市』も、合併で、
     できたんだよ。」
(ペン)「なんともまぁ、そこら中、目茶苦茶、
     合併し捲ってんじゃん!」
(ハム)「でもね。
     そのお陰で、道路などが、
     どんどんと良くなっているしさ。
     合併は、正解だったみたいだよ。」
(ペン)「ふぅ~ん。
     そうなんだ。
     その、合併の話は、解かったんだけどさ。
     『知覧町』と、『南九州市』の関係は、
     どうなったのさ?」
(ハム)「あ゛~、ごめん、ごめん。
     さっきの、石碑と言うか、石板は、
     案内看板なんだって。
     でももう、文字が、読めなくなっているものも、
     あるんだって。
     それと、消火栓は、消火栓なんだけど、水量が、
     少な過ぎて、今では、役に立たないんだけど、
     使えるには、使えるんだって。」
(ペン)「ふぅ~ん。
     解った様な、解からない様な、結局、
     よく解んないぞぅ。」
(ペン)「あのね。
     『知覧町』の、歴史のこともあるんだけど、
     『知覧飛行場』の、歴史とも、
     関係があるんじゃないのかって。」
(ペン)「え゛~、それって、どう言うことぉ?」
(ハム)「えっとね。
     まず、『知覧飛行場』が、出来上がったのが、
     『昭和16年(1941年)12月』、      なんだって。
     そして、終戦を迎えて、『特攻の母』の、
     『鳥濱トメ』さんが、尽力して、
     『特攻平和観音堂』が造られたのが、
     『昭和30年(1955年)9月』。
     それから、『知覧特攻平和会館』は、最初は、
     『知覧特攻遺品館』って言って、
     『昭和50年(1975年)3月』に、
     開設されたんだって。
     その後、『昭和60年(1985年)』から、
     2年間掛けて、『知覧特攻平和会館』を、
     建設しつつ、      遺品の、整理・収集・保存・展示も、
     しつつ、資料の、調査・研究・保存などを、
     行ってたんだって。」
(ペン)「なんだか、壮大な話しになってきちゃったけど、
     それが、どう関係してくるのぉ?」
(ハム)「あのね。
     今言った施設は、ぜぇ~んぶ、
     『知覧町』が造って、なおかつ、
     管理してたんだよ。
     その上、『知覧飛行場』の跡地の、整備も、
     みぃ~んな、『知覧町』が、してたんだって。
     だから、さっきの『戦闘指揮所跡』の、      石碑には、
     『知覧町』の名前が、刻まれていたじゃん。」
(ペン)「ちょっと、待てよぉ。
     と言うことはぁ。
     『知覧町』が、ぜぇ~んぶ、
     単独で行ったってことぉ?
     だったら、超~、大変じゃん!」
(ハム)「うん。
     勿論、外部からの支援も、      あったらしいんだけどさ。
     一見、貧弱そうに観得る石板も、
     大変な苦労をして、      建てたんじゃないのかって。」
(ペン)「そっかぁ。
     そうだよなぁ。
     いくらさ。
     飛行場の名前に、『知覧』が、
     入っているからって言ってもさ。
     それで、責任重大って、
     ことになっちゃったのかなぁ。」
(ハム)「だけどもね。
     やっぱり、『鳥濱トメ』さんの、想いが、
     とっても強く、その想いが、
     人々を動かしたんじゃないのかって。」 Img_0562
(ペン)「強い想いかぁ。
     ありゃりゃ?
     おデブ隊長達、いつの間にか、飛行機の前で、
     写真なんか撮ってるぜ!」
(ハム)「『掩体壕』だね。」
(ペン)「あれま!
     いつの間に、着いたのぉ?
     それにしてもさ。
     随分と、綺麗なところじゃん。
     俺はさ。
     『掩体壕』は、戦闘機を隠すところって、
     聞いていたから、藪の中とかさ。
     もっと、薄暗いところかと思ってたよ。」
(ハム)「あのね。
     ここはね。
     今は、『掩体壕公園』って、言うんだって。」
(ペン)「げぇ~!
