カテゴリー「湘南高校」の3件の記事

2010年4月10日 (土)

『25年前の今日。』(^-^)/ (今現在)

今から25年前、昭和60年 4月10日の事である。

流石に、曜日までは覚えてはいない。

但し、天気は、晴天であった。

その時は、防衛庁にいた。

六本木の、一等地である。

今では、東京ミッドタウンとなってしまい、防衛庁の面影は、全く無いであろう。

残っているのは、檜町公園だけであろうか。

その10年前、昭和50年 4月10日に、私は、陸上自衛隊 少年工科学校に、陸上自衛隊生徒 第21期生として、入校をした。

それから、自衛官として、丁度、10年の、節目の日でもあった。

家にいるのが嫌で、家の仕来たりが嫌で、家の雰囲気が嫌で、家の食事が嫌で、とにかく、家を出たかった。

それに、普通の高校生活などは、全く、送りたくもなかった。

とにかく、人と同じ事をするなどとは、考えられなかった。

高校に行き、大学に行き、そして就職をする。

そんな事をして、一体全体、何になるのだと思っていた。

また中学の担任からは、

『君は、日大三島高校に行けば良いんだ。それでそのまま、大学に行けば良いんだ。』

と言われていた。

その、決め付けられた言葉に対しても、猛反発をしていた。

とにかく、全てが嫌だった。

そこから抜け出したかった。

陸上自衛隊 少年工科学校は、そんな私にとっては、格好の場所であった。

少年工科学校を卒業後は、航空学校を卒業し、東部方面ヘリコプター隊、中央基地通信隊を経て、防衛庁 檜町警備隊本部に、辿り着いていた。

本当に、楽しい日々であった。

まるで、水を得た魚の様に、動き回っていた。

自衛官としての時代は、毎日が、全て、充実していた。

職務も、食事も、そして、東京理科大学にも通学をし、野球・空手・銃剣道・格闘道、等々。

本当に、楽しかった。

申し分の無い、生活であった。

私は、自衛官として、そのまま、過ごすものだと、思っていた。

とにかく、そんなにも居心地の良い場所を、離れるなどとは、思いもしなかったのである。

行く行くは、北海道に行き、スキー三昧。

沖縄だって、何処だって、日本全国を駆け巡ってもみたかった。

とにかく、家に戻るなどとは、考えも及ばなかった。

父親が、木から落ちた。

下半身不随になるかも知れない。

3ヵ月は、絶対安静である。

その様に聞かされたのは、防衛庁に居た頃であった。

父親は、本当は、園芸農家をやりたかったらしい。

その先には、造園業を、営みたかったらしい。

通信教育で、造園業の2級の資格も取った。

しかしながら、そこから先には、進む事ができなかった。

それは、木から落下したためでは無かった。

資金も無ければ、その他の資格も無い。

人脈も無ければ、農業経営のセンスの欠片も無い。

それに、たかだか2級程度では、何もできないのである。

近所の皆様に頼まれて、植木屋さんの真似事を、するのが精一杯であった。

父親は、木から落ちた。

頭蓋骨も、背骨も折った。

骨盤まで折った。

私はその姿を観て、これはもう、駄目だと思った。

そう思うしか無かったのである。

その当時の、自衛官の退職については、依願退職の場合は、手続きに、相当な時間を要した。

それには、様々な事由があったからである。

詳しい事は、書き記せないが、辞令が出るまでには、3ヵ月ぐらいの、時間を要したと思った。

その頃は、パソコンは、出始めであったが、まだまだ、和文タイプの時代であった。

文書を一つ作るのにも、相当な時間を要した。

今でもそうであろうが、国の機関の文書規則は、物凄い量の文章によって、制約をされている。

それもまた、各省庁によって、違うのである。

陸上自衛隊の文書規則は、2cmほどの厚さの、立派な書籍になっていた。

尚且つ、取り扱い注意になっていた。

それに従って、文書を作成しなければならなかった。

総務科の皆さんは、本当に、苦労をしていた。

横目で観ていて、総務だけは、文書陸曹だけは、やりたくは無いと、思っていた。

そうして、私の退職申請が、なされて行った。

私は、何回か、長期の休暇を頂き、稲刈りなどで、家にも戻っていた。

ところがである。

何回目かの時に、父親が、退院をすると言う。

大丈夫、だと!

