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2018年8月24日 (金)

『◯◯長の篤き想い!(その7)』(^-^)/

(薩摩半島 訪問 : その70)
(※注:平成30年 5月 4日(金・祝)の記憶です。)
おはようございます!(^o^)/
【◯◯長の篤き想い!(その7)】(^-^)/
(ペン)「ほう!
     ここが、最後の場所なのぉ?
     『西郷どん』の、誕生地の直ぐ傍じゃん!」 Img_0721
(ハム)「うん。
     直ぐ傍なんだけど、ここが、案内する、
     最後の場所になっちゃうんだって。」
(ペン)「ふぅ~ん。
     なんかさぁ。
     ちょっとした、公園って感じなんだけど、
     ここはぁ、何なのぉ?」
(ハム)「えっとね。
     『大久保利通 生い立ちの地』
     なんだって。」
(ペン)「ん゛?
     生い立ちって?
     生誕の地じゃぁないのぉ?」
(ハム)「うん。
     運転手さんが、そう言っているから、
     間違いはないと思うよ。」
(ペン)「あれま!
     そうなんだ。
     じゃぁさ。
     『誕生地』と『生い立ちの地』は、一体、
     何が違うの?」
(ハム)「ん゛~!
     ちょっと待って。
     あのね。
     『大久保利通』は、元々は、鹿児島城下の、
     高麗町と言うところで生まれたんだって。
     その後、幼少期に、ここの、
     『下加治屋町方限』に、移住したんだって。
     それで、下加治屋町の郷中に入って、
     『西郷どん』などの仲間達と、
     共に学んだんだってさ。」
(ペン)「へぇ~、そうなんだ!
     今で言えばさ。
     転校生って感じだよね。
     それで、下加治屋町の郷中では、みんなと、
     上手く、仲良くなれたのかなぁ?」
(ハム)「それは、大丈夫だったみたいだよ。
     だけどもね。
     胃が弱かったんだって。
     そのため、武術は、得意ではなかったみたい。
     その代わり、討論や、読書などの学問は、
     郷中のなかで抜きん出ていたそうだよ。」
(ペン)「ありゃま!
     そうなのぉ?
     何となくだけどさ。
     病弱だけど、成績優秀って、ありがちだよね。」
(ハム)「でもまぁ、『西郷どん』達と、
     親友になって行くんだからさ。
     やっぱり、『郷中教育』が、
     効果を発揮してたんだろうね。」
(ペン)「なるほどぉ!
     転校生にも優しい、『郷中教育』かぁ!」
(ハム)「おいおい!
     何を、一人で納得しているんだよぉ。」 Img_0722
(ペン)「ところでさ。
     ここの奥にも、
     大きな石碑の様なものがあるんだけどさ。
     観光客の姿が、全く、観得ないよ。
     誰もいないじゃん!
     一体、これは、どう言うことなのぉ?」
(ハム)「あのね。
     運転手さんが、とっても、難しいところだと、
     言ってるよ。
     運転手さんが、ここだけの話し、
     『大久保利通は、西郷どんの敵』
     とも、言われているんだって。
     だからぁ、人気が無いんだって!」
(ペン)「え゛え゛~!
     『西郷どんの敵』~!
     ほんとにぃ~!
     そんなことがあるのぉ?
     だってさ。
     家だって、隣近所で、親友だった訳でしょ。
     それが、『敵』だなんて!」
(ハム)「まぁ、信じられないけど、ここに、観光客が、
     誰もいなって言うことは、一つの、
     証拠になるかもね。
     あとね。
     運転手さんが、もしかしたら、ここの、
     『大久保利通  生い立ちの地』
     より、もう少し、先に行ったら、
     『大久保利通 銅像』
     が、あるから、そちらの方に、観光客が、
     集まっているかも知れないって。」
(ペン)「お゛っ!
     銅像があるんだぁ。
     だったら、みんな、そっちの方に、
     行っているんじゃないのかなぁ。
     おお゛~!
     この像が、『大久保利通 銅像』なのぉ?」 Img_0724
(ハム)「そうだって!
     でもね。
     その、『大久保利通 銅像』なんだけどさ。
     昭和54年(1979年)の、
     西南戦争百周年の機会になって、
     やっと建立されたんだって。」
(ペン)「え゛っ?
     ちょっと、待ってよぉ!
     えっとぉ。
     『西南戦争』は、1877年(明治10年)に、
     起きたんだよね。
     それで、『西郷隆盛 銅像』は、確か、
     没後50年祭記念として、
     何年もの歳月を掛けて、
     昭和12年(1937年)5月23日に、
     完成したんだよね。
     と言うことは!
     『大久保利通 銅像』は、それから、
     42年後ってことなのぉ?
     『西南戦争』からは、102年後~?」
(ハム)「まぁ、単純計算だと、
     そう言うことになるよね。」
(ペン)「でもさぁ。
     さっきさぁ。
     おデブ隊長が、『大久保利通』は、
     『維新の三傑』とか、『維新の十傑』とか、
     言ってたじゃん!
     と言うことは、
     明治維新の立役者だったんじゃないのぉ?
     それがさ。
     どうして、『西郷どんの敵』に、なっちゃって、
     銅像も、なかなか建てられなかったのかなぁ。」
(ハム)「それはさ。
     『征韓論』って、憶えてる?」
(ペン)「う、うん。」
(ハム)「ありゃりゃ!
     怪しいなぁ。
     最後だから、ちゃんと、もう一度、
     話しをしておくね。
     とにかく、『征韓論』が、全ての始まりなんだ。
     『大久保利通』は、明治4年(1871年)に、
     『大蔵卿』に就任して、
     『岩倉使節団』の副使として、外遊したことは、
     憶えているよね。」
(ペン)「うん。
     それは、憶えてる。」

(ハム)「それで、『岩倉使節団』の外遊中に、
     留守政府で、朝鮮出兵を巡る征韓論が、
     論議されていたよね。
     『西郷どん』は、使節団を送ることを要望して、
     ほぼ、決まっていたんだけどさ。
     『大久保利通』は、『西郷隆盛』や、
     『板垣退助』達と、意見が対立してしまい、
     また、『岩倉使節団』派遣中には、
     留守政府は、
     重大な改革を行わないという盟約をしてたんだ。
     それに、背く様な形で、『西郷どん』達が、
     『征韓論』と言う、
     急激な改革を起こしちゃって、
     『大久保利通』と『西郷隆盛』は、
     流石に意見が、
     合わなくなってしまったんだよ。」

(ペン)「うん。
     そこまでも、憶えているよ。
     だけど、その後なんだよねぇ。
     その後が、よく解からないんだけどさ。」
(ハム)「そっかぁ。
     その後は、確かに、話しはしてなかったよね。
     実は、『明治六年政変』と言う、一大政変が、
     起きちゃうんだ。
     当時の、政府首脳である『参議』の半数と、
     軍人、官僚の、約600人が、
     職を辞めちゃうんだ。」
(ペン)「あれまぁ~!
     それって、分裂ってことぉ?
     『西郷どん』も、辞めちゃったのぉ?」
(ハム)「勿論だよ。
     だって、自分の考えを、
     全否定されちゃったんだからさ。
     政府には、『西郷どん』の居場所は、
     無くなっちゃったんだよ。
     要は、『西郷隆盛』は、『大久保利通』に、
     失脚させられたってことなんだ。」
(ペン)「あ゛~!
     だからなの?
     『大久保利通は、西郷どんの敵』
     と言うことになっちゃったのは?」
(ハム)「ん゛~!
     実は、まだあるんだよ。
     『大久保利通』なんだけどさ。
     明治政府では、参議に就任して、『版籍奉還』・
     『廃藩置県』などの、明治政府の、
     中央集権体制確立を行ったんだ。
     その後は、『内務省』を設置して、自らが、
     『初代内務卿(参議兼任)』となり、
     実権を握るんだ。
     そうして、『学制』や『地租改正』、
     『徴兵令』などを実施したんだ。
 
