カテゴリー「檜町警備隊本部」の3件の記事

2017年7月 9日 (日)

『匂いの、正体!(その3)』(^-^)/

(出雲市・米子市 訪問:その47)


(※注:平成29年5月4日(木・祝)の記憶です。)


おはようございます!(^o^)/


【匂いの、正体!(その3)】(^-^)/


(ペン)「あのさぁ。
     今までの話を聴いているとさぁ。
     『Wさん』と、おデブ隊長の、共通点って、
     『自衛隊生徒』だけじゃん。
     それで、どうして、話が盛り上がってんのさ。」

(ハム)「そうだね。

     実はね。
     『通信』は、通信でも、『航空通信』と
     言うことが、かなりの共通点みたいなんだよ。

     『Wさん』はね。
     戦闘機の、『通信修理』だったみたい。
     それで、最初の赴任地は、沖縄だったんだって。

     それはね。
     最新鋭の戦闘機が、配備されると、
     最新の通信機器の整備、修理ができる者が、
     付いて行かなくちゃならなかった
     からなんだって。

     だから、学校で、最新の教育を受けた生徒が、
     赴任するのが、当たり前の様な感じだった、
     って、言ってるよ。

     その後も、『戦闘機』がある部隊、基地へしか、
     転属は、できなかったんだって。

     例えばだけど、お隣の、鳥取県境港市にある、
     『美保基地』には、『輸送航空隊』が、
     あるんだけど、そう言う所に、転属の希望を
     出しても、叶わなかったんだって。

     でも、『浜松基地』の実習で、
     『ブルーインパルス』を、観たり、触ったり、
     できた時には、無茶苦茶、嬉しかったそうだよ。」

(ペン)「へぇ~!
     『ブルーインパルス』、格好良いもんね。」

(ハム)「それでね。

     『Wさん』が、

      『陸上自衛隊にも、『航空通信修理課程』と
       言うものが、あるとは知りませんでした。』

     って、言ってるよ。

     それに対して、おデブ隊長が、

      ・生徒17期から、新設された課程

      ・自分は、『航空通信修理課程』では、
       5期生に当たる

      ・『航空通信修理課程』の人数は、
       他の課程に比べて、とても少なく、
       17名だった

     などの説明をしているよ。」

(ペン)「そっかぁ!
     『航空通信修理』、繋がりなんだぁ!
     だから、話が、滅茶苦茶、
     盛り上がってたんだね。」

(ハム)「うん!

     それとね。
     『第5期生』と言うのが、『Wさん』の興味を、
     かなり、そそったみたいだよ。」

(ペン)「え゛~!
     でもさ。
     5期って言っても、全然、違う5期じゃん!
     それでも、良いの?」

(ハム)「いいみたいだよ。
     とにかく、おデブ隊長の方が、
     少しでもずれていたら、例えば、
     『航空通信修理課程』の、4期だとか、
     6期だったら、どうなると思う?」

(ペン)「ん゛~!
     まぁ、何となく、しっくりとは来ないよなぁ。」

(ハム)「でしょう!
     だから、『Wさん』は、同じ職種で、同じ期で、
     ワクワクしちゃったみたいなんだ。」

(ペン)「ふぅ~ん。
     そんなものなのかなぁ。
     『自衛隊生徒』って、超~、ふ・し・ぎ!」

(ハム)「何だか、アルファベットの話をしているよ。

     えっとぉ。

     VHF・UHF・HF・AM・FM・SSB・
     ADF・VOR・GS・ILS・LOC・
     SIF・IFF・GCA・TACAN・
     DEM・GPS・AMeDAS・
     CONTROL・APPROACH・
     TOWER・JP4・JP5・
     FOLLOW ME・・・・・。

     って、際限が無いなぁ。」

(ペン)「げぇ~!

     何を言ってるのか、全く、解んないよぉ。
     おデブ隊長、いい加減なことを、
     言ってんじゃないのぉ。

     適当に、滅茶苦茶に、アルファベットを、
     並べているだけじゃないのぉ。」

(ハム)「ん゛~。
     そうでもないみたい。

     『Wさん』がね。
     一つずつ、頷きながら、聞いているもの。
     その上、相槌まで打ってるよ。」

(ペン)「ふぅ~ん。
     そうなんだ。
     でもさぁ。
     なんで、あんな単語で、話が通じるのさ?」

(ハム)「そこなんだよなぁ。
     どうやら、みんな、アルファベットの、
     頭文字を、取ったものみたい。

     それでね。
     無線機の名前だったり、航空システムの名称
     だったり、気象・管制の名前だったり、
     色々みたいだよ。

     それが、二人が共通認識できて、話は、充分、
     通じるみたいなんだ。」

(ペン)「ひょぇぇ~!