私は、途方に暮れた。

一旦、覚悟を決めたとは言え、本当に、がっかりとした。

がっかりとしたどころでは無かった。

その時の想いは、とても、表すことはできない。

とにかく、怒る気にもなれなかった。

ドクターや、家族や、その周囲の人間達は、諸手を挙げて喜んでいる。

私一人だけが、悲しんでいた。

何とか、東京理科大学を卒業できることが確定し、教授の斡旋で、就職先も決まっていた。

そして、その上、結婚まで決まっていた。

もう、後戻りはできなかった。

総務科の先任陸曹は、

『1年以内なら、戻って来る事ができる。』

『7月の人事異動が過ぎたら、直ぐに申請を出せ。』

とまで言ってくれた。

しかしながら、全てが、退官確定の方向に、進んでいた。

結婚が、絡んでいた。

奥様になってくれる方は、婦人自衛官(当時の呼称:現在は、女性自衛官)であった。

それで、富士学校への転属も決まっていた。

もう、私一人での、話しでは無かったのである。

父親の木からの落下が、とても多くの、非常に多くの人々の、人生を、巻き込んでしまった。

後戻りはできない。

本当に、複雑な心境であった。

今考えてみると、ひょっとしたら、『覚悟』はできていなかったのではないのかと、思ってしまう。

いやきっと、『覚悟』はできていなかった様に思う。

後ろ髪は引かれていたであろう。

心は、六本木。

想いは、防衛庁。

それを無理矢理に、心の中に、閉じ込めていたと思う。

就職決定。

結婚決定。

新住居決定。

奥様の転属決定。

どれもこれも、破棄にする訳には行かなかった。

どれもこれも、実行を、するしか無かった。

そこで、自分自身が喜んでいると言う、演技をするしか無かった。

それによって、自分自身を、納得させる以外に、無かった様に思う。

実に情けなく、悲しく、空しいことであった。

決して、父親のせいにはしたくは無い。

だけれども、あの父親は、本当に、大事な時、ここぞと言う、大チャンスの時に、必ず何かをやらかしてくれていた。

必ず、大ピンチを作ってくれた。

今でも、不動産の関係で、ピンチを負わされている。

仕方が無いのだ。

とにかく、仕方が無いのだ!

父親なのだ。

仕方が無いのである。

だけれども、諦めがつかないし、踏ん切りもつかないし、覚悟もできない。

その昔、高校受験の頃であったろうか。

受験の面接で、

『尊敬する人は?』

と聞かれたら、

『父親です。』

と、答えなさいと、教え込まれた事があった。

私は、とてつもなく、怪訝に思っていたが、まぁ、先生が言うのだから、それに従っておこうぐらいの気持ちで、あまり深くは考えなかった。

しかしながらそれを、今は、とてつもなく、後悔をしている。

どうして、父親を尊敬しているなどと、心にも無い事を言ってしまったのか。

それが、その事が、そもそもの、自分自身の心の眼の、曇りの始まりであったのかも知れない。

父親の事は、残念ながら、全く、尊敬などしていない。

菩提寺の住職と大喧嘩をし、それはまだ良いが、それですぐさま、墓を引っ越してしまった。

そうしたらその翌年に、亡くなってしまった。

何をやっているんだと、いつも思ってしまう。

本当に、悲しくなってしまう。

そんな事はともかくとして、4月10日は、少年工科学校への入校日でもあり、自衛官を退官した日でもある。

今、2分の1世紀を生きた。

そしてその半分の25年前、もう、25年にもなってしまうのか。

だけれども、一つ一つ、鮮明に覚えている25年前。

その日に私は、自衛官を、退官してしまったのである。

今までは、そんなには、気にはしていなかったが、25年の節目を考えたら、一挙に、想いが巡ってしまった。

4月には、記念と記憶に残る日が、随分と、多い様な気がする。

(おしまい!)(^-^)/

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2010年3月24日 (水)

『野球の審判!』(^-^)/ (今現在)

先週の、春の嵐が過ぎ去って、やっと晴れたと思ったら、またまた雨!