     それから、『富国強兵』をスローガンにして、
     『殖産興業政策』を、推し進めたんだ。
     つまり、『西郷どん』達を、追い遣った後は、
     ほぼ、『大久保利通』の考え、やり方で、
     明治政府は、動いて行ったんだ。」
(ペン)「げぇ~!
     それってさぁ。
     何となく、『独裁者』って感じがしない?
     『西郷どん』達と、折角、
     仲良くやって来たのにさ。
     失脚させちゃって、追い遣っちゃって、その上、
     自分の考えで、政策を進めるってさぁ。
     なんだか、とっても良くないよね。」
(ハム)「そうなんだよねぇ。
     だから、明治7年(1874年)2月に、
     『佐賀の乱』が起きちゃうんだ。
     すると、『大久保利通』は、直ちに、自ら、
     鎮台兵を率いて、遠征して、乱を、
     鎮圧しているんだ。
     この時に、『江藤新平』は、
     裁判を要求したんだけど、
     きちんとした裁判に諮られることなく、
     斬首されているんだよ。」
(ペン)「どっひゃぁ~!
     それこそ、独裁者じゃん!
     いくら、政府を守ろうとしててもさ。
     酷過ぎるよね。」
(ハム)「うん。
     だからね。
     不平士族が、どんどんと、増えちゃったし、
     『板垣退助』に代表される、
     『自由民権運動』が、生まれたりもしたんだ。」
(ペン)「そうなんだぁ。
     『大久保利通』と、『明治六年政変』は、
     物凄く、色々な影響を与えたんだね。」
(ハム)「それでね。
     政治面では、今の『官僚制度』は、その基礎を、
     『大久保利通』が、
     築いたとも言われているんだ。
     ただ、その様子を観て、『大久保利通』への、
     権力の集中には、批判も出ていたんだよ。」
(ペン)「そりゃぁ、批判も出るでしょ!
     だって、既に、『佐賀の乱』まで、
     起きちゃっているんだもん。
     あ゛っ!
     そう言えば、『西南戦争』の時は、一体、
     どうしていたの?」
(ハム)「京都で、政府軍を指揮していたんだって。
     ただね。
     この時に、『大久保利通』は、
     『薩摩の敵』・『鹿児島の敵』・
     『西郷どんの敵』
     と言う様に、観られ方が固まってしまうんだ。
     そんな状況下では、流石に、『西郷どん』とは、
     会えなかったんじゃないの?」
(ペン)「ええ゛~!
     そうなんだぁ。
     それで、『西郷どんの敵』なんだぁ。
     でもさ。
     実際は、どう思っていたんだろうね。
     『西郷どん』には、
     生きていて欲しかったのかなぁ?」
(ハム)「その辺りはねぇ。
     何とも、言えないところだと思うよ。
     友情だって、愛情だって、それが、
     憎悪に変わっちゃったらさ。
     どうにもならない時もあるじゃん。」
(ペン)「う゛~ん!
     でもさ。
     『大久保利通』と、『西郷どん』は、
     戦わなかった訳でしょ。
     それに、弟の、『西郷従道』だって、
     動かなかった訳でしょ。
     やっぱり、何かあると思うんだけどもなぁ。」
(ハム)「おや?
     ちょっと待って!
     運転手さんが、
     『大久保は、西南戦争前に、
      西郷と会談したいと思っていたそうですよ。
      ですが、暗殺の虞があると言うことで、
      『伊藤博文』達に、止められたそうです。
      西郷の、死の知らせが届くと、号泣して、
      そこら中に、頭を、
      ぶつけ捲っていたそうです。
      それから、
      『自分ほど西郷を知っている者はいない。』
      と、豪語もしていたそうです。
      暗殺された時には、
      西郷からの手紙を身に付けていた、
      とも言われています。』
     なんだって!」
(ペン)「あ゛~!
     やっぱり、そうじゃん!
     『大久保利通』は、『西郷どん』が、
     大好きだったんだよぉ。
     いくら、意見が合わなくっても、
     失脚させてしまった様にも観得ても、
     『西郷どん』が、いなくなってしまったことは、
     とっても、悲しかったんだよぉ。
     だから、その分、
     頑張ろうと思ったんじゃないのかなぁ?」
(ハム)「う゛~ん。
     そうなのかぁ。
     ペンは、さっき、『大久保利通』のことを、
     『独裁者』って言ってたけど、観方を変えると、
     『西郷どん』が、大好きだった、その裏返しと、
     そう言うことなのかも知れないよね。
     本当は、仲違いなんて、お互いに、絶対に、
     したくなかったのかも知れないね。」
(ペン)「そうだよぉ!
     きっと、そうだよぉ。
     だから、『西郷どんの敵』は、
     可哀想過ぎるよぉ。」
(ハム)「そうかもね。
     あと、運転手さんが、
     『大久保は、金銭には潔白で、
      私財を蓄えることは、全く、
      しなかったそうです。
      また、予算がつかなかった公共事業に、
      私財を投じたんだそうです。
      そのため、死後の財産が、
      現金140円だったそうです。
      その上、借金が、8,000円も、
      あったそうで、自宅などの財産も、全て、
      抵当に入っていたそうですよ。』
     って、言ってるよ。」
(ペン)「え゛~!
     本当にぃ?
     今まで、話しをしてきた人物像とは、全然、
     違うじゃん!」
(ハム)「んとね。
     まだ、続きがあるみたい。
     『大久保が、借金をした、
      債権者達なんですけどね。
      大久保の、心情を、理解していた様で、
      暗殺後に、遺族に、借金の返済を、
      求めなかったそうです。
      それから、大久保は、生前に、
      学校建設・運営費として、鹿児島県庁に、
      8,000円を、寄付してたんです。
      それを、政府が、回収して、あと、
      大久保暗殺の募金を、8,000円集めて、
      遺族を、1万6,000円で、
      養ったんです。』
     と言うことだよ。」
(ペン)「ふぅ~ん。
     そうなんだぁ。
     だけどもさ。
     死んじゃった後に、評価されてもさ。
     何となく、浮かばれない気もするんだよねぇ。」
(ハム)「う~ん。
     それは、確かに、あるかもね。
     それでね。
     『大久保利通』の、暗殺に、
     ついてなんだけどさ。
     『紀尾井坂の変(きおいざかのへん)』
     って、呼ばれているんだって。
     他にも、『紀尾井坂事件』や、
     『大久保利通暗殺事件』と、
     呼ばれる場合もあるそうだよ。
     明治11年(1878年)5月14日に、
     起こったんだって。」
(ペン)「げぇ~!
     それって、『西南戦争』の、次の年じゃん!
     その上、『西郷どん』の死後、たったの、
     8か月じゃん!
     なんてこったい!
     一年も経たない内に、『維新の三傑』の、
     二人が、死んじゃうなんてさ!
     なんと言う皮肉!」
(ハム)「そうだよねぇ。
     本当に、そう思うよ。
     それで、
     事件の名称にもなった場所なんだけどさぁ。
     『東京府麹町区麹町紀尾井町清水谷
      (現在の東京都千代田区紀尾井町清水谷)』
     なんだって。
     皇居の西側で、
     東宮御所との中間位の位置なんだけどさ。
     直ぐ近くに、『ホテルニューオータニ』が、
     あるんだけど、おデブ隊長は、市ヶ谷駐屯地や、
     防衛庁(檜町駐屯地)にいたから、
     良く解るんだって。」
(ペン)「ふぅ~ん。
     まぁ、おデブ隊長の、自慢話は、
     どうでもいいとしてさ。
     犯人は、どんな人だったのぉ?」
(ハム)「えっとね。
     不平士族、6名、だったんだって。
     その6名なんだけど、石川県士族『島田一郎』・
     『長連豪』・『杉本乙菊』・『脇田巧一』・
     『杉村文一』と、
     島根県士族『浅井寿篤』の6名だったそうだよ。
     その6名は、自首したんだけど、結局、
     斬罪となったそうだよ。」
(ペン)「そっかぁ。
     そりゃそうだよね。
     暗殺だものね。
     いくらなんでも、人殺しは、
     絶対にダメだよね。」
(ハム)「それでね。
     『大久保利通』の葬儀は、
     現役の『内務卿』と言うこともあって、
     近代日本史上、最初の、
     国葬級葬儀となったんだって。」
(ペン)「まぁ、そうなんだろうね。
     でもなぁ。
     死んじゃったら、本当に、何も、
     意味が無いよなぁ。」
(ハム)「おっと!
     運転手さんが、
     『その(暗殺の)時に、
      馬車の御者をやっていた者なんですがね。
      『中村太郎』って、言うんですは。
      その『中村太郎』ですが、生まれは、
      大阪なんですが、捨て子だったんです。
      その子を、大久保が拾って、『中村太郎』と、
      名付けたんですは。
      『中村太郎』は、素手で、戦うんですが、
      喉を突かれて、絶命してしまいます。
      その時の、馬車の馬も、
      殺されてしまうんですは。
      それで、大久保の葬儀の時に、
      『中村太郎』の葬儀も行われ、
      『中村太郎』も、馬も、青山墓地で、
      大久保の、直ぐ傍らに、
      埋葬されたそうですは!
      大久保には、捨て子を、引き取って、
      その面倒を看ると言う、
      優しい一面もあった様です。
      明治政府内では、寡黙で、
      他を圧倒する威厳を持っていて、なおかつ、
      冷静な理論家であったので、誰も、大久保に、
      面と向かって、
      意見できなかったと聴いていますがね。』
     だそうだよ。」
(ペン)「なんだか、凄い話しになってきちゃったなぁ。
     実際問題、俺は、『大久保利通』に、
     偏見を持っていたかも知れないなぁ。
     本当に、
     『人は見掛けに寄らず』
     なのかも知れないね。」
(ハム)「あぁ。
     俺も、今、そう思っていたところさ。
     それで、『大久保利通』なんだけど、
     かなりの子煩悩でもあった様だよ。
     子供は、何と、八男一女を、
     授かったそうなんだ。
     だから、子孫は、目茶苦茶、多いみたい。
     『麻生太郎』元首相は、何ともまぁ、
     『大久保利通』の、『玄孫』なんだって!」
(ペン)「ほぇ~!
     そうなんだ。
     政治家から、政治家かぁ。
     明治から、大正。
     そして、昭和から、平成と、血は、
     脈々と続いているんだねぇ。
     ところでさぁ。
     この『大久保利通 銅像』なんだけどさ。
     鹿児島市内の、中心地に、
     建てられているって感じじゃないよね。」
(ハム)「うん。
     流石に、『西郷隆盛 銅像』の、近くには、
     建てられなかったみたい。
     だから、『大久保利通 生い立ちの地』の近く、
     そして、『西郷どん』達と、鰻を獲ったりして、
     遊び捲っていた、『甲突川』の辺。
     そこに、建てられているんだ。
     何を、見詰めているのかは、判らないけど。」 Img_0725
(ペン)「きっとさ!
     『甲突川』を、観ているんだよ。
     幼い頃から、そして、少年時代、青年時代と、
     『西郷どん』達と、
     遊び捲っていた『川』じゃん!
     想い出を、馳せ巡らせるのには、丁度良い、
     場所じゃん!
     そんな、愉しいことを、想い出すのには、
     この場所が、一番、良いんだと思うよ。
     『大久保利通』に、とってはさぁ。
     最高の、場所なんじゃないのかなぁ。」
(ハム)「そうだね。
     俺も、きっとそうだと思うよ。
     最後まで、薩摩、つまり、鹿児島までは、
     戻って来られなかったんだもの。
     今は、青山墓地で、眠りについているけど、
     ここに、銅像を建てて貰って、
     嬉しく思っているんじゃないのかなぁ。」
(ペン)「そうだよねぇ。
     あの世では、きっと、『西郷どん』達と、
     仲直りして、愉しく、
     過ごしているんじゃないのかなぁ。」
(ハム)「うん!
     きっと、そうだよ。
     最後の、見学場所は、
     ハッピーエンドじゃなくっちゃね!」
(ペン)「うん!
     勝手にだけど、ハッピーエンドだぁ~!」
(つづく・・・。)
皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