     それってさ。
     隠語とか、合言葉とか、二人だけにしか、
     解からない言葉って、そう言うことだよね。」

(ハム)「そうだね。
     多分、ここ周辺にいる人達の中で、
     二人の言葉が判る人は、殆ど、
     いないんじゃないのかなぁ。

     余程の、航空マニアならば、話は、別だけどぉ。」

(ペン)「でもさぁ。
     そんな話で、面白いのかなぁ。」

(ハム)「大丈夫みたいだよ。

     『Wさん』は、

      『いやぁ、大駐車場でお会いしてから、
       色々と、お話を聴いていて、
       ひょっとしたら、元自衛官だったんじゃ
       ないのかって、気になっていたんですよぉ。
       それが、まさか、生徒ご出身の方だった
       なんて。

       それも、同じ、『航空通信修理』
       だったとは、信じられない、
       巡り合わせですよ。

       自衛官の方は、何回か、ご案内した経験が
       ございますが、今回はですねぇ。

       いやぁ、実に驚きました。

       これは、もはや、偶然ではないですねぇ。
       やはり、お導きがあったのだと思います。
       それも、単なる『縁結び』ではなく、
       『超~、縁結び』ですなぁ。

       ワッハッハッハ!』

      って、大喜びしているから。」

(ペン)「そんなにも、陸海空の、生徒同士が、
     出会うのは、珍しいものなの?

     確率が、超~、低いってことなのぉ?」

(ハム)「そうだね。

     おデブ隊長がねぇ。
     立川駐屯地にいた時に、『入間基地』とか、
     『厚木基地』に、行くことがあったんだって。

     そこで、色々と聞いてみても、生徒出身者は、
     見付けることができなかったんだって。

     あとね。
     市ヶ谷駐屯地や、防衛庁(桧町駐屯地)で、
     勤務していた時には、海上自衛官や、
     航空自衛官とも、一緒に勤務していたことが
     あったんだけど、海上自衛官で、一人だけ、
     生徒出身者に、会うことができたんだって。

     それも、珍しいことに、第21期の同期生
     だったんだって。

     航空自衛官では、生徒出身者には、
     会えなかったんだって。」

(ペン)「ふぇ~!
     超~、難関って言うことぉ?」

(ハム)「そうみたい。

     やっぱり、『航空自衛隊生徒』は、
     人数が少ないだけに、会える確率は、
     物凄く、低いみたいだよ。

     その上、同じ職種って言うのは、
     奇跡に近いみたいだよ。」

(ペン)「そっかぁ。
     そうなんだ。
     それで、『物凄い縁結び』って、
     ことなんだね。」

(ハム)「うん!
 
     きっと、『Wさん』にとっては、初めてのこと
     なんじゃないのかなぁ。

     勿論、おデブ隊長に、とってもだけど。」

(ペン)「そっかぁ。

     二人にとっては、とっても意外で、初めての
     ことだから、こんなにも、
     盛り上がっているんだね。

     するってぇと、話しの止め様が無いし、
     こりゃ、放置だな。」



(つづく・・・。)(^^;



皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

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2015年10月22日 (木)

『任せるっきゃない!』(^o^)/

(# 13)

おはようございます!(^o^)/

【任せるっきゃない!】

(※9月20日(日)の記憶です。ローバー隊臨時隊集会(仙台会場))

ローバースカウトが、事前に計画をし、私と『きゃさりん副長。』を、牛タンでもてなそうと考えていたのですが、その予定していたお店が、2時間待ちだとか!(^^;
ローバースカウトの話しと、仙台駅構内の、牛タンのお店の混雑具合から、他のお店も同様と判断をし、一路、『伊達正宗公』の下に向かうことにしました。

仙台駅西口の、タクシーのモータープールには、タクシーが、殆ど待機しておらず、3か所あるタクシー乗り場には、お客さんが列を成していました。
私は、車椅子だったので、タクシー乗り場の、係の女性が、一番近くの『3番乗り場』に案内をしてくれまして、然程、待たずに、タクシーに乗車することができました。

ですが、実際は、1番、2番、3番と、タクシーを誘導しないといけなかった様なのですが、それを、3番の私を優先してしまった様でして、1番・2番乗り場にいたお客さんには、かなり白い目で視られていた様でした。
それについて、『きゃさりん副長。』は、
『優先して貰うのは良いんだけど、(優遇して貰うと)身体障害者って、ずるく見られるよね。
 (そうすると)私達も、気兼ねしちゃって、何だか嫌だわ。』
と、評価をしておりました。
この問題は、とても難しいと、感じてしまいました。