今年の天気は、一体全体、どうなっているのであろうか?

本当に、参ってしまう。

この天候不順は、身体障害者の私にとっては、本当に、辛いものである。

とにかく、気候の変化に体が付いて行かない!

どうにかならないものだろうか?

でもまぁ、この寒さで、スカウトハウスの桜も、足踏みをしていてくれれば、今週末には、桜を楽しめるのかも知れない。

そう言えば、昨日の、選抜高校野球の第三試合は、泥沼の様であった。

それでも試合は、続けられた。

全く、甲子園と言うものは、大したものである。

本当に、素晴らしい球場なのであろう。

本当に、甲子園で、一度で良いから、プレーをしてみたかった。

と言っても、審判としてである。

本当に、野球をやっていた者であれば、誰もが憧れを持つであろう甲子園。

そこでプレーができるなんて、本当に、夢の様な話である。

ところで、私が、野球の審判部に飛び込んだのは、何時の事であったろうか?

今考えても、ちょっと、思い出す事ができない。

少し、記憶を辿ってみたいと思う。

野球は、本家の人々が、殆ど全員、やっていた。

甲子園に出場したおじさんもいれば、慶應大学に進み、六大学で、活躍をしたおじさんもいた。

その影響で、父親の兄弟の四男の叔父が、高校野球も、社会人野球もやっていた。

その影響を受けたと言う訳ではないが、野球には、幼い頃から親しんではいたと思う。

その頃は、父親は、塾通いなどは、決してさせてくれなかった。

許してくれたものと言えば、ボーイスカウトと、野球だけであった。

本格的にやり始めたのは、小学校6年生の頃であったろうか?

清水小学校に、初めて、少年野球チームが組織され、そこで野球を始めた様に思った。

私は、体が小さかった為に、レギュラーになる事はできなかった。

第一、背番号は、背の高さの順番で配られたのである。

体の大きさで、レギュラーが決められてしまったのである。

試合に出た記憶さえ無い。

その後は、中学、少年工科学校と続けた。

少年工科学校では、神奈川県立湘南高校の通信制に入っていたため、もう一つの甲子園と言われた、通定制の大会、神宮球場を目指していた。

ここでもやはり、レギュラーになる事は叶わなかった。

第一、ろくに練習をしなかった。

仕方の無い事で、自業自得である。

その後、三等陸曹となり、部隊配置をされるが、その間も、野球は決して止める事は無かった。

25歳で自衛官を退官し、民間の会社に入った。

だけれどもその会社には、野球部と言うものが存在をしなかった。

それを調べないで、入社をしてしまった私も私であるが、それにしても野球部が無いとは、本当に驚きであった。

だけれども、中学以来の友人に、軟式ではあるけれども、クラブチームに誘ってもらった。

とにかく、野球は、続ける事ができたのである。

とまぁ、野球は、ずっとずっと、続けて来た訳である。

それで、何時、審判の道も、歩む事になったかである。

野球のクラブチームに誘ってくれたのは、中学からの親友であった。

またその彼が、チームを作り上げ、主将も務めていた。

実はその彼は、誠に残念ながら30代半ばで、私達に別れも告げずに、突然、旅立ってしまった。

ただその彼が、審判部を紹介してくれたのである。

要は、親友の生前に、審判部に入ったと言う事になる。

と言う事は、30代の前半であろうか?