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2018年3月15日 (木)

『年賀はがきの妙!(その2)』(^^;


おはようございます!(^o^)/

 

 

【年賀はがきの妙!(その2)】(^^;

 

 

今年と言うか、昨年になりますが、年賀状は、350枚、買い求めました。

 

そして、出した年賀状は、約320通。

 

印刷を、ミスしたものもありますが、30枚ほど、余ったと言うことになります。

 

と言うのも、頂いた喪中の葉書は、二十通近くを数えていました。

 

喪中の葉書が、そんなにも届いたのは、今回が、初めてじゃないのかと、ただただ、驚いているばかりでした。

 

時の流れは、誰にも止めることはできず、また、突然の、思わぬ事故や、傷病等、悲しいお知らせも届きました。

 

心が痛みます。

 

改めまして、謹んでご冥福をお祈りしたいと存じます。m(_ _)m

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

さて、私が、お年玉付き年賀はがきの初当選を得たのは、小学校5年生の時だったと思います。

 

その頃は、何等まで、当選番号があったかは覚えていませんが、とにかく、切手シートが1枚、当たりました。

 

それはもう、大喜びで、宝物の様に、机の引き出しの中にしまっておいたのですが、保管状態が悪かったのか、入れてあった袋と、切手シートがくっついてしまい、とっても落胆していました。

 

そこへ、母親が、切手シートを差し出し、

 

「これは、叔父さん(母の弟)からだよ。」

 

と、言ってくれたのを覚えています。

 

当時、叔父は、郵便局員で、私の話しを聞き、わざわざ、切手シートを贈ってくれたそうです。

 

また、切手の、取り扱いや、保管方法も教えてくれて、そのお陰で、私は、いきなり、俄か切手収集家になってしまったのでした。

 

その頃は、ちょっとした切手ブームでもありまして、私が通っていた小学校でも、ちびっ子収集家が溢れ、「見返り美人」や「月に雁」と言った、超高額の切手を、わざわざ見せびらかせに、学校に持って来ていた児童もいました。

 

そのため、小学校では、切手の持込が禁止されたのですが、それでも、裏取引?をしている児童達が、絶えることはありませんでした。(^^;

 

私は、叔父から、

 

「切手収集は、お金が掛かる。

自分の小遣いで賄えなければ、止めなさい。

身の程を知るんだよ!」

 

と、釘を刺され、私の切手は、母親の監視下のもとに、置かれることになってしまったのでした。(^^;

 

 

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さてさて、またまた、前置きが長くなってしまいました。(^^;

 

小学校5年生で、初切手シートを、ゲットしてから、私は、お年玉付き年賀はがきを受け取るのが、本当に楽しみになってしまいました。

 

ん゛っ?

