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2010年2月 7日 (日)

『物知りな少年。』 (小学校3年生 ⅩⅤ)

旧家の前の坂を下って行くと、そのどん詰まりには、美容院があった。

私の家の周辺、と言っても、かなりの広範囲になってしまうが、その範囲に住んでいた女性達は、殆どが、その美容院を利用していた。

男性達はと言うと、国道1号線の旧道沿いにある、理容所を使っていた。

その理容所は、私の家からは、300m程の、道程の所にある。

今もその場所に、所在をしている。

当時の住宅は、その、国道1号線の旧道の両脇に、密集をしていた。

また、郷社八幡神社と言う、やや大きな神社があるが、その周辺にも、固まっていた。

私の旧家はと言うと、柿田川の辺へと、続く坂道の途中にあった。

柿田川の辺もまた、住宅が集まっている場所であった。

その、住宅が密集している中でも、その理容所は、一軒だけであった。

結局、その周辺に住んでいる男達は、殆どの人間が、その理容所を利用していた事になる。

私の祖父も、父親も、そして叔父達も、みんなみんな、その理容所のお世話になっていた。

ある種、一つの集会所の様な役割も、果たしている様に思った。

私は?

と言うと、とてもではないが、理容所などと言う特別な場所を、利用することなどはできなかった。

鋏の様に使う、手動バリカン。

それが私の、理容所であった。

幼い頃は、叔父達が面白がって、よく丸刈りにしていてくれたそうである。

但し、手動バリカンの刃を研ぐのは、とても難しかったらしい。

だから私の頭は、叔父達の楽しみが終ると、血だらけに、なっていたらしい。

また、無理矢理、髪の毛を引っ張ったりもしたので、禿げてしまっていた部分も、あったそうである。

全く、お洒落などと言うものとは、縁が無かった様である。

それでも、当時は、それが通常であったらしい。

大体、何処の家庭も、その様な感じであったと聞く。

ただ、四男の叔父を残して、叔父も叔母も居なくなってからは、私の理容所は、母親へと変わった。

母親が、どうやら、であるが、坂下の美容院から、古くなった美容用の鋏を貰って来て、それで、散髪をした。

妹達は、完全に、おかっぱ頭、であった。

母親が、ちょきちょきと、髪の毛の長さを揃えて行く。

本当に、サザエさんに登場して来る、ワカメちゃん、そのものであった。

私はと言うと、前髪などは、妹達と同様に、切り揃えられた。

だけれども、どうにも、刈り上げる事ができない。

銀色をしていた手動バリカンも、随分と、赤茶けて来ていた。

それでも母親は、無理矢理、髪の毛を、引き千切っていた!

後ろ髪や、即頭部などは、髪の毛の長さが、揃う訳が無い!

後頭部などは、髪の毛の長さがバラバラの上、血だらけになっている。

その上、髪の毛の裾も揃える事はできずにいた。

産毛を、かみそりで、剃る事もできなかった。

流石に私も、我慢ができずにいた。

ある日、確か日曜日だったと思ったが、祖父が、

『床屋さんに、行こう。』

と、私を呼んだ。

お金は無い。

母親が、到々、諦めたのだ!

そして私は、理容所デビューを、果たす事になる。

祖父は、相変わらず、自転車を牽いていた。

祖父は大体、何処に出掛けるにしても、自転車と共に、であった。

祖父は、自動車の運転免許は持っていなかったと思った。

それに取得をするにも、もう、随分と、高齢であったと思う。

とにかく、祖父の足は、自転車であった。

祖父と、とぼとぼと、歩いて行く。

理容所に向かって、歩いて行く。

但し。

その理容所であるが、旧道の、殆ど90度近く曲がっている道路の、その直角部分にあった。

一直線の道路ならば、見通しが利いて、まだ、横断をし易い。

また、横断歩道も、あった事であろう。

曲線を描いて、見通しの悪い所などには、まず、横断歩道などと言うものは、存在をしない。

それに当時は、まず、車が止まってくれなかった!