タクシーに乗って直ぐに、私が、
『伊達正宗公のところに行きたいんです。』
と言いましたら、運転手さんが、
『お客さん!
 行っても良いけど、物凄く(時間と料金が)掛かるよ!
 今日は特別!
 「あらし」とか来ちゃっているから、それに、観光客も一杯でさぁ。
 大渋滞!
 普通ならば、15分ぐらいで行っちゃうんだけど、今日は、判らない。
 下手をすると、1時間位、掛かっちゃうかも知れないよ。
 それでも良い?』
と、話しを切り出して来ました。

私達3人は、一瞬、顔を合わせたのですが、『きゃさりん副長。』も、ローバースカウトも、
(隊長に一任! 隊長判断で結構です!)
と、目で訴えていましたので、
『はい!
 大丈夫です。
 お願いします。』
と、運転手さんに伝えました。

運転手さんは、
『お客さん、どちらから?』
と、話し掛けて来られ、私達は、代わる代わる、
・静岡から、ローバースカウトに会いに来たこと。
・ボーイスカウトに所属していること。
・親子ではないこと。(完全に間違えられていました。)
・ボーイスカウトの概略の説明(5つの部門)
・陸上自衛隊 少年工科学校 の同期生に会いに来たこと
・概略の日程
などを、運転手さんにお話ししました。

すると、大渋滞にはまりつつあった運転手さんは、覚悟を決めた様な感じで、
『いやぁ、私も、この仕事を始める前には、静岡にいたんだよ。
 袋井とか、掛川とか、あっちの工場で働いてたんだよ。
 静岡かぁ、懐かしいね!
 ところで、相談なんだけど、タクシーの絶対量が足りないさ。
 それで、お客さん達を、伊達公のところで、降ろしちゃってもいいんだけどさぁ。
 その後さ。
 絶対に、タクシーは捉まらないと思うよ。
 だから、私が、(青葉山公園内まで)付いて行って、案内するから、このタクシーで、動いた方が良いと思うんだけどさぁ。
 どうかな?』
と、話をされて来ました。

また、
『青葉城から、仙台駅に戻ったって、また混んじゃうし、それから、秋保(温泉)に向かったって、また混んじゃうしさぁ。
 (秋保温泉に向かう)途中で、適当な、(昼食を摂ることができる)お店を見付けるから、(秋保温泉に)一挙に行っちゃった方が良いんじゃない。』
とのことでした。

私達3人は、またまた、顔を合わせていたのですが、
(ここはもう、運転手さんに任せるっきゃない!)
と、アイコンタクトで、意見が合致したのでありました。

私は、
『すみません。
 お願いします!』
と、運転手さんに、全てを任せることにしたのでありました。

仙台城址の入り口前は、とんでもない混雑具合で、運転手さんが、
『上からの道路と、下からの道路が合流するから、どうしようもない。
 入口で、駐車料金を取るから、それでも混んじゃう。
 バスも入って来るし、どうしようもない。』
と、話されていたのですが、『きゃさりん副長。』と、ローバースカウトは、大学生活の話しや、
『彼女いるぅ~? 名前は、なんて言うの? 仲良くしてるぅ~?』
などなど、相変わらずの、B型コンビの能天気振り(本人達の自己申告)を発揮していまして、大渋滞で、苦心している運転手さんには、とってもいい迷惑だったかも知れません。(^^;

Img_3015

やっとのことで、仙台城址の駐車場に入ったところで、運転手さんが、
『ここで降りてください!
 私は、(駐車場所を探して)車を停めて、直ぐに追い付きますから。』
とのことで、私達は、一足先に、正宗公のところに向かうことにしました。


Img_3017

ところがここで、またまた、B型コンビが、
『おみやげ! おみやげ~! あ゛っ、ソフトクリーム食べたいなぁ。』
などと言いまして、私は、
『駄目! 時間が無いでしょ!』
と、一喝しまして、何とか、止まらさせました。(^^;

Img_3018

さて、仙台城址は、添付の写真では、あまり観光客の姿は写っていませんが、物凄い人で賑わっていました。
タクシー乗り場は、またまた、長蛇の列。
売店も、人が溢れ返っている。
(なるほどねぇ。これじゃぁ、タクシーを返してしまったら、帰りの足は、絶対に無かったよなぁ。)
と、私は、心の奥底から納得したのでありました。

