カテゴリー「生い立ち」の3件の記事

2017年2月28日 (火)

『母親の独り言。』(^^;

おはようございます!(^o^)/



【母の独り言。】(^^;



「裏(スカウトハウス広場)の桜、枯れちゃうね。」


祖父は、温室園芸家で盆栽師でした。


父親は、田畑を耕しながらも、2級造園士でした。


父親が、一度だけ、私に言ったことがあります。


「千葉大学の園芸学科に行かないか。」


私は、それを振り切り、陸上自衛官の道を選びました。


「お父さんは、お兄ちゃん(私のこと)が、1級造園士になって、一緒に仕事をしたかったみたいだよ。」


「お父さんが生きていたら、あんな仕事は、絶対にしないし、させないのにねぇ。」


「あんた(私のこと)だって、元気だったら(左半身片麻痺の身体障害者でなかったら)、自分で、きちんと(剪定)やっただろうにねぇ。」


母親は、ボヤキ続けております。(^^;



皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/



http://art-sentei.com/2106.html

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2010年2月 6日 (土)

『悠久の時。』 (今現在)

旧家には、本当に、多くの、そして沢山の種類の木々が植えられていた。

松や梅・桜・楓・槙・榊・楢・檜・杉・楠・椚・ヒバ・ぶな・南天・椎・椿・柿・枇杷・ニッキ・百日紅・山茶花などなど、本当に、数え切れ無い程の、樹木が植えられていた。

座敷の南側には、小さな小さな、庭があったが、そこは、木々が生い茂ってしまっており、とてもではないが、入って行く事はできなかった。

一種、ジャングルの様でもあった。

家の北側も、樹木で覆われ、北側の斜面の土手が、見えなかった位である。

それにしても、どうやって、そんなに木々を、植える事ができたのであろうか?

それとも、それらの木が先にあって、その場所を、開墾でもしたのであろうか?

本当に、不思議である。

また、同じ木は少なく、殆どが、一本ずつであった様な、気もする。

いくら祖父が、園芸を営んでいたとは言え、あれだけの木々を、自宅の周りに、植えるはずも無いと思う。

だけれどもその真相は、誰にも、聞けなくなってしまった。

祖父の代の、以前からあったと言うから、もはや、無理な話である。

またその木々達も、今は、一本も残ってはいない。

旧家の跡地は、更地にされてしまった。

ただ、家を新築する際に、旧家から、何本かの木を、移し変えた。

しかしながら、祖父も父親も、

『根が付かないと、縁起が悪い!』

と、よく言っていた。

『枯れてしまうと、家が傾く。』

『実を付けるものは、良くない。』

『落葉樹も避ける。』

『常緑樹が良い。』

などなど、祖父も父親も、かなり、話し込んでいた姿を覚えている。

ただ、どうしてそこまでする必要があるのか?

私には、さっぱり理解ができなかった。

私は、とにかく、大きな木を、移し変えて欲しかった。

それは、単純な話である。

とにかく、木登りを、楽しみたかったのである。

槙や榊は、意外と、梢の間隔が狭く、あまり好きではなかった。

松や杉や檜は、樹皮が、背中に入って、やたらと、面倒臭い。

椚や柿、枇杷などは、とても登り易かったのであるが、それらは、移植の対象から、外されてしまった。

ニッキも、捨てられてしまった。

桜は、根腐れを起こすからと、それも外されてしまった。

椎の木は、大きくなり過ぎて、放置された。

楠も、同様であった。

ぶなと楢も、然程、大きくは無かったのであるが、新しい土地では育たないと言う事で、放置をされてしまった。

当時は、一体全体、何の木を、移し変えたのであろうか?

今現在の庭を観てみると。

祖父と父親は、『縁起』と言うものに、随分と、拘った様である。

『松・竹・梅』は、揃っている。

ただ、『松』は、種類が増えている。

3種類もあるだろうか?

『竹』は、淡竹は残ってはいるが、矢竹は、姿を消してしまった。

そして、『梅』は、玄関の脇に、植えられている。

Img_9032

この梅に付いては、後程、触れたい。

その他には、さつきが、竹の横に、植えられている。

椿が、生垣となって、並んでいる。

庭の塀の脇には、山茶花・柊・槙・ヒバなどが並んでいる。

私の大好きな、金木犀も、そこにある。

そして、家の西側には、父親が新たに持ち込んだ、ヒマラヤ杉が、植えられている。

また、庭の中には、榊や躑躅などが植えられている。

南天は、梅の横にある。

ただ、百日紅や、楓は、何処に消えてしまったのであろう?

何時の間にか、姿を消してしまった様に思う。

今現在の家に移り住んだのは、もう彼此、40年も前の事であろうか?