いや、20代の後半かも知れない。

何れにしろ、30歳の前後である事は、間違いが無いであろう。

審判をやりたいと思った理由は、幾つかある。

私のポジションは、キャッチャーであるが、大会に出てみると、毎回、球審から、幾つかの指摘を受ける事があった。

私は、何年も何年も、野球をやって来た訳であるから、どうしてそんなに指摘を受けなければならないのか、不思議でならなかった。

しかしながらそれは、単に、自分の思い込みであり、ルールを知らずに、野球をやっていたと言う、何ともお粗末な顛末であった。

ルールを知りたい。

野球を、もっともっと深く知りたい。

そんな欲望があった。

それともう一つ。

ボーイスカウトで、地区コミッショナーへの、就任の話しが出て来てしまった。

地区コミッショナーと言うのは、ボーイスカウトの地区組織において、教育面を代表する者である。

それから、『地区の純正なる発展と、基準の維持』を行わなければならない。

そこで、非常に、悩んでしまったのであるが、『基準の維持』と言えば、『審判』であろうと、勝手に思い込んでしまった。

『審判』ならば、『基準の維持』に付いて、何か掴めるものや、ヒントになるものがあるのではないのかと思い、審判をやってみる事を、思い立ったのである。

それと、もう一つ。

私の悪い癖である。

同じ事をやっていると、飽きはしないのであるが、どうしても新しい事をしたくなってしまうのである。

何か新しいこと。

新しい世界に飛び込んでみたくなってしまうのである。

その結果、審判部に飛び込む事になってしまったのであった。

ただ、その審判部への加入の仕方が、何とも言えないものであった。

親友で、クラブチームのキャプテンである彼からは、

『審判部の部会があるから、それに顔を出して、話を聞いてくれ。』

との話しだけであった。

早速、言われた日時に、その会場に足を運んでみると、いきなり、審判部長から、

『今日から審判部に入ってくれる事になった。自己紹介をしてくれるかな?』

である。

何とも言えない状況であった。

とりあえずその日から、私の審判人生は始まってしまった。

いきなり、少年野球の公式戦の審判もやらされてしまった。

野球の審判は、やってみると、随分と面白いものであった。

あの、ジャッジを下すまでの、どぎつい緊張感。

しっかりとポーズを決めなければいけない、ゼスチャー。

そして、大きな発声。

審判服を綺麗に着こなす事。

などなど、よくよく考えてみたら、自衛官にも、ボーイスカウトの指導者にも、共通することばかりではないか!

なんて事はない。

結局、『基準の維持』は、何処かに、すっ飛んでしまった。

結局は、自分が、自分自身が、様々な手本を示して、地区の指導者達を引っ張って行く事。

それが、基準の維持であったのである。

『基準の維持』は、我に有り。

それが、私の答えであった。

しかしながら、審判は、やめる事は無かった。

審判には、『級』があるのであるが、『無級』でも、登録をすれば、審判は行える。

しかしながら、高校野球の審判を務めるのには、1級審判員にならなくてはならなかった。

試験は、1年に1回しか行われない。

私は4年を費やして、3級・2級・準1級・1級と、『級』を上げた。

と言うか、上げてしまった。

そのお陰で、高校野球の審判も行う様になった。

高校野球には、また、格別な想いがある。

それで、甲子園で、プレーができたらと、思う様になってしまったのである。

『ああ、甲子園』。

憧れになってしまったのであった。

だけれども、まず、年齢制限で引っ掛かってしまった。

それから、身体障害者にもなってしまった。

夢は、夢で終らせるな!

たった一回の、人生ではないか!

そうも言われるが、今は、甲子園で駆け回っている高校球児たちを観、そして、審判委員達を観、それでも、審判を長年やって来られたお陰で、ある程度の、満足は得られている。

明日こそ、甲子園は、再開して欲しいものである。

そして、暖かくも、なってもらいたいものである。

(つづく・・・。)

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2009年12月18日 (金)

『直立不動!』 (小学校1年生 Ⅹ)

足の速い、『イイダ』君。

スポーツ万能の、『イイダ』君。

とにかく、クラスの、そして学年でも、ヒーローであった事には、間違いが無い。

職員室の前には、大きな掲示板があった。

そこには、様々な事が、掲示をされていた。

そこに、赤い字で、『新記録! イイダ ジュンイチ 8秒8』と、しっかりと書かれていたのである。

そりゃもう、名前は直ぐに、完全に、知れ渡る。

小学校低学年程度では、学業の成績など、誰も興味を持たない。

持つとすれば、とにかく、運動である。

それか、遊びである。

それらが得意な児童は、当然の如く、直ぐに、人気者になった。

私は、そのヒーローの後を追って、くっ付いて回っていた。

何時の間にか、そのヒーローの、『金魚のふん!』になっていた。

家の周辺しか知らなかった、田舎者である。

とにかく、ヒーローの一挙手一投足を、羨望の眼差しで、追っていたものである。

運動会が近付いていた。

何でも、『リレー』と言う物があるらしかった。

私は、本当に世間知らずで、その意味さえも判らなかった。

先生が言う。

『リレーの選手を決めます!』

体育の時間に、みんなで競争をした。

私は、とにかく、ヒーロー君の後を追いたくて追いたくて、仕方が無かった。

そのチャンスは、意外と簡単にやって来た。

ヒーロー君と並んで、走る機会が、巡って来たのである。

100mを走った。

私は、必死になって、ヒーロー君を追った。

そのお陰であろうか?