当時は、高度経済成長期の、終わりに差し掛かっていた頃であろうが、とにかく、車優先であった。

歩行者などと言うものは、全くの、無視であった。

子供達が、手を挙げようが、黄色い旗を振ろうが、そんな事は、お構い無しであった。

そして、その旧道であるが、幾ら旧道と言っても、交通量は、生半可なものでは無かった!

バイパスはあったが、それは、清水町内で、道路は終っていた。

新道もあったが、それも清水町内で、バイパスと、旧道と、合流してしまう。

結局、沼津市内では、国道1号線は、一本の道路になってしまうのである。

その合流地点まで行くのに、どの道が一番、空いているのか?

それを競う様に、車達は、スピードを上げ、歩行者の、道路横断を阻止し、ブレーキが踏まれる事は、まず無かった。

要は、理容所へ行くのには、『危険地帯』が、あった訳である。

従って、祖父が散髪に行く時に、一緒に、散髪に、向かうしか無かった。

祖父は、物の見事に、禿げ上がっていた。

綺麗に、月代が出来上がっていた。

散髪に行くと、いつも思った。

『一体全体、何処をきるのだろう?』

私は最初に、頭を洗ってもらった。

そして、椅子に座るのであるが、私は、背が低かった為に、そのままでは、椅子に座る事はできなかった。

かさ上げをする為の、補助椅子があり、それに、抱き抱えられる様にして、座らされた。

白い、マントの様な物を首に巻き付けられ、そして、散髪が始まって行く。

ちょきちょきと、軽快な鋏の音が、鳴り響く!

そうして、正面の鏡を観てみると、母親の理容所とは、比べ物にならないほどに、襟足が、整えられて行く。

そうして、馬の皮で、かみそりが、シャッシャッっと、研がれる。

それでまた、襟足の産毛が、何の痛みも無く、血も出ず、綺麗に無くなって行く。

この爽快感は、一体全体、何だろうと、私は、しきりに思ったものである。

大体、私が先に、散髪をして貰った。

ほぼ同時か、それより後から、祖父が、散髪をしてもらっていた。

もらっていた、のであるが!

どうしても、祖父の方が、時間が掛かってしまう!

どうしてなのだ!

髪の毛が何も無いのに、どうして?

私は本当に、不思議でならなかった。

私は、祖父を待つ事になる。

ただ、ここで、誠に有り難かったのは、観たことも無いような漫画本が、待合席に、山の様にあった事である。

『少年マガジン』・『少年サンデー』・『少年キング』などの漫画本が、ずらっと揃えられており、また、『少年ジャンプ』もあったであろうか?

とにかく私は、それらの本を、貪り読んだ。

ただそれらは、週刊誌であったので、前後が判らない!

その内に、漫画本との、お別れの時が来る。

私は再び祖父に連れられ、家路につく事になる。

散髪に行ったのに、後ろ髪を引かれながらであった。

何回目かの散発の時に、

『お兄ちゃん。うちの息子と、同級だろ?』

『いわお。知らない?』

と、突然、言われた。

暫くすると、鏡に、理容所内に出て来た少年の姿が映った。

そう言われれば、と、内心思った。

観たことがある。

でも、名前は知らない!

実は、知らない、のでは無くて、読めなかったのである。

『巌』くん。

私には、難し過ぎてしまって、到底、太刀打ちで切る様な、漢字では無かった!

私はこの時、初めて彼の名前を知った。

へ~え、いわお、って、読むんだ、と。

それまでは、名字しか知らなかった。

小学校から帰って来る方向は、大体、同じであった。

同じ、集団となって、帰ってくる時もあった。

直接、話をする事も無かったが、この時を境に、色々と、遊ぶ様になった。

理容所と言う所は、一種、社交場でもあると感じる。

そして、情報が集まり、またそれが、発信をされる場所でもあったと思う。

いわおくん。

彼は、本当に、様々な事を知っていたし、情報も持っていた。

また、説明も上手く、本当に、様々な事を、私に教えてくれた。

まず、漫画の本の事であった。

週刊とは、何ぞや?