     公園なのぉ?」
(ハム)「うん。
     そうなんだ。
     さっきさぁ。
     『知覧町』とか、『南九州市』の、
     話しをしてたじゃん。
     それでね。
     『南九州市』になってから、
     『知覧飛行場跡地』の、
     新たな整備を始めたんだって。
     まずは、さっき、ペンが判らなかった、
     案内の石板とか、碑などを、
     新しい石碑・石板などに、
     置き換えて行ったんだって。
     そして、どうしたら、平和への、
     学習効果が得られるか、
     『知覧特攻平和会館』と連携して、
     公園化もしたんだってさ。」
(ペン)「そうなんだぁ。
     だけど、公園が、綺麗過ぎちゃって、
     実感が、全く、湧かないなよぁ。
     これで、学習効果が得られるのかなぁ。」
(ハム)「ん゛~!
     そうは言ってもさ。
     あまりにも、リアル過ぎても、
     良くないんじゃない。
     それと、当初は、戦闘機は、
     置いてなかったんだってよ。」 Img_0563
(ペン)「え゛~!
     そうなのぉ?
     じゃぁ、今置かれている『隼』は、      なんなのぉ?」
(ハム)「映画で使われた、レプリカだって。
     それを、譲り受けたみたいだよ。」
(ペン)「ふぅ~ん。
     そうなんだぁ。
     確かに、『隼』が、置かれているのと、
     置かれていないのとでは、全く、
     感じが違うものね。
     左奥には、櫓があるけど、あれは、
     上から観るためのものだよね。」 Img_0564
(ハム)「そうなんだけどさぁ。
     運転手さんが、言われるには、
     『土塁が、低過ぎる!』
     って、ことなんだ。」
(ペン)「ん゛?
     それって、どう言うことぉ?」
(ハム)「実際はね。
     土塁の高さは、4m以上も、あったんだって。
     だから、通常では、
     『正面以外からは、絶対に、
      (『隼』は)観得る訳がない。』
     って、ことらしいんだ。」
(ペン)「4m以上?
     それって、どの位の高さなの?」
(ハム)「えっとね。
     2階建ての家で言うと、地面から、
     2階の床までが、3mぐらいで、2階の屋根が、
     6mぐらいなんだって。」
(ペン)「と言うことはぁ。
     おデブ隊長の家の、2階の床より、
     ちょっと高いってことぉ?
     だったらさぁ。
     確かに、ここの土塁は、低過ぎだよね。」
(ハム)「でもね。
     運転手さんが、
     『教育的効果を持たせるためだから、
      雰囲気を掴んで、       『掩体壕』を理解させるには、
      これでも、仕方がない。』
     そうだよ。
     それと、もう一つ。
     ペンは、『隼』の重量は、どのくらいか、
     想像できる?」
(ペン)「え゛~!
     いいなり、なんだよぉ。
     飛行機ってさ。
     軽くないといけないんだよね。
     おデブ隊長の車が、約1.5トンだから、大体、
     そのくらい!」
(ハム)「お゛~!
     やるじゃん!
     いい線、行ってるよ。」
(ペン)「やったぁ!
     正解なの?」
(ハム)「えっとね。
     運転手さんのお話しだと、
     機関銃などの装備を着けないで、約2トン。
     全装備を着けると、約2.6トンなんだって。」
(ペン)「惜しいなぁ。
     もうちょっと、だったのにさ。
     って!      戦闘機って、そんなに重たいのぉ?
     それで、よく飛ぶもんだよね。」
(ハム)「そうなんだよねぇ。
     ところでさ。
     『隼』は、ここから、飛行場まで運んで、また、
     ここまで、運んで来た訳じゃん。」
(ペン)「あ゛~!
     そうだったぁ。
     と言うことはぁ。
     ここの、小高い丘まで、
     坂道を登って来たってことぉ?
     そんなの、大変過ぎじゃん!」
(ハム)「さっきさ。
     運転手さんが、牛とか、馬とかも、
     使ったって言ってたでしょ。
     それでも、超~、
     大変だったんじゃないのかなぁ?」
(ペン)「そうだよね。
     坂道を、直登すれば、      とっても力が必要だろうし、
     第一、ここまで来るのに、幾つものカーブが、
     あったじゃん。」
(ハム)「そう!
     そこなんだよねぇ。
     運転手さんが、
     『確かに、『掩体壕』の学習も必要だけど、
      『隼』を、どの様に運んだのか?
      どれだけ、当時の人達が、苦労をしたのか?
      空襲時に、どの様な対応をしたのか?
      『隼』を、どの様に守り抜き、どれだけ、
      大事にしていたのか?
      その点も、学習して貰いたい。』
     って、言ってるんだよ。」
(ペン)「そっかぁ。
     2トンの『隼』だもんなぁ。      本当に、どうやって運んだんだろう? 