 

と言うことはぁ、切手シートが欲しいから、年賀状を、書き捲り、出し捲ったってことぉ?

 

ん゛~、確かに、その様な卑しい心が、少なからず、あったかも知れません。(^^;

 

とは言っても、お年玉付き年賀はがきが、毎年毎年、当たる訳がありません。

 

当然、当たらなかった年もある訳でして、ちょっと調べてみないと判りませんが、いつ頃から、毎年、何枚か、切手シートが当たる様になりました。

 

それは、やはり、年賀状の交歓枚数が、300通程度を、超えた辺りからの様に思います。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

さて!

 

やっと、本題です。(^^;

 

今年の、年賀状。

 

差し出して頂いた皆様が、ほぼ、お年玉付き年賀はがきで、年賀状を贈ってくださいました。

 

その他の、オリジナルの年賀状では、和紙に、挿絵を描いて頂いたものや、書を一筆、認めて頂いたものや、私の好きな、航空機の写真を贈ってくださったものなど、それぞれに、特徴や特色があり、とっても、愉しませて頂きました。

 

それで、以下の話ですが、鼻血ブーの後ですから、先週の日曜日のことです。

 

私は、再びの鼻血ブーで、気持ちが、超~凹んでしまい、食欲が全く湧かず、毎日、うだうだしていたのですが、それを、母親から聞いた『きゃさりん副長。』が、私の好物の、ミニうな重を買って来てくれました。

 

ですがまぁ、実際は、年次総会資料の確認もあったのですが。(^^;

 

そこで、総会資料の確認は、早々に済ませ、1月中旬から気になっていた、お年玉付き年賀はがきの、当選確認を手伝って貰うことにしました。

 

すると!

 

なんともまぁ、驚きの結果となったのです。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

一応、切手シートの当選葉書は、7枚ありました。

 

その内の1枚は、私の手持ちの、余った葉書でした。

 

残りの6枚については、いきなり、『きゃさりん副長。』が、

 

「きゃぁ~!

 ツーペアじゃん!

 あとは、出雲大社の、ご縁のお陰?

 それに、12年前のご縁?」

 

と、騒ぎ出してしまいました。

 

と言うのも、当選した年賀はがきは、

 

1.出雲・米子訪問でお世話になった同期生の、「E藤」氏から

 

2.草野球チーム監督の、「E藤」さんから

 

3.30数年前、「自衛隊 中央病院」で、陸曹航空操縦学生の身体検査を受けた時に、不整脈があると判り、そのままだと、不合格になってしまうので、何回も、測定し直してくれて、結局、不合格だったのですが、その時、彼女は、看護学生で、その後、野球で肩を壊し、中央病院に通院した時に再会し、その時は、既に看護師となっていて、なおかつ、階級が、2等陸曹になっていて、とっても驚いて、そのまたその後、防衛庁の陸自の野球部に所属し、三宿まで、試合に出向いた時に、またまた再会し、「私の旦那さん。」と紹介され、とんでもなく驚いてしまった、「S井」さんから

 

4.ボーイスカウトで、任期は少しずれたのですが、地区コミッショナー研究集会や、トレーニングチームのお仲間として、ご一緒させて頂いている、「S井」さんから

 

5.約12年前、実修所奉仕予定だった時に、脳出血を発症し、奉仕できなかった時の所長の、「M田」さんから

 

6.出雲大社で、まさか、大先輩の、航空自衛隊生徒第5期生だとは判らずに、車椅子を押し続けて頂いてしまった、「出雲かたりべ」ボランティアガイドの、「W田」さんから

 

だったのです!(^o^)/

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

『きゃさりん副長。』の、大騒ぎは、なかなか収まらず、

 

「でもさ。

 『田』の人も、二人いるから、3ペアじゃないの。

 あ゛っ、ポーカーは、5枚だから、2.5ペアか。

 凄っいじゃん!

 面白いなぁ。

 今年は、何か良いことある?

 きっと、出雲大社の、ご縁のお陰だよ。

 だって、みんな、よく知っている人ばっかりなんでしょ。

 電話してみたら?

 きっと、何かのお告げなのよ!」

 

と、騒ぎ捲っておりました。(^^;

 

ですが、この事実には、私は何も応えることができず、

 

(こんな、不思議なことも起こるんだなぁ。)

 

と、ただただ、頂いた葉書を見つめ直すばかりでありました。(^^;

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

とは言っても、今年は、年始からの、鼻血ブーから始まり、また、夜間救急で、MRI検査を受けたり、先々週からの、再度の鼻血ブーで、

 

(果たして、良い年になるのかなぁ。)

 

と、心配の種は尽きません。

 

それに、もう一つ!

 

12年前のことが、とても気になります。

 

やはり、お年玉付き年賀はがきが、関わっていたのを、思い出してしまいました。

 

その件につきましては、また、次回と言うことで。(^^;

 

 

皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

 

 

(つづく・・・。)

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2017年7月 9日 (日)

『匂いの、正体!(その3)』(^-^)/

(出雲市・米子市 訪問:その47)


(※注:平成29年5月4日(木・祝)の記憶です。)


おはようございます!(^o^)/


【匂いの、正体!(その3)】(^-^)/


(ペン)「あのさぁ。
     今までの話を聴いているとさぁ。
     『Wさん』と、おデブ隊長の、共通点って、
     『自衛隊生徒』だけじゃん。
     それで、どうして、話が盛り上がってんのさ。」

(ハム)「そうだね。

     実はね。
     『通信』は、通信でも、『航空通信』と
     言うことが、かなりの共通点みたいなんだよ。

     『Wさん』はね。
     戦闘機の、『通信修理』だったみたい。
     それで、最初の赴任地は、沖縄だったんだって。

     それはね。
     最新鋭の戦闘機が、配備されると、
     最新の通信機器の整備、修理ができる者が、
     付いて行かなくちゃならなかった
     からなんだって。

     だから、学校で、最新の教育を受けた生徒が、
     赴任するのが、当たり前の様な感じだった、
     って、言ってるよ。

     その後も、『戦闘機』がある部隊、基地へしか、
     転属は、できなかったんだって。

     例えばだけど、お隣の、鳥取県境港市にある、
     『美保基地』には、『輸送航空隊』が、
     あるんだけど、そう言う所に、転属の希望を
     出しても、叶わなかったんだって。

     でも、『浜松基地』の実習で、
     『ブルーインパルス』を、観たり、触ったり、
     できた時には、無茶苦茶、嬉しかったそうだよ。」

(ペン)「へぇ~!
     『ブルーインパルス』、格好良いもんね。」

(ハム)「それでね。

     『Wさん』が、

      『陸上自衛隊にも、『航空通信修理課程』と
       言うものが、あるとは知りませんでした。』

     って、言ってるよ。

     それに対して、おデブ隊長が、

      ・生徒17期から、新設された課程

      ・自分は、『航空通信修理課程』では、
       5期生に当たる

      ・『航空通信修理課程』の人数は、
       他の課程に比べて、とても少なく、
       17名だった

     などの説明をしているよ。」

(ペン)「そっかぁ!
     『航空通信修理』、繋がりなんだぁ!
     だから、話が、滅茶苦茶、
     盛り上がってたんだね。」

(ハム)「うん!