Img_3020

タクシーの運転手さんは、直ぐに追い付いてくれて、私達の写真を撮ってくれたり、

Img_3022


・青葉山公園の説明
・震災時の被災状況
・青葉山公園の修復の状況
・仙台市内(市街地のビルなど)の説明
・『昭忠碑』の説明
などをしてくださいました。

Img_3023

Img_3024

私が、この地を訪れたのは、今から、丁度、25年前。
『防衛庁 檜町警備隊 本部』に、勤務していた頃。
部隊研修で、仙台を訪れ、同期生に連れて来て貰いました。
その頃は、草木が生い茂り、公園は、もう少し狭かったし、視界も、あまり開けていなかった様に思いました。

Img_3029

そのことを、運転手さんに伝えたところ、
『正宗公の像だけは、大丈夫だった。
 あとは、倒れちゃったり、崩れちゃったりして、直したんですよ。
 整地して、広場を広くして、やっと、綺麗になったんですよ。』

Img_3030

やはり、この地も、大きな被害を受けていたんだなと、しみじみと思わされた次第でした。
それにしても!
『伊達正宗公』の像だけは大丈夫だったとは、これまた、凄いことだと思い知ったのでありました。(^o^)/

(つづく。) (^^;

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2010年4月10日 (土)

『25年前の今日。』(^-^)/ (今現在)

