カテゴリー「ペリカン便」の3件の記事

2016年11月15日 (火)

『『きゃさりん副長。』のご指摘!』(^^;

おはようございます!(^o^)/


【『きゃさりん副長。』のご指摘!】(^^;

とある日曜日のことでした。

『きゃさりん副長。』が、所用で私の家に来た時に、何気に話し始めました。

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※注:「 」内は、『きゃさりん副長。』のお言葉です。
   ( )内は、言い返した訳ではなくて、私が、その時、
    思ったことです。(^^;

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「最近、朝の散歩、してないでしょ!」
(だってぇ、暗いし、寒かったりして、気乗りがしないんだもん。)

「自分で自分が、随分と、太ったと思わない?
 以前は、ちゃんと、散歩と運動(リハビリ体操)をしていたでしょ!」
(だってぇ、一度止めちゃうと、楽だし、再開させるのが難しいだよぉ。)

「その昔(ボーイ隊長兼ベンチャー隊長兼ローバー隊長だった頃)は、きちんと運動してたし、金曜日にはお風呂に入って、身体を柔らかくして、土曜日に、日曜日の(ボーイスカウト活動の)準備をして、早寝をして、体調を整えて、日曜日は、制服をビシッと着て、ボーイスカウト活動をやってたじゃない!」
(だってぇ、ボーイ隊長はクビになっちゃったし、ベンチャー隊は、若き指導者達に任せるって、決まっちゃったんだもん!
 もう、どうにもできないよぉ。)

「ここ3か月ぐらい、全く、スカウトハウスに行ってないでしょ!」
(だってぇ、用事が無いんだもん。
 それに、団の会議は、土曜日の夜で、夜間の歩行は、ドクターから止められているしぃ。
 団の会議に出て来い、とは言われるけど、行ったら行ったで、邪魔者扱いされちゃうしぃ。)

「地区にも、全く、顔を出していないでしょ!」
(だってぇ、ラウンドテーブルは、土曜の夜だし、タクシーで行かなきゃなんないし、疲れてへこたれちゃうし、そのため、日曜日は、疲れが残って、何もできなくなっちゃうし、地区TTは、何時の間にか外されちゃったし、お呼びは全く掛からないしぃ。)

「県連だって、行かなくなっちゃったじゃん!」
(だってぇ、休務されては如何ですかって、言われちゃったし、県連TTも外れちゃったしぃ。)

「貴方が外出する時って、通院する時ぐらいじゃないの?
 みんな(理学療法士・作業療法士・スポーツトレーナーの皆さん)が、言っていたじゃん。
 きちんと、歩行訓練(散歩)をしないと、歩けなくなるって!
 それに、遺された右膝が駄目になったら、車椅子生活になるって!」
(そりゃそうだけどさぁ。
 だけどぉ、外出する用事も無いしぃ。)

「昔はさ!
 ペリカン便で、早朝から夜間まで、走り回ってて、
 (プレーヤーとして)野球をやってて、
 (野球の)審判で、一日中、炎天下でも元気だったし、派遣審判員で、静岡県内を飛び回っていたじゃん!
 高校野球の審判もやっていたじゃん。
 それに、銃剣道だって、短剣道だって、やってたじゃん!」
(それはぁ、身体障害者になる前の話じゃん。
 困っちゃうなぁ。)

「今はさ!
 何も無い感が、抜殻感が、強過ぎるの!
 殆ど、ボーイスカウト活動もやらなくなっちゃったし。
 私は、お茶(茶道)があるから、(金・土・日は、特に)忙しくしていられるから、ボーイスカウトが無くっても平気だけどさ。」
(確かにねぇ、それは感じる。
 それに、郷愁感もある。
 でもなぁ、どれもこれも、健常者でさえ、普通にやっても大変なものばかりだしぃ。)

「貴方が『師』と仰いでいた方は、どうしたんだっけぇ?
 ボーイスカウトを辞めた後は、確か、自治会の役員か何かに就いて、今まで、地域に対して恩返しができなかったことなんかをやったんでしょ。」
(そうです!
 舞阪町新町自治会長をされて、舞阪郷土史研究会の運営委員もされて、舞阪しらす漁などを研究し、紹介されていましたよぉ。)

「だったらさ!
 貴方も、地域に貢献することを考えたら?
 今まで、自治会の役員などに就いて、特にお手伝いをしていた訳では無かったんでしょ。」
(いやぁ、補導員は、受けてたけどぉ。
 お祭りの役員もやったけどぉ・・・。)


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と言うことで、まだまだ、『きゃさりん副長。』の、ご指摘は続いた様な記憶があります。(^^;

それで!

いきなり、自治会と言う訳にはいかないと思いまして、また、自主防災会もありますが、そちらの方は、協力と言うよりは、援けられる身の方ですので、ご迷惑が掛かるばかりです。

そこで!