     それとね。
     『第5期生』と言うのが、『Wさん』の興味を、
     かなり、そそったみたいだよ。」

(ペン)「え゛~!
     でもさ。
     5期って言っても、全然、違う5期じゃん!
     それでも、良いの?」

(ハム)「いいみたいだよ。
     とにかく、おデブ隊長の方が、
     少しでもずれていたら、例えば、
     『航空通信修理課程』の、4期だとか、
     6期だったら、どうなると思う?」

(ペン)「ん゛~!
     まぁ、何となく、しっくりとは来ないよなぁ。」

(ハム)「でしょう!
     だから、『Wさん』は、同じ職種で、同じ期で、
     ワクワクしちゃったみたいなんだ。」

(ペン)「ふぅ~ん。
     そんなものなのかなぁ。
     『自衛隊生徒』って、超~、ふ・し・ぎ!」

(ハム)「何だか、アルファベットの話をしているよ。

     えっとぉ。

     VHF・UHF・HF・AM・FM・SSB・
     ADF・VOR・GS・ILS・LOC・
     SIF・IFF・GCA・TACAN・
     DEM・GPS・AMeDAS・
     CONTROL・APPROACH・
     TOWER・JP4・JP5・
     FOLLOW ME・・・・・。

     って、際限が無いなぁ。」

(ペン)「げぇ~!

     何を言ってるのか、全く、解んないよぉ。
     おデブ隊長、いい加減なことを、
     言ってんじゃないのぉ。

     適当に、滅茶苦茶に、アルファベットを、
     並べているだけじゃないのぉ。」

(ハム)「ん゛~。
     そうでもないみたい。

     『Wさん』がね。
     一つずつ、頷きながら、聞いているもの。
     その上、相槌まで打ってるよ。」

(ペン)「ふぅ~ん。
     そうなんだ。
     でもさぁ。
     なんで、あんな単語で、話が通じるのさ?」

(ハム)「そこなんだよなぁ。
     どうやら、みんな、アルファベットの、
     頭文字を、取ったものみたい。

     それでね。
     無線機の名前だったり、航空システムの名称
     だったり、気象・管制の名前だったり、
     色々みたいだよ。

     それが、二人が共通認識できて、話は、充分、
     通じるみたいなんだ。」

(ペン)「ひょぇぇ~!

     それってさ。
     隠語とか、合言葉とか、二人だけにしか、
     解からない言葉って、そう言うことだよね。」

(ハム)「そうだね。
     多分、ここ周辺にいる人達の中で、
     二人の言葉が判る人は、殆ど、
     いないんじゃないのかなぁ。

     余程の、航空マニアならば、話は、別だけどぉ。」

(ペン)「でもさぁ。
     そんな話で、面白いのかなぁ。」

(ハム)「大丈夫みたいだよ。

     『Wさん』は、

      『いやぁ、大駐車場でお会いしてから、
       色々と、お話を聴いていて、
       ひょっとしたら、元自衛官だったんじゃ
       ないのかって、気になっていたんですよぉ。
       それが、まさか、生徒ご出身の方だった
       なんて。

       それも、同じ、『航空通信修理』
       だったとは、信じられない、
       巡り合わせですよ。

       自衛官の方は、何回か、ご案内した経験が
       ございますが、今回はですねぇ。

       いやぁ、実に驚きました。

       これは、もはや、偶然ではないですねぇ。
       やはり、お導きがあったのだと思います。
       それも、単なる『縁結び』ではなく、
       『超~、縁結び』ですなぁ。

       ワッハッハッハ!』

      って、大喜びしているから。」

(ペン)「そんなにも、陸海空の、生徒同士が、
     出会うのは、珍しいものなの?

     確率が、超~、低いってことなのぉ?」

(ハム)「そうだね。

     おデブ隊長がねぇ。
     立川駐屯地にいた時に、『入間基地』とか、
     『厚木基地』に、行くことがあったんだって。

     そこで、色々と聞いてみても、生徒出身者は、
     見付けることができなかったんだって。

     あとね。
     市ヶ谷駐屯地や、防衛庁(桧町駐屯地)で、
     勤務していた時には、海上自衛官や、
     航空自衛官とも、一緒に勤務していたことが
     あったんだけど、海上自衛官で、一人だけ、
     生徒出身者に、会うことができたんだって。

     それも、珍しいことに、第21期の同期生
     だったんだって。

     航空自衛官では、生徒出身者には、
     会えなかったんだって。」

(ペン)「ふぇ~!
     超~、難関って言うことぉ?」

(ハム)「そうみたい。

     やっぱり、『航空自衛隊生徒』は、
     人数が少ないだけに、会える確率は、
     物凄く、低いみたいだよ。

     その上、同じ職種って言うのは、
     奇跡に近いみたいだよ。」

(ペン)「そっかぁ。
     そうなんだ。
     それで、『物凄い縁結び』って、
     ことなんだね。」

(ハム)「うん!
 
     きっと、『Wさん』にとっては、初めてのこと
     なんじゃないのかなぁ。

     勿論、おデブ隊長に、とってもだけど。」

(ペン)「そっかぁ。

     二人にとっては、とっても意外で、初めての
     ことだから、こんなにも、
     盛り上がっているんだね。

     するってぇと、話しの止め様が無いし、
     こりゃ、放置だな。」



(つづく・・・。)(^^;



皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

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2010年11月24日 (水)

『拳を上げるな!』 (今現在)

自衛隊生徒の時、区隊長に言われた言葉がある。

『拳を上げるな! 拳を上げるから、振り下ろしたくなるんだ!』

他にも、似た様な言葉を、沢山、聞いてきた。

『箸を握るな! 握ると突き刺したくなる。』

『棒を持つな! 棒を持つと振り回したくなる。』

『石を持つな! 石を持つと投げたくなる。』

『バットを持てば、振りたくなる。』

『竹刀を持てば、叩いてみたくなる。』

『ボールがあれば、蹴りたくなる。』

『サンドバッグがあれば、蹴ったり、殴ってみたくなる。』

『鉄棒があれば、ぶら下がり、跳馬があれば、跳んでみたくなる。』

そして、

『ライターを持てば、火を点けたくなる。』

『煙草を手にすれば、吸ってみたくなる。』

『杯を手にすれば、酒を呑んでみたくなる。』

更に、

『ナイフを持てば、刺してみたくなる。』

『銃を手にすれば、撃ってみたくなる。』

『原爆を作ってしまったら、落としてみたくなる。』

少年工科学校の1年生。

未だ、坊主頭の15歳であった。

そんな時に、7.62mm64式小銃を与えられた。

重さは、4.3kgだったと思った。

それを、区隊長に、ずしりと両腕の上に、抑え付けられる様にして、載せられた。

思わず、落としそうになった。

同期で、銃を落とした奴がいた。

区隊長は、容赦無く、蹴飛ばした。

『馬鹿もんが! 貴様なんかは、銃を持つ資格が無い!』

15歳の小僧には、荷が重過ぎる、小銃の授与式であった。

『これは、武器ではない! 平和を守るための道具だ!』

そう、第1教育隊長、高濱3佐は叫んだ!