今から25年前、昭和60年 4月10日の事である。

流石に、曜日までは覚えてはいない。

但し、天気は、晴天であった。

その時は、防衛庁にいた。

六本木の、一等地である。

今では、東京ミッドタウンとなってしまい、防衛庁の面影は、全く無いであろう。

残っているのは、檜町公園だけであろうか。

その10年前、昭和50年 4月10日に、私は、陸上自衛隊 少年工科学校に、陸上自衛隊生徒 第21期生として、入校をした。

それから、自衛官として、丁度、10年の、節目の日でもあった。

家にいるのが嫌で、家の仕来たりが嫌で、家の雰囲気が嫌で、家の食事が嫌で、とにかく、家を出たかった。

それに、普通の高校生活などは、全く、送りたくもなかった。

とにかく、人と同じ事をするなどとは、考えられなかった。

高校に行き、大学に行き、そして就職をする。

そんな事をして、一体全体、何になるのだと思っていた。

また中学の担任からは、

『君は、日大三島高校に行けば良いんだ。それでそのまま、大学に行けば良いんだ。』

と言われていた。

その、決め付けられた言葉に対しても、猛反発をしていた。

とにかく、全てが嫌だった。

そこから抜け出したかった。

陸上自衛隊 少年工科学校は、そんな私にとっては、格好の場所であった。

少年工科学校を卒業後は、航空学校を卒業し、東部方面ヘリコプター隊、中央基地通信隊を経て、防衛庁 檜町警備隊本部に、辿り着いていた。

本当に、楽しい日々であった。

まるで、水を得た魚の様に、動き回っていた。

自衛官としての時代は、毎日が、全て、充実していた。

職務も、食事も、そして、東京理科大学にも通学をし、野球・空手・銃剣道・格闘道、等々。

本当に、楽しかった。

申し分の無い、生活であった。

私は、自衛官として、そのまま、過ごすものだと、思っていた。

とにかく、そんなにも居心地の良い場所を、離れるなどとは、思いもしなかったのである。

行く行くは、北海道に行き、スキー三昧。

沖縄だって、何処だって、日本全国を駆け巡ってもみたかった。

とにかく、家に戻るなどとは、考えも及ばなかった。

父親が、木から落ちた。

下半身不随になるかも知れない。

3ヵ月は、絶対安静である。

その様に聞かされたのは、防衛庁に居た頃であった。

父親は、本当は、園芸農家をやりたかったらしい。

その先には、造園業を、営みたかったらしい。

通信教育で、造園業の2級の資格も取った。

しかしながら、そこから先には、進む事ができなかった。

それは、木から落下したためでは無かった。

資金も無ければ、その他の資格も無い。

人脈も無ければ、農業経営のセンスの欠片も無い。

それに、たかだか2級程度では、何もできないのである。

近所の皆様に頼まれて、植木屋さんの真似事を、するのが精一杯であった。

父親は、木から落ちた。

頭蓋骨も、背骨も折った。

骨盤まで折った。

私はその姿を観て、これはもう、駄目だと思った。

そう思うしか無かったのである。

その当時の、自衛官の退職については、依願退職の場合は、手続きに、相当な時間を要した。

それには、様々な事由があったからである。

詳しい事は、書き記せないが、辞令が出るまでには、3ヵ月ぐらいの、時間を要したと思った。

その頃は、パソコンは、出始めであったが、まだまだ、和文タイプの時代であった。

文書を一つ作るのにも、相当な時間を要した。

今でもそうであろうが、国の機関の文書規則は、物凄い量の文章によって、制約をされている。

それもまた、各省庁によって、違うのである。

陸上自衛隊の文書規則は、2cmほどの厚さの、立派な書籍になっていた。

尚且つ、取り扱い注意になっていた。

それに従って、文書を作成しなければならなかった。

総務科の皆さんは、本当に、苦労をしていた。

横目で観ていて、総務だけは、文書陸曹だけは、やりたくは無いと、思っていた。

そうして、私の退職申請が、なされて行った。

私は、何回か、長期の休暇を頂き、稲刈りなどで、家にも戻っていた。

ところがである。

何回目かの時に、父親が、退院をすると言う。

大丈夫、だと!

私は、途方に暮れた。

一旦、覚悟を決めたとは言え、本当に、がっかりとした。

がっかりとしたどころでは無かった。

その時の想いは、とても、表すことはできない。

とにかく、怒る気にもなれなかった。

ドクターや、家族や、その周囲の人間達は、諸手を挙げて喜んでいる。

私一人だけが、悲しんでいた。

何とか、東京理科大学を卒業できることが確定し、教授の斡旋で、就職先も決まっていた。

そして、その上、結婚まで決まっていた。

もう、後戻りはできなかった。

総務科の先任陸曹は、

『1年以内なら、戻って来る事ができる。』

『7月の人事異動が過ぎたら、直ぐに申請を出せ。』

とまで言ってくれた。

しかしながら、全てが、退官確定の方向に、進んでいた。

結婚が、絡んでいた。

奥様になってくれる方は、婦人自衛官(当時の呼称:現在は、女性自衛官)であった。

それで、富士学校への転属も決まっていた。

もう、私一人での、話しでは無かったのである。

父親の木からの落下が、とても多くの、非常に多くの人々の、人生を、巻き込んでしまった。

後戻りはできない。

本当に、複雑な心境であった。

今考えてみると、ひょっとしたら、『覚悟』はできていなかったのではないのかと、思ってしまう。

いやきっと、『覚悟』はできていなかった様に思う。

後ろ髪は引かれていたであろう。

心は、六本木。

想いは、防衛庁。

それを無理矢理に、心の中に、閉じ込めていたと思う。

就職決定。

結婚決定。

新住居決定。

奥様の転属決定。

どれもこれも、破棄にする訳には行かなかった。

どれもこれも、実行を、するしか無かった。

そこで、自分自身が喜んでいると言う、演技をするしか無かった。

それによって、自分自身を、納得させる以外に、無かった様に思う。

実に情けなく、悲しく、空しいことであった。

決して、父親のせいにはしたくは無い。

だけれども、あの父親は、本当に、大事な時、ここぞと言う、大チャンスの時に、必ず何かをやらかしてくれていた。

必ず、大ピンチを作ってくれた。

今でも、不動産の関係で、ピンチを負わされている。

仕方が無いのだ。

とにかく、仕方が無いのだ!

父親なのだ。

仕方が無いのである。

だけれども、諦めがつかないし、踏ん切りもつかないし、覚悟もできない。

その昔、高校受験の頃であったろうか。

受験の面接で、

『尊敬する人は?』

と聞かれたら、

『父親です。』

と、答えなさいと、教え込まれた事があった。

私は、とてつもなく、怪訝に思っていたが、まぁ、先生が言うのだから、それに従っておこうぐらいの気持ちで、あまり深くは考えなかった。

しかしながらそれを、今は、とてつもなく、後悔をしている。

どうして、父親を尊敬しているなどと、心にも無い事を言ってしまったのか。

それが、その事が、そもそもの、自分自身の心の眼の、曇りの始まりであったのかも知れない。

父親の事は、残念ながら、全く、尊敬などしていない。

菩提寺の住職と大喧嘩をし、それはまだ良いが、それですぐさま、墓を引っ越してしまった。

そうしたらその翌年に、亡くなってしまった。

何をやっているんだと、いつも思ってしまう。

本当に、悲しくなってしまう。

そんな事はともかくとして、4月10日は、少年工科学校への入校日でもあり、自衛官を退官した日でもある。

今、2分の1世紀を生きた。

そしてその半分の25年前、もう、25年にもなってしまうのか。

だけれども、一つ一つ、鮮明に覚えている25年前。

その日に私は、自衛官を、退官してしまったのである。

今までは、そんなには、気にはしていなかったが、25年の節目を考えたら、一挙に、想いが巡ってしまった。

4月には、記念と記憶に残る日が、随分と、多い様な気がする。

(おしまい!)(^-^)/

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