それ以外にも、月刊誌がある。

今の作者で有名なのは、誰だとか、特に、『巨人の星』は、作者と漫画家が違うとか、手塚治虫は、こっちにもこっちにも連載を抱えているとか、本当に、詳しかった。

それに、野球にも、詳しかった。

週刊ベースボールを、開いて見せてくれて、野球選手の解説までしてくれた。

私は、とにかく、もっともっと、色々な事が知りたくて、いわおくんの所に、散髪以外で、遊びに行きたくて仕方が無かった。

しかしながらそれには、魔の旧道を、渡らなければならない!

でもそれは、直ぐに解決をした。

何と!

いわおくんに、旧道の渡り方を、伝授して貰ったのである。

彼は、その様な知恵も、身に付けていた。

ゴーカートのおもちゃがあった。

それが動かなくなっても、

『原因は、電池だ!』

と言って、電池交換をさりげなくしてしまう。

トランプも、婆抜きか、七並べぐらいしか私は知らなかったが、ポーカーなども教わった。

花札も教わった。

お店の中で、遊び過ぎていると、店主であるお父さんに、

『外で遊んで来なさい!』

と言われ、外に出るのであるが、

『よしっ!、一本松に行こう!』

と言って、私を連れ立って、外に出てくれた。

私は、私の家から200m程度の範囲の、田んぼのあぜ道は解っていたが、それ以上先の道は、全く解らなかった。

所が、たもを持ったいわおくんは、するすると、田んぼの間を、歩いて行ってしまう。

そして、小川に辿り着くと、

『見ててみな。ここに鮒がいるから。』

と言って、簡単に、鮒を捕まえてしまっていた。

私は、本当に、呆気に捕らわれていた。

とにかく、ただ単純に、彼に付いて行くだけで、必死であった。

地域の事も、本当に、多くの事を知っていた。

『八幡さんのお祭りは、○日で、智方さんのお祭りは○日で、次が伏見で、次が・・・。』

それに、

『ここは、○○さん家で、こっちは、○○さん、・・・。』

と言った、具合であった。

本当に、様々な事を、本当に、良く知っていた。

全くの、世間知らずであり、清水町内の事でさえ、何も解らなかった私にとっては、本当に、知恵袋と言うのか、羨望の眼差しであった。

ただ、それも、長続きはしなかった。

結局、世間知らずで、ただただ、彼の後を付いて行くだけでは、付いて来られる方に、飽きが来る。

それに、彼の遊び場は、範囲を広げていた。

遊びに行ってもいない事が多く、お父様に聞くと、私の、未知の領域に、遊びに行っているとの事であった。

私が、遊びの師匠に付き纏うのは、結局、自然消滅をして行った。

15歳で家を出てから、また地元に戻って来るまで、10年間。

その間は、当然、その土地土地の、理容所か、部隊内の理容所のお世話になった。

しかしながら、地元に戻って来てからは、再び、その理容所のお世話になっている。

私は、浮気はしない。

それに、やっぱり、地元にしっかりと根付いている老舗である。

祖父も、父親も、叔父達も、みんなお世話になって来た。

そこに行けば、当然の如く、気が休まるのである。

お父様は、今も現役で、しっかりとお店に立たれている。

ただ、代が代わり、今は、私の同級生が、店主となっている。

お店の名前も、『理容所』ではなくて、『ヘアーサロン』となっている。

それに奥様は、ネイルサロンも併設をして、女性のお客様も、多く観得ている様である。

地元に戻って来て、また行く事ができる場所。

そして、心が安らぐ場所が有ると言う事は、本当に、幸せな話である。

未来永劫、存続されることを、願いたいと思う。

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