第1区隊長、中澤1尉はこう言った。

『この小銃は、人を撃つためのものではない! 平和を維持するために、それを音で知らせるために、発砲するのだ。』

15歳の若僧には、全く、理解ができずにいた。

『戦争は、絶対に起こしてはならない。また、武器も使用してはならない。』

高濱3佐は、幾度と無く、そう、私達に教育をした。

だけれども、矛盾だらけであった。

武器を武器と言うな!

武器を持っているのに、使うな!

と言う。

本当に、訳が判らなかった。

助教達も、口を揃えていた。

岸1曹は、

『国を守ると思うな! 自分の、一番大事な人を守ると思え! 家族だったり、友達だったり、そう言う人達を守る時にだけ、銃を使え!』

山本3曹も、それに続いた。

『今は、周りには、同期しかいない! 助け合えるのは同期しかいない! 同期はとても大切な仲間だ! 同期は守れ! その時に、銃を使うんだ!』

初めは、銃を持つ事が、格好好い事だと思っていた。

銃に触れる事が、嬉しく思えていた。

小銃を手にして、一人前の、自衛官になった様な気がした。

学校朝礼で、銃を持って行進をした。

それが、国を守っていると思わさせた。

銃の扱いに慣れてきた。

銃の分解もできる様になった。

実弾射撃もした。

たかだか、15歳で、である。

平和の意味?

国を守る?

自衛権の行使?

憲法第9条?

特別職国家公務員?

自衛隊員ではなくて、自衛官?

『自衛隊内で、銃を撃てるのは、自衛官だけである!』

そう、中澤1尉は、言っていた。

『貴様達は、自衛官である! その自覚を持て!』

生徒の、1年生の時は、銃を撃てる事が嬉しくって、それで終わってしまった。

2年生の時には、あまり変化が無かった。

3年生になり、東富士で、野営訓練を行った。

夜間行軍の最後に、銃をハイポートし、何キロも走った。

とにかく、暗闇の中を走った。

銃が、こんなにも重たいとは!

同期が挫けそうになった。

助教が怒鳴った!

『同期を見捨てるな! みんな辛いんだ! 助け合え!』

銃を、2丁手にした。

重さは倍になった。

もう、銃を抱きかかえるしかなかった。

銃の重みを、とことん、知った時であった。

3等陸曹になった。

ひょんな事から、防衛庁に転属になった。

六本木である。

実際は、檜町駐屯地と言った。

その、檜町警備隊本部の運用科勤務となった。

警備隊の本部には、狙撃手要員が、置かれていた。

本部内で、その選抜が行われた。

狙撃手になると、専用のスコープが渡された。

銃には、常にそれが装着されていた。

狙撃手は、年に何回か、射撃訓練を行っていた。

但し、その『的』になるのは、自分自身であった。

警備隊本部の、あまり広くは無い講堂に、コンパネが運び込まれた。

そこに、その上に、狙撃手、自分自身が、寝転がって、大の字になるのである。

お互いに、人型を取った。

髪を黒く塗り、服の部分はOD色に塗り、肌が露出している部分は、肌色に塗った。

裏に、角材を打ち付け、『的』は、完成をした。

結局、自分で、自分自身を撃つのである!

自分で自分を撃つ!

その時、私は思った。

『銃は、人に向けてはいかん!』

その事の、大元の意味は、少年工科学校の、教育隊長であり、区隊長であり、助教達が、語ってくれていた。

私は、私が私自身を撃つ度に、そんな事を思い出していた。

昨日、とっても悲しい、そして、とても愚かなニュースが舞い込んだ。

確かに、朝鮮半島は、戦時中である。

ただ単に、休憩(休戦)をしているだけである。

いつ、何処で、何が、勃発をしたっておかしくは無い。

だけれども、人に、筒を向けはいけない。

ましてや、人を殺めては、絶対にいけないのである。

人殺し。

殺戮。

戦争。

どれもこれも、行ってはいけないのである。

『銃を持てば、撃ちたくなる。』

『大砲に、弾が込められていれば、撃ってみたくなる。』

人間とは、何て、愚かで儚い、ものなのであろうか!

誰を責める訳でもないが、考える余地は、まだまだ、残されている様に思えてならない。

犠牲となって、尊い命を失ってしまった方々のご冥福を、心から祈りたい。

『拳は上げちゃいかん! まず、話し合え!』

確か、生徒8期、田中1尉の言葉だったと思った。

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2010年7月11日 (日)

(きゃ#36) 『手旗の起源!』(^o^)/ (今現在)

『きゃさりん副長。』の、感動的な『スカウツオウン』が終りまして、次は、『技能訓練』の時間となりました!(^o^)/

今回の『技能訓練』は、何と!

『手旗』なのです!(^-^)/

『きゃさりん副長。』から、強~~い、ご希望がありまして、『手旗通信』を、行なう事となりました。

ですが、一体全体、インストラクターを、誰にするのか?

そこは本当に、大問題であります!

ですが、身近で、『手旗』を行なえる者は、極々、限られております。

それに、『手旗通信』となりますと、殆ど、ほぼ、一人しかおりません!

但し、その人間は、左半身片麻痺の、身体障害者であります。

それでも、その人間を扱き使おうと言うのですから、インストラクターになる人間は、堪ったものではありません!(>_<)!

ですが、仕方が無いのです。

今現在の、指導者の技能は、相当、低下をしております。

どうしようもない位に、低下をし切っています。

ですが、それで、通用させてしまっています。

当団の、ボーイ隊は、果たして、本当に『手旗訓練』を行っているのでしょうか。

いや、多分、無理な相談でしょう。

ですので、ボーイ隊指導者に、お願いをする訳にもいきません。

ですので、そこは仕方がありません。

『解っている人間が行なう!』

それは、『スカウト技能』教育の、大鉄則であります。

決して、『嘘』や『中途半端』な技能を教えてはなりません!

教えるならば、『本物』を、伝え教えなければなりません。

また、見学をするならば、『本物』を観る!

体験をするならば、『本物』に触る!

それは、本当に、『鉄則』であります。

それを行わないからこそ、スカウティングは、指導者の能力の低下を招き、プログラムの愚劣化を引き起こし、魅力が無い物に、成り下がってしまったのであります。

本当に、何と言う、愚かな事でしょう!