その頃は、庭の手入れも行き届き、芝生まで生えていた。

それが芝生は、今は、何も無い。

木々も、然程、高い物は無かった。

だけれども、今は、かなりの高さに成長をしている。

躑躅などの低木も、その形を整えられ、見栄えが良かった様に思った。

しかしながら今は、低木とは、呼べない位の高さに、なってしまった。

祖父が生きていた時代。

庭の手入れは、祖父の仕事であった。

皮のベルトをして、剪定ばさみや、折りたたみ式の鋸を腰に下げ、丸太で作った三脚を木に立て掛け、ちょきちょきと、やっていた。

ある程度、形作っては、三脚から降りて来て、木々の姿を観る。

そしてまた、三脚に登って行く。

祖父のそんな姿を観ていたのは、中学生の頃までであったろうか?

私が15歳で、自衛官として家を出ていた10年間。

たった10年間?

それとも、10年間も?

その間に、庭の様相は、物凄く、変わってしまっていた。

芝生は、訳の判らない雑草に覆われ、薄まで、生えていた。

木々の枝のバランスも悪く、とても見栄えが悪かった。

塀の横にある木々達は、枝を、四方八方に伸ばし放題で、『藪蚊』の、棲家になっていた。

庭の手入れは、誰もしてはいなかった。

祖父は、随分と、体を弱めていた。

私が家を空けていた10年間。

その間に祖父は、随分と弱っていた。

その為に、庭は、荒れ放題になっていた。

それでも不思議な事に、父親がいるのに、父親は、一切、手出しをしようとはしなかった。

父親は、農作業が一段落付いて、時間ができると、造園の手伝いに出ていた。

従って、庭師としての道具も何も、一切合切、持っていた。

それでも、家の木々の手入れは、何もする事は無かった。

本当に、不思議であった。

ただ、ここでまた判らないのが、何故だか『梅』の木だけは、手入れをしていた。

梅の木の手入れ。

それだけは、怠る事は無かったと思った。

そして祖父が、到々、病床に就いてしまった。

それでも父親は、庭の手入れはしなかった。

相変わらず、梅の木だけは、面倒を看ていた。

祖父の死後、一つの変化が生じた!

それは、父親が、庭木の手入れをし始めた事であった。

驚いた事に、アルミ製であろう。

金属の、大きな三脚を購入して来た。

また、家の2階の屋根まで届きそうな、展張ができる、二段梯子まで、購入をして来た。

とにかく、滅茶苦茶に、伸び放題だった木々の、枝を切り落として行く。

そして、枝や葉を、綺麗に、形作って行く。

特に拘りを持っていたのが、『松』と、『ヒマラヤ杉』であった。

松は枝を、どうしても下に向けたいと言い、添木をして、盛んに固定をしていた。

ヒマラヤ杉は、葉の形が、と言っても、枝全体であるが、まぁるい、形にしたかったようである。

高木となってしまった、槙や、ヒバも、同様であった。

椿の生垣は、直角でないと、気が済まない様であったし、躑躅は、やはり、綺麗な曲線を描かなければ、気が収まらなかった様である。

本当に、不思議であった。

だが、ただここで、とにかく、一番初めに手入れを行なう木。

それは、梅の木であった。

本当に、どうしてか判らないが、梅の木だけは、特別であったようである。

そして、その父親も、13年前に、この世を去った。

だけれども、今年も、梅の木は、花を付けた。

Img_9027

毎年、1月下旬になると、花を付ける。

今年の天候は、随分と、不順であった。

それでも梅は、また、花を付けてくれた。

私は、左半身麻痺の状態である。

とてもではないが、庭の手入れなどはできない。

では、一体全体、誰が庭の手入れをしているのか?

庭師にでも、頼んでいるのか?

それはとてもではないが、お金が無くて、頼めやしない!

父親の、弟である。

三男の叔父である。

その叔父が、父親の死後、毎年、時間を割いて、自分が出た本家の為に、庭の手入れに来てくれている。

わざわざ、来てくれているのである。

私の事を、随分と、不憫にも思っていてくれている。

確かに、私自身、本当に、情け無いと思う。

夏の強い日差しを浴びて、それでも庭の手入れをしてくれる叔父に、感謝しても、感謝し尽くせない!

本当に、頭が下がる。

何と言う、律儀で、優しい、叔父であろうことか!

叔父が、庭の手入れをし始めてくれてから、また、庭の様相が変わった。

叔父も、かなりの拘りを持っている様ではあるが、父親の様に、芸術性とでも言ったら良いのであろうか?

そこまでは、追求はしていない。

とにかく、ジャングルの様にならない事。

そうして、その昔、芝生が生えていたであろうと思われる、その土の部分に、太陽の光が当たるように、手入れをしてくれている。

要は、叔父が庭の手入れを始めてから、庭が、本当に、明るくなった!