     確かに、そう言う学習も、      必要かも知れないね。」
(ハム)「うん。
     だからさ。
     運転手さんの、お話しは、
     しっかりと聴いておこうぜ!
     それで、俺達も、色々と、考えてみようぜ!」
(ペン)「うん!
     分かった。
     そうするよ!」
(つづく・・・。)
皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

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2018年7月21日 (土)

『広過ぎでしょ!』(^^;

(薩摩半島 訪問 : その43)
(※注:平成30年 5月 4日(金・祝)の記憶です。)
おはようございます!(^o^)/
【広過ぎでしょ!】(^^;
(ペン)「それにしてもさ。
     運転手さん。
     物凄く、物知りだよね。」
(ハム)「そうだよね。
     それにさ。
     話に、どんどんと、力が入って、      熱いんだもん!」 Img_0557
(ペン)「確かに、それはある!
     ところでさぁ。
     ここの看板に、
     ・『三角兵舎跡 1km』
     ・『山砲座跡 1.8km』
     って、あるんだけどさぁ。
     これらは、なんなのぉ?」
(ハム)「さっきさぁ。
     知覧飛行場が、空から観ても、
     判らない様にしてたって言ってたじゃん。
     つまりぃ、飛行場内には、何も、
     施設を造らなかったってことなんだ。
     『三角兵舎』は、半地下式の、
     特攻隊員の宿泊施設。
     『山砲座』は、高射砲の設置座、なんだよ。」
(ペン)「と言うことはぁ、みんな、飛行場の外から、
     この辺りまで、通っていたってことなのぉ?」
(ハム)「うん。
     そう言うことに、なるよねぇ。
     それも、燃料が無かったから、歩きでね。」
(ペン)「げぇ~!
     それって、物凄く大変じゃん!
     俺なんか、歩くのが、とっても苦手だから、
     途中で、挫けちゃうよぉ。」
(ハム)「でもね。
     もっと、もっと、遠くにあった施設も、
     あったんだよ。
     ・『対空無線通信施設』
     ・『第3攻撃集団の司令部』
     ・『大刀洗陸軍航空廠知覧分廠(整備工場)』
     ・『陸軍病院』
     など、なんだけど、一番大変だったのが、
     『掩体壕』なんだって。」
(ペン)「えんたいごう?」
(ハム)「うん。
     この後、観に行くんだけど、航空機個別の、
     格納施設なんだ。
     さっきも言ったけど、ここには、
     管制塔が無かったじゃん。
     それと同じ様に、格納庫も無かったんだ。
     と言うかぁ、元々は、あったんだけどね。」
(ペン)「え゛~?
     格納庫があったけど、無くなったって、一体、
     どう言うことぉ?」
(ハム)「えっとぉ。
     『知覧飛行場』はね。
     元々は、『大刀洗陸軍飛行学校』の、
     『分教場』だったんだ。
     だから、教育、訓練を担い、当初は、
     『赤とんぼ』と呼ばれた、
     複葉機の練習機しかなかったんだ。
     それがね。
     太平洋戦争の、各地での敗退と共に、
     本土決戦を視野に入れて、『知覧飛行場』は、
     『知覧特攻基地』に、なっちゃったんだよ。」
(ペン)「と言うことはぁ?
     格納庫があったら、ヤバかったってことぉ?」
(ハム)「そうなんだよ。
     もし、航空機が、一杯、      格納されている格納庫を、
     攻撃されたら、壊滅しちゃうじゃん。
     だからさ。
     とっても面倒なんだけど、
     4mぐらいの高さの土塁を、コの字型に造って、
     そこに、航空機を格納したんだ。
     それで、木々や葉っぱで、覆ってしまえば、
     航空機を隠すことができたんだ。」
(ペン)「でもさぁ。
     一機ずつなんでしょ。
     それも、飛行場の外なんでしょ。
     どの位の距離を、どうやって、
     航空機を運んだのさ?」
(ハム)「えっとね。
     距離は、1km~2kmで、      まちまちなんだって。
     運搬は、人力とか、馬や、牛に、
     曳かせたりもしたんだって。
     特に、これから行く所は、坂の上にあったから、
     大変だったろうってさ。」
(ペン)「どっひゃぁ~!
     そりゃ、大変に決まってんじゃん!