私は、2番と言う、ヒーロー君に続く、名誉を貰ったのであった。

リレーの選手?

私が?

何だか、とっても不思議な気分になっていた。

放課後であったろうか?

と言っても、午後のとても早い時間帯である。

高学年の児童達は、まだ、授業中である。

その時間帯に、リレーの選手は、バトンを渡したりする、練習を行なった。

とにかく私は、嬉しくって、有頂天になっていた事には、間違いが無い。

女子と一緒に、練習をしていた。

だけれどもその時に、事故は起きた。

『ミドリ』ちゃんと言う女の子を、応援しようと思って、並走をした。

ふわふわしている気分で、一緒に走っていた。

すると、『ミドリ』ちゃんが、私の足に引っ掛かって、転んでしまったのである!

手の平の皮は擦り剥け、膝小僧からは、両足の膝からは、血がどくどくと、流れ出ている。

『何をするの! 貴方は!』

『そこに立っていなさい!』

『ミドリ』ちゃんは、泣きながら先生に連れられ、保健室へと向かって行った。

私は、放心状態であった。

とにかく、あんなに血を流しているところを見た事が無かったし、怪我をさせてしまったと言う、途方も無い、罪の意識に襲われた。

とにかく、立っていた。

立っているしか無かったのである。

でも、ヒーロー君達が、

『先生、行っちゃった。教室へ帰ろう。』

と言い出した。

私は、

『でも・・・。』

と言って、そこに立っていた。

リレーの選手達は、その場を去って行った。

私は、先生が許してくれるまで、そこに立っていようと思った。

そう、心に決めていた。

とにかく家では、父親に、米蔵に押し込まれたり、色々と、お仕置きを食らっていた。

そして、父親の許しが無ければ、米蔵からは、出ることができなかった。

だからその時も、先生の許しが無ければ、立ち去る事は、許されないと思った。

チャイムが、何回、鳴ったのだろうか?

それでもとにかく、その場に、立ち続けていた。

相当、時間が経った時、高学年のお兄ちゃんやお姉さん達が、校庭に、体育着で、出て来た。

やはり、運動会の練習らしい。

それを私は、ただただ、観ていた。

またまた、相当な時間が経過をした。

高学年のお兄ちゃんや、お姉ちゃん達も、段々と引き上げて行った。

それでも私は、そこに立ち続けていたのである。

すると、一人のお姉さんが戻って来て、

『どうしたの? どうして此処にいるの?』

と聞いた。

私は理由を話した。

するとお姉さんは、

『あなた、バカじゃないの? 先生は、もうとっくに忘れているよ! もう良いから、早く家に帰りなさい。』

私は、

『先生が許してくれないとだめ。』

そんな事を言ったと思う。

そうしたらお姉さんは諦め顔で、

『じゃぁ、待ってなさい。』

と言って、去って行った。

そうしたら、何と!

お姉さんが、先生を連れて来てくれたのである。

先生は、

『貴方、バカじゃないの!』

と、お姉さんと同じ様に、怒鳴った。

私は先生に連れられ、誰も居なくなってしまった、校舎に連れられて行った。

着替えをさせられ、校門まで、先生に送られた。

『直立不動!』。

少年工科学校時代、1時間程度であるが、させられた事がある。

みんな、バタバタと倒れたが、私は、大丈夫であった。

何の因果か判らないが、小学校時代から、もう既に、直立不動の練習をしていたのである。

今の私の、とてつもない頑固な性格は、この時に、育成されたのであろうか?

粘っこい、しつこい性格も、この時に、形成をされてしまったのであろうか?

いやいや、やはり、幼少期に、祖母と、父親から受けた影響の方が、大きかったのであろう。

それにしても、あの優しいお姉さんが現れなかったら・・・。

私はどうなっていたのであろうか?

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