カテゴリー「東部方面ヘリコプター隊」の11件の記事

2017年7月 9日 (日)

『匂いの、正体!(その3)』(^-^)/

(出雲市・米子市 訪問:その47)


(※注:平成29年5月4日(木・祝)の記憶です。)


おはようございます!(^o^)/


【匂いの、正体!(その3)】(^-^)/


(ペン)「あのさぁ。
     今までの話を聴いているとさぁ。
     『Wさん』と、おデブ隊長の、共通点って、
     『自衛隊生徒』だけじゃん。
     それで、どうして、話が盛り上がってんのさ。」

(ハム)「そうだね。

     実はね。
     『通信』は、通信でも、『航空通信』と
     言うことが、かなりの共通点みたいなんだよ。

     『Wさん』はね。
     戦闘機の、『通信修理』だったみたい。
     それで、最初の赴任地は、沖縄だったんだって。

     それはね。
     最新鋭の戦闘機が、配備されると、
     最新の通信機器の整備、修理ができる者が、
     付いて行かなくちゃならなかった
     からなんだって。

     だから、学校で、最新の教育を受けた生徒が、
     赴任するのが、当たり前の様な感じだった、
     って、言ってるよ。

     その後も、『戦闘機』がある部隊、基地へしか、
     転属は、できなかったんだって。

     例えばだけど、お隣の、鳥取県境港市にある、
     『美保基地』には、『輸送航空隊』が、
     あるんだけど、そう言う所に、転属の希望を
     出しても、叶わなかったんだって。

     でも、『浜松基地』の実習で、
     『ブルーインパルス』を、観たり、触ったり、
     できた時には、無茶苦茶、嬉しかったそうだよ。」

(ペン)「へぇ~!
     『ブルーインパルス』、格好良いもんね。」

(ハム)「それでね。

     『Wさん』が、

      『陸上自衛隊にも、『航空通信修理課程』と
       言うものが、あるとは知りませんでした。』

     って、言ってるよ。

     それに対して、おデブ隊長が、

      ・生徒17期から、新設された課程

      ・自分は、『航空通信修理課程』では、
       5期生に当たる

      ・『航空通信修理課程』の人数は、
       他の課程に比べて、とても少なく、
       17名だった

     などの説明をしているよ。」

(ペン)「そっかぁ!
     『航空通信修理』、繋がりなんだぁ!
     だから、話が、滅茶苦茶、
     盛り上がってたんだね。」

(ハム)「うん!

     それとね。
     『第5期生』と言うのが、『Wさん』の興味を、
     かなり、そそったみたいだよ。」

(ペン)「え゛~!
     でもさ。
     5期って言っても、全然、違う5期じゃん!
     それでも、良いの?」

(ハム)「いいみたいだよ。
     とにかく、おデブ隊長の方が、
     少しでもずれていたら、例えば、
     『航空通信修理課程』の、4期だとか、
     6期だったら、どうなると思う?」

(ペン)「ん゛~!
     まぁ、何となく、しっくりとは来ないよなぁ。」

(ハム)「でしょう!
     だから、『Wさん』は、同じ職種で、同じ期で、
     ワクワクしちゃったみたいなんだ。」

(ペン)「ふぅ~ん。
     そんなものなのかなぁ。
     『自衛隊生徒』って、超~、ふ・し・ぎ!」

(ハム)「何だか、アルファベットの話をしているよ。

     えっとぉ。

     VHF・UHF・HF・AM・FM・SSB・
     ADF・VOR・GS・ILS・LOC・
     SIF・IFF・GCA・TACAN・
     DEM・GPS・AMeDAS・
     CONTROL・APPROACH・
     TOWER・JP4・JP5・
     FOLLOW ME・・・・・。

     って、際限が無いなぁ。」

(ペン)「げぇ~!

     何を言ってるのか、全く、解んないよぉ。
     おデブ隊長、いい加減なことを、
     言ってんじゃないのぉ。

     適当に、滅茶苦茶に、アルファベットを、
     並べているだけじゃないのぉ。」

(ハム)「ん゛~。
     そうでもないみたい。

     『Wさん』がね。
     一つずつ、頷きながら、聞いているもの。
     その上、相槌まで打ってるよ。」

(ペン)「ふぅ~ん。
     そうなんだ。
     でもさぁ。
     なんで、あんな単語で、話が通じるのさ?」

(ハム)「そこなんだよなぁ。
     どうやら、みんな、アルファベットの、
     頭文字を、取ったものみたい。

     それでね。
     無線機の名前だったり、航空システムの名称
     だったり、気象・管制の名前だったり、
     色々みたいだよ。

     それが、二人が共通認識できて、話は、充分、
     通じるみたいなんだ。」

(ペン)「ひょぇぇ~!