本当に、情けなく思います。

スカウティングの衰退の原因の一つには、その様な事もあるのです。

と、まぁ、愚痴を言っていても何も始まりません。

私は、中学校1~2年生の頃に、海軍出身の、初代駿東地区地区コミッショナーに、地区で行われていました少年幹部訓練で、嫌と言うほど、体に叩き込まれました。

ですが、『カタカナ手旗通信』の実技は知っていても、その歴史は、全く知りませんでした。

その前に、『欧文(アルファベット)』ですが、ボーイスカウトの創始者である、ベーデン・パウェルが、今から100年以上前に『スカウティング・フォア・ボーイズ』と言う著書を著しました。

その著書は、ボーイスカウトを、爆発的に発展させる切欠となったものですが、その著書の中には、『アルファベット』の『手旗信号』が記されていました。

調べてみますと、『セマフォア信号』と言うものらしいです。

『スカウティング・フォア・ボーイズ』は、中学時代に読み漁っていたのですが、どうしても、『カタカナ手旗通信』の歴史は、知る事ができませんでした。

また、駿東地区の初代コミッショナーは、多くを語る事無く、鬼籍に入られてしまいました。

今現在は、インターネットの時代であります。

何かを調べようとしますと、直ぐに、見つけ出す事ができます。

『手旗の起源』。

この事に付きましても、直ぐに発見をする事ができます。

ですが、私がボーイスカウトを拝命した25年前は、少なくとも、

和文タイプライターからワープロへ、

感熱式コピーから、熱転写(カーボン:トナー)式コピーへ、

と、移りつつあった時代だと思いました。

通信の先端と言えば、FAXが、席巻していた頃だったと思います。

インターネットも、電子メールも、まだまた、登場してはいなかったと思いました。

そんな頃、防衛庁で勤務をしていた頃ですが、一人の、海上自衛隊生徒出身者と出会うことができました。

それも、同期の21期生でした。

彼とは、大学も同じで、尚且つ、工学部電子工学科の、同じ同窓生でもありました。

そんな彼に、無理を承知で、お願いをしてしまったのでありました。

『手旗の起源を、教えてくれ!』、と!(^^;

自衛隊の文書規則は厳しく、おいそれと簡単には、文書などを出す訳には行きません。

その文書が、流出してしまっても大丈夫な物かどうかなどは、とても判断か付くものではありません。

そこで彼は、『自分の知識』として、FAXで私に、知らせてくれました。

本当に、有り難かったと思いました。

自衛隊生徒の同期って、本当に、何と有り難いものか!

同期生のみんなに対しましては、本当に、いつもいつも、『感謝!』ばかりであります。(^^;

さて、そんな事も含めながらでありますが、『きゃさりん副長。』と、ベンチャー君に対しまして、偉そうに、『手旗の起源』に付きまして、お話をしたのでありました。(^^;

Img_0648

私は、ついつい、『手旗通信』と申してしまいますが、どうやら、『手旗通信法』と言うのが、正しい呼称の様です。

ですが、とりあえずは、海上自衛隊の同期に頂いた資料を基に、話を進めて行きました。

その、内容によりますと。

Img_0649

『手旗は、日清戦争(1894年)の直前、当時海軍中尉であった釜谷忠道(かまたに ただみち)氏が部下と共同して考察したものであり、カタカナの裏文字を、両手に旗を持ち、書いてみせたところ、十分読み取れることがわかり、近距離用における実用信号として使えることで海軍省に進言したところ、正式に採用され、海軍の手旗信号法となった。』

と言う、ことでありました。

要は、時代は、明治時代だったと言う事なのですね。

それで、海軍軍人の方が、考案したと言うこと。

また、『カタカナの裏文字』に、着目をしたと言うこと。

近距離用の実用信号として、十分に使える。

海軍が一番最初に始め、海軍の手旗信号法として、成り立った、と言う事の様です。

つまり、海上自衛隊の同期に聞いてみて、正解だったと言う訳なのです!(^-^)/

それで、現代は、どの様な扱いになっているかと言いますと、

Img_0650

『手旗は、最も容易な視覚信号で、艦艇に、短艇に、陸上にと、この使用範囲は極めて広く、また、実用の機会は最も多く、電波機器が発達した現在においても、近距離用において、簡単に交信できうるものである。』

と言う、ことだそうです。

つまり、現在でも、しっかりと、『手旗信号法』を、用いていると言う状況の様です。

ここでのポイントは、

・最も容易な視覚信号である。

・私達、ボーイスカウトにとっては、海に、山に、川に、野原にと、どこでも使う事ができる。

・使用範囲が、極めて広い。

・実用の機会も多い。

・電気が無くても使える。

・近距離において、簡単に交信ができる。

と、まぁ、私達ボーイスカウトにとりましては、本当に、持って来いの通信法なのではないのでしょうか!(^o^)/

それを、見事に訓練もしないで、また、見事に使いこなせない。

本当に、現代の指導者達は、情けなくって情けなくって、仕方がありません。

この『手旗通信法』の話を聞きました、『きゃさりん副長。』ですが、俄然、やる気が湧いて来てしまった様でありました。

早く、『手旗』を手にとって、旗を振ってみたくて、仕方が無い様でありました。(^^;

ここで、ちょっと、補足をしておきたいと思います。

海軍省に、採用されてからでありますが、

・種々改良を加えた上で海軍信号規程として整備された。

・国民皆兵時代になり全国的に普及された。

・商船、漁船を問わず『手旗信号法』が一般船舶間で利用された。

・1931年(昭和6年)逓信省が告示し、日本船舶手旗信号法が制定された。

・1952年(昭和27年)運輸省が告示し、日本船舶信号法が公布され現在に至る。

とまぁ、様々な変遷はありますが、海軍省~逓信省と渡り、自衛隊は軍隊ではありませんから、防衛庁に返す訳にも行かず、結局、運輸省に落ち着いたのでしょうね。

今現在で言いますと、『国土交通省』になるのでしょうか。

そうしますと、今現在の『手旗通信法』の管轄は、『海上保安庁』と言う事になってしまいますね。(^^;

なかなか、本当に、厄介な話です。

元は、海軍ですから、海上自衛隊が歴史を持っているのに、それを管理しているのは、『海上保安庁』であると言う、とても、嫌~な、話になってしまいますね。(^^;

この辺りは、戦後の日本の、官僚主義の政治による、とっても捻れた、湾曲してしまった、おかしな現実の中に、『手旗信号法』が、捲き込まれてしまっていると思います。

それもまぁ、今現在の、日本の政治を観ていれば、仕方が無い事なのでしょうね。

本当に、この国は、何処まで、馬鹿な国になってしまうのでしょうか!

ボーイスカウトの指導者と同様に、情けなくって仕方がありません!(>_<)!

おっと、話がずれてしまいました。

実は、『海上保安庁』にも、同期生がいます。

と言う事で、今度は、『海上保安官』に、話を聞いてみたいと思います。

ですが彼は、1級無線技術士だからなぁ。(^^;

何となく、様相が異なる気がしています。

さぁて、超、やる気になりました、『きゃさりん副長。』ですが、『手旗』の実技は、一体全体、どの様な感じだったのでしょうか!