今まで、かなり疎遠になっていた同級生達と、旧交を温めてみたらどうかと言う話になりました。

ただ、私自身は、かなりの疎遠と感じていますので、果たして、『旧交』と言えるのかどうなのか?

また、みんなが応えてくれるのか、どうなのか?

ん゛~!


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『きゃさりん副長。』曰く、

「そんなこと言っている暇があったら、即、行動!」

と言うことで、超~、久々の呑み会に至ったのでありました。 Img_4859
それも、午前様で! Img_4862
良くもまぁ、体力が持ったものだと、自分自身で感心しておりますが。(^^; Img_4864
皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

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2010年4月 6日 (火)

『4年、経過!』(^-^)/ (今現在)

時間は、正確には覚えてはいない。

だけれども、全てが、スローモーションの様になって流れて行く。

時刻は、08:30前後。

前日、ペリカン便の、配達指定日の荷物が多量に有り、それをこなしての、次の日であった。

要は、日本大学の、三島キャンパスに入って来る、新しい学生達の、滑り込みの様な荷物を、多量にこなしての、次の日であった。

ペリカン便をやっていた頃には、やはり、どうしても天気が気になっていた。

朝起きると、必ずと言って、西側の窓を開け、西の空を眺めた。

それが日課になっていた。

この日は、前日までのハードな日々を終えたため、休みを貰っていた。

それで朝は、のんびりとしていた訳である。

トイレに行ったその帰り、その事は起きた。

いつもの様に、西側の窓を開け、西の空を見上げた。

ねずみ色の、曇天であった。

サッシの窓を閉めようと思ったが、元々、建て付けが悪い上に、砂埃やゴミで、サッシが滑らない。

思いっ切り、力を入れた。

その時に、何かが起こった。

体が、左へと傾いて行く。

床が、顔面に迫ってきた。

左半身は、床に、打ち付けられてしまった。

言葉も出ない。

携帯電話は、机の上である。

今更、手も届かない。

右手、右足が、残っていた。

それで、ひたすら、床を這った。

匍匐前進の訓練を、しっかりとやっておいて、本当に良かった。

部屋まで戻る事ができた。

有線電話を使って、階下の、母親の元に、電話を入れた。

清水町消防の救急車は、出払っていた。

何と!

長泉消防の救急車が、駆け付けてくれた。

ストレッチャーは、とてもではないが、2階には上がらなかった。

そこで、シートを持って来て、それで私を、階下に降ろしてくれた。

脈拍は、測定不能。

心拍数も、測定不能。

沼津市の、西島病院に運ばれた。

電気ショックを、覚えているだけで、3回は、食らったと思う。

その後は、集中治療室で気が付いた。

週末には、高校野球の審判が入っていた。

2日後からは、ペリカン便の仕事が入っていた。

1ヵ月後には、大阪で、実修所の奉仕が待っていた。

とにかく、倒れている場合では無かった。

だけれども仕方が無い。

今までの、不摂生の、賜物であった。

脳出血。

それも、2箇所で、血管が、裂けていたと言う。

助けてくれたドクターは、ボーイスカウト山口県連盟 光第2団 出身のドクターであった。

何と言う奇遇であろうか。

開頭手術は行わなかった。

とにかく、点滴で流す事に、した様であった。

それと、以前から指摘をされていた不整脈。

それがここで、明らかになった。

健康診断などで、指摘をされていたが、

『起きてみなければ解らない。』

それが、大体の医者の、言葉であった。

心房細動。

心臓の手術もする事になってしまった。

西島病院に、約1ヵ月。

その後、NTT東日本伊豆病院に、約5ヶ月。

今から4年前。

丁度、第14回日本ジャンボリーが、石川県の珠洲市で、開催をされた年であった。

それから4年が経過をし、今年は、第15回日本ジャンボリーが、当県の、朝霧高原で開催をされる。

何とも、皮肉なものである。

ジャンボリーが、巡って来る度に、この事は、思い出すのであろう。

と言うか、逆に、ジャンボリーの開催年に倒れたと言うのも、何かの、縁なのであろうか?

倒れてから、早4年。

随分と、自分自身も、焦って生きて来たと思う。

それに、本当に、多くの人の世話になって来た。

何の縁があってか判らないが、ベンチャー隊の副長達には、相当、お世話になって来た。

特に、『きゃさりん副長。』には、本当に、世話になって来た。

殆ど、私の手足である。

『IPPEI副長』は、運転手である。

一見、順調にも観得るのであるが、実際は、そうでもない。

私の悪たれた、本当に悪癖が、順調な生活と共に、また、頭をもたげてきてしまっている。

今のままでは、本当に、何時、命を落としてしまっても、不思議ではない。

このままでは、非常に、危険である。

考えてみたら、この4年間と言うもの、随分と、生き急いで来た様にも思える。

ここでひとまず、ゆっくり考え直すべきであろう。

『自省の日』。

今日は、お世話になった方々を想い、そして、自分自身を、顧みる日。

そうしよう!