太陽光もすんなり、入って来る様な気がするし、風も、何となくだが、清々しい様な気がする。

庭の手入れ。

それは、手入れをする人によって、大きく形が、変化をしてしまうと言う事であろう。

勿論、好みもあるだろうし、美的感覚も違うであろうし、全く同じ形の物には、まず、ならないであろう。

その、庭の様相を決定できる者。

それはやはり、その家の、家長、だったのであろう。

また、その、家長が手入れをした庭が、その家の顔になっていたのかも知れない。

だから父親は、祖父が生きている限りは、庭には、絶対に、手出しをしなかったのではあるまいか?

生きている時に、庭の手入れをすることなどは、本当に、ご法度だったのかも知れない。

また、旧家の、ジャングルの様な庭。

あれも、初代・二代目の、大事な、庭だったのかも知れない。

叔父と母親が、話をしていた。

『どうだい? この梅は、未だ、梅干になるかい?』

『もう、駄目だね。一応、実は生るけど、直ぐに落ちちゃうし、実も締まっていないから、無理だと思うよ。それに、実の数も、少なくなっちゃったし。』

Img_9028

玄関の左脇にある、梅の木。

旧家でも、同じ様な位置に、あったらしい。

それで沢山の実を付け、最後には、食卓の上に、載っていたらしい。

私は、叔父に聞いてみた。

『この梅の木は、何時頃から、あったの?』

『さぁな? 相当、昔からだろうな。多分・・・。』

私も、叔父と同様の事を思った。

多分、家の木々の中で、一番、古い木、なのではないのかと。

そして、私達に、毎年、毎年、梅の実を、梅干を、供給し続けてくれていたのだと。

そして、この家の、庭の変遷と、歴史を、観続けて来た、木なのであろうと。

何が何でも、梅の木の手入れは、怠らなかった。

そして叔父も、真っ先に、梅の木の手入れをしてくれている。

そのお陰で、今年もまた、花を付けてくれた。

来年も、そのまた来年も、梅の木は、また、花を付けてくれるであろうか?

そしてその花を、観る事ができるであろうか?

そのためには、やはり、今を一生懸命に生きる。

そして、与えられた時を、無駄にしない事であると思う。

そしてまた、祖先が守ってきた梅の木、祖先を見守って来た梅の木。

それの手入れは、絶対に、怠ってはいけないのである。

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2009年11月10日 (火)

『私の出生!』(^-^)/

私の母親の出は、田方郡修善寺町年川(現:伊豆市年川)である。

山の斜面に張り付くようにして、家が並んで建っている。

私を身ごもった母親は、実家に戻された。

そこで私は、この世に生を受けた。

そして母親は、私を連れて、嫁ぎ先に戻って来た。

私が15歳の時、自衛隊に入隊する為に、戸籍謄本が必要となった。

その時に、母親が、

『どうせ判ってしまう事だから・・・。』

と、重い口を開いた。

戸籍謄本を見てみると、私が生まれた時は、母親の名字が、旧姓のままであった。

それに、母親と父親の入籍は、私が生まれた後であった。

たかが15歳。

それが何なのか?

それが何を意味するのか、さっぱり判らなかった。

『昔はね。子供をちゃんと産む事ができるかどうか、それを確かめてから入籍したんだよ。』

やはり、15歳の餓鬼である。

意味を、掴み取ることはできなかった。

母親にとっては、

入籍をされていない!

入籍していない!

家族として、迎え入れられていない。

それが、とても屈辱的であった様である。

本当に、寝耳に水で、悔しい思いをしたのだと言う。

祖父も祖母も、『明治』の人間である。

それが、当時は、当たり前の様であったようである。

『普通』の事、であったようである。

大東亜戦争も終わり、日本は、高度経済成長期を迎えた頃である。

その頃でも、未だ、『明治』、いや、『江戸』、もっと酷く言えば、『戦国時代』の『考え』は、消えてはいなかった様である。

見合いで結婚をした母親。

それは、『人』と『人』との婚姻ではなく、『家』と『家』の、婚姻であった様である。

その後の母親の苦労は、計り知れない。

私達、3人の兄妹も、祖父と祖母に、随分と、厳しく躾けられた。

でも何かが違う。

疑心を抱きながらも、それが『普通』だと思っていた。

だけれども、近所の家族と、何かが違う!

幼心に、随分と、疑心暗鬼を、抱き続けていた。

『出生』。

この世に、生を受けることは、全くの平等ではあるが、『何処に生まれてくるのか?』。

『何処に生を受けるのか?』。

それは誰にも判らない!

それによって、その後の人生にどの様な影響があるのか?

それもまた、誰にも、何も、判らないのである。

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