実は、『手旗』の『技能訓練』ですが、この後、延々と終わり無く、続いてしまう事になってしまうのでありました。(^^;

(つづく・・・。)

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2010年4月10日 (土)

『25年前の今日。』(^-^)/ (今現在)

今から25年前、昭和60年 4月10日の事である。

流石に、曜日までは覚えてはいない。

但し、天気は、晴天であった。

その時は、防衛庁にいた。

六本木の、一等地である。

今では、東京ミッドタウンとなってしまい、防衛庁の面影は、全く無いであろう。

残っているのは、檜町公園だけであろうか。

その10年前、昭和50年 4月10日に、私は、陸上自衛隊 少年工科学校に、陸上自衛隊生徒 第21期生として、入校をした。

それから、自衛官として、丁度、10年の、節目の日でもあった。

家にいるのが嫌で、家の仕来たりが嫌で、家の雰囲気が嫌で、家の食事が嫌で、とにかく、家を出たかった。

それに、普通の高校生活などは、全く、送りたくもなかった。

とにかく、人と同じ事をするなどとは、考えられなかった。

高校に行き、大学に行き、そして就職をする。

そんな事をして、一体全体、何になるのだと思っていた。

また中学の担任からは、

『君は、日大三島高校に行けば良いんだ。それでそのまま、大学に行けば良いんだ。』

と言われていた。

その、決め付けられた言葉に対しても、猛反発をしていた。

とにかく、全てが嫌だった。

そこから抜け出したかった。

陸上自衛隊 少年工科学校は、そんな私にとっては、格好の場所であった。

少年工科学校を卒業後は、航空学校を卒業し、東部方面ヘリコプター隊、中央基地通信隊を経て、防衛庁 檜町警備隊本部に、辿り着いていた。

本当に、楽しい日々であった。

まるで、水を得た魚の様に、動き回っていた。

自衛官としての時代は、毎日が、全て、充実していた。

職務も、食事も、そして、東京理科大学にも通学をし、野球・空手・銃剣道・格闘道、等々。

本当に、楽しかった。

申し分の無い、生活であった。

私は、自衛官として、そのまま、過ごすものだと、思っていた。

とにかく、そんなにも居心地の良い場所を、離れるなどとは、思いもしなかったのである。

行く行くは、北海道に行き、スキー三昧。

沖縄だって、何処だって、日本全国を駆け巡ってもみたかった。

とにかく、家に戻るなどとは、考えも及ばなかった。

父親が、木から落ちた。

下半身不随になるかも知れない。

3ヵ月は、絶対安静である。

その様に聞かされたのは、防衛庁に居た頃であった。

父親は、本当は、園芸農家をやりたかったらしい。

その先には、造園業を、営みたかったらしい。

通信教育で、造園業の2級の資格も取った。

しかしながら、そこから先には、進む事ができなかった。

それは、木から落下したためでは無かった。

資金も無ければ、その他の資格も無い。

人脈も無ければ、農業経営のセンスの欠片も無い。

それに、たかだか2級程度では、何もできないのである。

近所の皆様に頼まれて、植木屋さんの真似事を、するのが精一杯であった。

父親は、木から落ちた。

頭蓋骨も、背骨も折った。

骨盤まで折った。

私はその姿を観て、これはもう、駄目だと思った。

そう思うしか無かったのである。

その当時の、自衛官の退職については、依願退職の場合は、手続きに、相当な時間を要した。

それには、様々な事由があったからである。

詳しい事は、書き記せないが、辞令が出るまでには、3ヵ月ぐらいの、時間を要したと思った。

その頃は、パソコンは、出始めであったが、まだまだ、和文タイプの時代であった。

文書を一つ作るのにも、相当な時間を要した。

今でもそうであろうが、国の機関の文書規則は、物凄い量の文章によって、制約をされている。

それもまた、各省庁によって、違うのである。

陸上自衛隊の文書規則は、2cmほどの厚さの、立派な書籍になっていた。

尚且つ、取り扱い注意になっていた。

それに従って、文書を作成しなければならなかった。

総務科の皆さんは、本当に、苦労をしていた。

横目で観ていて、総務だけは、文書陸曹だけは、やりたくは無いと、思っていた。

そうして、私の退職申請が、なされて行った。

私は、何回か、長期の休暇を頂き、稲刈りなどで、家にも戻っていた。

ところがである。

何回目かの時に、父親が、退院をすると言う。

大丈夫、だと!

私は、途方に暮れた。

一旦、覚悟を決めたとは言え、本当に、がっかりとした。

がっかりとしたどころでは無かった。

その時の想いは、とても、表すことはできない。

とにかく、怒る気にもなれなかった。

ドクターや、家族や、その周囲の人間達は、諸手を挙げて喜んでいる。

私一人だけが、悲しんでいた。

何とか、東京理科大学を卒業できることが確定し、教授の斡旋で、就職先も決まっていた。

そして、その上、結婚まで決まっていた。

もう、後戻りはできなかった。

総務科の先任陸曹は、

『1年以内なら、戻って来る事ができる。』

『7月の人事異動が過ぎたら、直ぐに申請を出せ。』

とまで言ってくれた。

しかしながら、全てが、退官確定の方向に、進んでいた。

結婚が、絡んでいた。

奥様になってくれる方は、婦人自衛官(当時の呼称:現在は、女性自衛官)であった。

それで、富士学校への転属も決まっていた。

もう、私一人での、話しでは無かったのである。

父親の木からの落下が、とても多くの、非常に多くの人々の、人生を、巻き込んでしまった。

後戻りはできない。

本当に、複雑な心境であった。

今考えてみると、ひょっとしたら、『覚悟』はできていなかったのではないのかと、思ってしまう。

いやきっと、『覚悟』はできていなかった様に思う。

後ろ髪は引かれていたであろう。

心は、六本木。

想いは、防衛庁。

それを無理矢理に、心の中に、閉じ込めていたと思う。

就職決定。

結婚決定。

新住居決定。

奥様の転属決定。

どれもこれも、破棄にする訳には行かなかった。

どれもこれも、実行を、するしか無かった。

そこで、自分自身が喜んでいると言う、演技をするしか無かった。

それによって、自分自身を、納得させる以外に、無かった様に思う。

実に情けなく、悲しく、空しいことであった。

決して、父親のせいにはしたくは無い。

だけれども、あの父親は、本当に、大事な時、ここぞと言う、大チャンスの時に、必ず何かをやらかしてくれていた。

必ず、大ピンチを作ってくれた。

今でも、不動産の関係で、ピンチを負わされている。

仕方が無いのだ。

とにかく、仕方が無いのだ!

父親なのだ。

仕方が無いのである。

だけれども、諦めがつかないし、踏ん切りもつかないし、覚悟もできない。

その昔、高校受験の頃であったろうか。

受験の面接で、

『尊敬する人は?』

と聞かれたら、

『父親です。』

と、答えなさいと、教え込まれた事があった。

私は、とてつもなく、怪訝に思っていたが、まぁ、先生が言うのだから、それに従っておこうぐらいの気持ちで、あまり深くは考えなかった。

しかしながらそれを、今は、とてつもなく、後悔をしている。

どうして、父親を尊敬しているなどと、心にも無い事を言ってしまったのか。

それが、その事が、そもそもの、自分自身の心の眼の、曇りの始まりであったのかも知れない。

父親の事は、残念ながら、全く、尊敬などしていない。

菩提寺の住職と大喧嘩をし、それはまだ良いが、それですぐさま、墓を引っ越してしまった。

そうしたらその翌年に、亡くなってしまった。

何をやっているんだと、いつも思ってしまう。

本当に、悲しくなってしまう。

そんな事はともかくとして、4月10日は、少年工科学校への入校日でもあり、自衛官を退官した日でもある。

今、2分の1世紀を生きた。

そしてその半分の25年前、もう、25年にもなってしまうのか。

だけれども、一つ一つ、鮮明に覚えている25年前。

その日に私は、自衛官を、退官してしまったのである。

今までは、そんなには、気にはしていなかったが、25年の節目を考えたら、一挙に、想いが巡ってしまった。

4月には、記念と記憶に残る日が、随分と、多い様な気がする。

(おしまい!)(^-^)/

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