     それに、その運搬は、毎日、      やっていたんでしょ。
     全く、想像できない!」
(ハム)「確かにぃ、俺も、想像はできない。
     でもね。
     当時の人達は、みんな、日本国の勝利を、
     信じていたんだよ。
     だから、苦労を、苦労と、
     思わなかったんじゃないのかなぁ。」 Img_0558
(ペン)「でもなぁ。
     そうは言ってもなぁ。
     納得は、できないよなぁ。
     ところでさ。
     ここに、『靖国の桜』・『神戸大学』って、
     あるんだけどさぁ。
     これは、なんだろうね?」
(ハム)「んとね。
     これはねぇ、運転手さんも、
     よくは知らないんだって。
     それでね。
     知覧町は、合併して、      南九州市になったんだけど、
     そこの担当者や、観光協会の人達も、
     誰も何も知らないし、判らないんだって。
     ただ、運転手さんが言うには、
     『桜の木は、その名の通り、靖国神社から、
      頂いて来たのでしょう。
      神戸大学と言うのは、『石原慎太郎』が、
      神戸生まれで、『石原慎太郎』の、
      ファンクラブか、研究サークルが、
      あるのかも知れませんね。
      その輩が、植えたのかも知れませんね。』
     だって!
     でもまぁ、本当に、判らないんだってさ。」
(ペン)「そうなんだぁ。
     でもさ。
     いくら『靖国の桜』でも、
     勝手に植えちゃって良いのかなぁ?
     それに、南九州市の担当者の方々が、
     誰も何も知らないなんて、
     とんでもない話だと思うよ。
     ただ、流石の運転手さんでも、
     判らないことがあるんだぁ。
     それを聴いて、ちょっと、
     ホッとした気持ちになってしまったのは、
     なぁ~ぜ?」
(ハム)「まぁ、運転手さんだって、そう言う時が、
     あったって良いじゃん。
     その方が、お互いに、気楽になれるしさ。」 Img_0559
(ペン)「それにしてもさ。
     ここは、よく観てみると、本当に、
     だだっ広いよねぇ。
     どこまでも、平らな気がする。」
(ハム)「そうだね。
     それに、目立つ様な、高い山も無いよね。
     だからこそ、飛行場に適していたんだね。」
(ペン)「うん。
     視界が、十分に拓けているって言うか、
     これならば、管制塔なんて、
     要らない様な気になっちゃう。」
(ハム)「もし、仮にさ。
     飛行場として遺っていたら、物凄く、
     でっかい空港になっていたかも知れないね。」
(ペン)「え゛~?
     そう言うことを言うのぉ?
     さっきはさぁ。
     飛行場が無くなったことが、
     『平和のシンボルだ!』
     ぐらいのことを言っていたのにさ。
     なんか、おかしくなくない?」
(ハム)「あ゛~、そうだったね。
     ごめん、ごめん。」 Img_0560
(ペン)「ところでさぁ。
     さっきから、運転手さんと、おデブ隊長がさぁ。
     『俺は、君のためにこそ死ににいく』
     の、石碑の前でさぁ。
     滅茶苦茶、何か話し込んでいるんだけどさぁ。
     一体、何を、話しているんだろうねぇ。」
(ハム)「なんでもね。
     あの石碑の形が、
     知覧飛行場の形に似ているんだって。」
(ペン)「え゛え゛~!
     そうななのぉ?」
(ハム)「うん。
     なんでもね。
     下側が、東で、左側が、南側なんだって。」
(ペン)「するってぇとぉ、ひょっとして、右上に、
     長く伸びているのはぁ~!」
(ハム)「そう!
     『主滑走帯』!」
(ペン)「あ゛~!
     やっぱりぃ!」
(ハム)「それで、飛行場の、色々な跡地を、
     観て周っていると、      時間が無くなっちゃうかから、
     今回は、『掩体壕』だけ、観に行くんだって。
     その他の場所は、ここで、大体の、
     位置関係を説明しておくんだって。」
(ペン)「ひょぇぇ~!
     そんなので、おデブ隊長は、      大丈夫なのかなぁ?」

(ハム)「実はね。
     おデブ隊長、さっき、元自衛官ってことを、
     運転手さんに、言っちゃったんだ。
     おまけに、職種が、
     『陸上航空』だったってことも、
     言っちゃったんだ。」

(ペン)「あれまぁ~!
     やっぱり、おデブ隊長、お喋りなんだよなぁ。」
(ハム)「それで、運転手さんも、熱が入っちゃって、
     かなりの場所を、説明しているんだよ。」
(ペン)「そうなのぉ?