あっと言う間の、4年間だったかも知れない。

だけれども、とてつもなく、内容が濃かった、4年間だった様にも、思える。

もう4年。

あっと言う間に、50歳にもなってしまった。

あと、何年間、生きて行けるのであろうか?

時間は、無駄にはしたくない。

だけれども、焦ってみても仕方が無い。

しかしながら、とにかく、

『今を、精一杯、生きよう。』

今は、それしか、できないのであるから。

(おしまい!)

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2010年1月 3日 (日)

『元旦の富士山!』(^o^)/ (今現在)

身体障害者になる前は、大晦日まで、仕事であった。

ペリカン便で、とにかく、お節料理や、止めのお歳暮。

そして、田舎から送られて来たであろう、お餅や野菜・米・その他諸々。

それらを、配達し捲っていた。

特に、年末になればなるほど、荷物は重たくなる。

それに、でかい。

また、焦っていたのか、慌てていたのかは、さっぱり判らないが、とにかく、梱包が酷い!

荷物がバラバラになりそうなのを、何とか堪えながら、階段を、昇り降りしたものである。

とにかく、荷物を、幾つ運んだかによって、給金は決まる。

だからみんな、本当によく働いていたと思う。

私は、笹倉さんと言う師匠と共に、働かせて頂いていた。

一応、大晦日までは、一緒に動く。

ただ、正月三が日は、私が休む。

その間、当然、師匠は働く。

そうして、私は4日から動き出し、師匠は、暫く休む。

その様な、段取りであった。

大晦日まで働いた私は、元旦からの休みに向けて、当然の如く、酒を浴びる!

とにかく、呑めるだけ呑んだ!

後先も考えず、ただ、休みと言うだけで、それだけで呑んだ。

それが、正月以外になると、話は別である。

野球の審判があったり、ボーイスカウトがあったりで、おちおち、呑んではいられない。

だからこそ、大晦日は、たらふく、酒を呑んだものである。

従って、当然の如く、元旦の朝は、起きることなどできやしない!

起きる事ができると言えば、『箱根駅伝』が、行なわれる日である。

それまでは、寝床から、出ることも無かった。

だから、初日の出も、初詣も、何も無かったし、しなかった。

だから、その罰が当たったのだろうか?

身体障害者になってしまった。

身体障害者になってから、これで、4回目の春を迎える事ができた。

4月になれば、倒れてから、4年になる。

過去の4年間であるが、元旦の天気は、比較的、良かったのではあるまいか?

快晴で、風も無く、とっても穏やかだった年もあった様に思う。

とにかく、身体障害者になったお陰で、逆に今度は、元旦の早朝から、動き出すことができる様になってしまった。

今年は、月食も観た。

初日の出も、拝んだ。

そして、富士山の写真を撮りに、強風の中を、出掛けて行った。

Img_8668

私の家の近辺では、富士山は、この様に観える。

だけれども、どうしても電線や、住宅や、その様な物達に邪魔をされ、美しくは観得ない!

子供の頃には、住宅なんて、全く無くって、富士山をバックに、凧揚げなどをしたものである。

本当に、景観が台無しである。

本当に、残念である。

ただ、元旦のこの日は、強烈な西風が吹いていた。

富士山の東側は、肉眼でも、雪が舞っているのが、確認できた。

Img_8670

すなわち、富士山では、猛吹雪が起きていると言う事である。

御殿場市の会社に、暫く、勤務した事がある。

その会社は、富士山の東側にあった。

富士山の、御殿場口登山道の、近くでもあった。

強い風が吹くと、晴天でも、キラキラと舞って来るものがあった。

それが頬などに触れると、軽く、冷たい。

つまり、風によって吹き飛ばされた富士山の雪が、舞って来るのである。

Img_8675

富士山の雪は、粉雪だと言う。

だから、なかなか根付かない。

風が吹けば、みんな飛ばされてしまう。

この辺りが雨の時は、富士山には、大雪が降る。

雨上がりの時に、富士山を観てみれば、それはそれは、真っ白で、とても美しい。

だけれども、西高東低の、冬型の気圧配置になれば、強烈な西風が吹く。

富士山では、猛烈な風と言って良いだろう。

そうして、富士山は、真っ白ではなくなってしまう。

紺色の地肌が、出て来てしまう。

それだけ、猛烈なのであろう。

昨年、元F1レーサーの遭難事故が、富士山であった。

元旦の富士山を観てみれば、それはそれで、納得してしまうことでもある。

元旦の富士山。

猛烈な風によって、雪が吹き飛ばされ地肌が出て来てしまっている。

だけれども、富士山自体には、何も変化は無いのである。

凛々しく、聳え立っているだけである。

元旦の富士山を観ていて、今年も何か、風が吹き荒れそうな気がする。

ただでさえ、何事も無く、過ごして行ける世の中にはなっていない!

今年も、様々な障害が、どんどん、迫って来るだろう。

そんな中でも、富士山の様に、凛として、いたいものである。

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