     それで、どんな場所なのぉ?」
(ハム)「えっとね。
     時計回りで、
     ・出発線の碑
     ・対空無線通信施設跡(飛行場外)
     ・集団司令部跡
     ・三角兵舎跡
     ・集団司令部兵舎跡
     ・対空無線通信施設跡(飛行場内)
     ・なでしこ隊見送りの地
     ・掩体壕
     ・対空監視所跡
     ・中継無線機地跡
     ・山砲座跡
     ・知覧駅跡
     ・陸軍病院跡
     なんだけどさぁ。
     『山砲座』は、幾つかあったんだけど、今は、
     『猿山』と言うところだけに、
     遺してあるんだって。
     それと、『知覧駅跡』と、『陸軍病院跡』は、
     『知覧特攻平和会館』の見学後に、車で、
     通過するって。」
(ペン)「んげぇ~!
     話を聴くだけじゃぁ、何にも判らないし、
     それに、第一、何も覚えられないよぉ。
     おデブ隊長、本当に、覚えてんのかなぁ?」
(ハム)「まぁ、多分、覚えてんじゃないの。
     航空科職種的には、相当な、もの好きだからさ。
     あとね。
     『知覧特攻平和会館』に行って、そこで、
     復習するみたいだよ。」
(ペン)「ふぅ~ん。
     いくら、記憶力が良いからって言ってもさ。
     限界ってものがあるじゃん。
     一体、おデブ隊長の、頭の中は、
     どうなってんのかなぁ。」
(ハム)「おデブ隊長は、身体障害者になってから、
     記憶力が増したみたいだよ。
     何せ、片手しか使えないし、
     じっとしていることもできないし、
     動かなくったって、直ぐに疲れちゃうじゃん。
     だから、片手じゃ、ページをめくれないし、
     直ぐに、眼も疲れちゃうから、本や、
     新聞を読むことが、億劫になっちゃったんだ。
     それで、集中力を高める様にして、極力、
     その場で覚えて、忘れない様に、パソコンに、
     打ち込んでいるみたいだよ。」
(ペン)「なんだかなぁ。
     そっちの方が、とっても、
     疲れる様な気がするんだけどもなぁ。」
(ハム)「まぁ、やり方は、人それぞれだからさ。」
(ペン)「おんやぁ?
     おデブ隊長、今度は、      『枕崎ヘリポート』なんて、
     言い出してるぜ。」
(ハム)「そっかぁ。
     『枕崎ヘリポート』かぁ。
     きっと、おデブ隊長、遊覧飛行か、
     その様なものが、何かないか、
     聞いているんだよ。」
(ペン)「遊覧飛行~?」
(ハム)「ほら!
     枕崎駅から、こっちに向かって来る時に、
     お茶畑の手前辺りで、案内看板が、
     出ていたじゃん。
     それを、おデブ隊長が、運転手さんに、
     聞き捲っていたじゃん。」
(ペン)「え゛~?
     そうだったっけぇ?」
(ハム)「それで、運転手さんが、
     『昔は、『枕崎空港』だったんです。
      滑走路もあって、地方空港として、
      鹿児島空港や、離島などと、
      定期便があったんです。
      でも、利用者が少な過ぎて、
      大赤字を出してしまい、滑走路は、
      メガソーラーの会社に貸してしまって、今は、
      ヘリポートだけなんです。
      それでも、鹿児島空港とは、       ヘリの不定期便が、
      あったんですが、それも、無くなってしまい、
      今は、防災基地になって、ヘリが、       1機ぐらい、残ってたかなぁ。』
     って、言ってたじゃん!」
(ペン)「げぇ~!
     ハムは、そんなことを覚えているのぉ?
     俺には、全く、記憶がない!」

(ハム)「だからさ。
     おデブ隊長は、飛びたいんだよぉ。
     ここの空を、飛んでみたいんだよぉ。
     それで、上空から、『知覧飛行場』を、
     観てみたいんだよぉ。」
(ペン)「そっかぁ!
     なぁ~るほどぉ。
     そうすれば、一目瞭然、ってことかぁ。
     あれれ?
     運転手さんの様子が、何か、変だよ。」
(ハム)「もしかして!
     おデブ隊長、やっちまったかも!」
(ペン)「え゛~、どうしたのぉ?」
(ハム)「あのね。
     運転手さんが、
     『ここは、鎮魂の地なんです。
      様々な場所に、特攻隊員を含め、
      様々な人々の魂や、想いが、