     それってさ。
     隠語とか、合言葉とか、二人だけにしか、
     解からない言葉って、そう言うことだよね。」

(ハム)「そうだね。
     多分、ここ周辺にいる人達の中で、
     二人の言葉が判る人は、殆ど、
     いないんじゃないのかなぁ。

     余程の、航空マニアならば、話は、別だけどぉ。」

(ペン)「でもさぁ。
     そんな話で、面白いのかなぁ。」

(ハム)「大丈夫みたいだよ。

     『Wさん』は、

      『いやぁ、大駐車場でお会いしてから、
       色々と、お話を聴いていて、
       ひょっとしたら、元自衛官だったんじゃ
       ないのかって、気になっていたんですよぉ。
       それが、まさか、生徒ご出身の方だった
       なんて。

       それも、同じ、『航空通信修理』
       だったとは、信じられない、
       巡り合わせですよ。

       自衛官の方は、何回か、ご案内した経験が
       ございますが、今回はですねぇ。

       いやぁ、実に驚きました。

       これは、もはや、偶然ではないですねぇ。
       やはり、お導きがあったのだと思います。
       それも、単なる『縁結び』ではなく、
       『超~、縁結び』ですなぁ。

       ワッハッハッハ!』

      って、大喜びしているから。」

(ペン)「そんなにも、陸海空の、生徒同士が、
     出会うのは、珍しいものなの?

     確率が、超~、低いってことなのぉ?」

(ハム)「そうだね。

     おデブ隊長がねぇ。
     立川駐屯地にいた時に、『入間基地』とか、
     『厚木基地』に、行くことがあったんだって。

     そこで、色々と聞いてみても、生徒出身者は、
     見付けることができなかったんだって。

     あとね。
     市ヶ谷駐屯地や、防衛庁(桧町駐屯地)で、
     勤務していた時には、海上自衛官や、
     航空自衛官とも、一緒に勤務していたことが
     あったんだけど、海上自衛官で、一人だけ、
     生徒出身者に、会うことができたんだって。

     それも、珍しいことに、第21期の同期生
     だったんだって。

     航空自衛官では、生徒出身者には、
     会えなかったんだって。」

(ペン)「ふぇ~!
     超~、難関って言うことぉ?」

(ハム)「そうみたい。

     やっぱり、『航空自衛隊生徒』は、
     人数が少ないだけに、会える確率は、
     物凄く、低いみたいだよ。

     その上、同じ職種って言うのは、
     奇跡に近いみたいだよ。」

(ペン)「そっかぁ。
     そうなんだ。
     それで、『物凄い縁結び』って、
     ことなんだね。」

(ハム)「うん!
 
     きっと、『Wさん』にとっては、初めてのこと
     なんじゃないのかなぁ。

     勿論、おデブ隊長に、とってもだけど。」

(ペン)「そっかぁ。

     二人にとっては、とっても意外で、初めての
     ことだから、こんなにも、
     盛り上がっているんだね。

     するってぇと、話しの止め様が無いし、
     こりゃ、放置だな。」



(つづく・・・。)(^^;



皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月15日 (日)

『ささやかなお礼。』(^^;

(# 九州―46(特:追記))


おはようございます!(^o^)/


【ささやかなお礼。】(^^;


(※注:平成28年6月の記憶です。)


九州訪問から、戻って来まして、『きゃさりん副長。』には、お土産を、届け捲ってもらっていました。

その間に、

「ねぇねぇ。
 九州で、お世話になった人達への、お礼は、しなくていいのぉ?」

と、『きゃさりん副長。』が、私に、聞いてきました。

そこで、

「そうだなぁ。
 贈り物は、何かある?」

と、聞いてみたところ、

「え゛~?
 干物?
 あとはぁ、わさび漬け?
 お茶は、持って行っちゃったし。
 安倍川餅は、静岡だし。
 うなぎパイは、浜松だしぃ。
 こっちには、目立ったお菓子はないし。
 ここって、名物みたいなものが、何も無いよねぇ。」

私も、

(確かに、何も無いよなぁ。
 名物らしきものが。)

と、思っていました。

そうして、二人で、話し合った結果、

「やっぱり、お酒?」

と、『きゃさりん副長。』が言うので、地元のお酒を贈ることにしました。

私の同級生が、酒店の店主をしているのですが、地元の『緑米』を使用し、富士山の湧水で、地元の蔵元が、醸造したお酒です。

早速、同級生に頼んで、贈って貰ったところ、先輩諸氏や、同期生達から、即、反応がありました。 Photo
『きゃさりん副長。』は、九州の皆さんからの、返礼のメッセージや、写真を観て、

「あ~、良かった!
 みんな、悦んでくれているみたいだね。
 これで、やっと、九州訪問が、終わったって、感じだね。」

と、言っていました。 Photo_2
そして、私も、

(あぁ、確かに、そうだよね。
 やっと、終了って感じかなぁ。
 それにしても、九州の皆さんの対応は、とっても、嬉しい限りだね。)

と、思っていたのでした。(^o^)/



(本当に、おしまい!)(^-^)/



皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月14日 (土)

『ただただ、感謝!』(^-^)/

(# 九州―45(終))


おはようございます!(^o^)/


【ただただ、感謝!】(^-^)/


(※注:平成28年5月8日(日)の記憶です。)


今回の、九州訪問でも、またまた、多くの皆様に、大変、お世話になってしまいました。

改めまして、心より、御礼申し上げます。

誠にありがとうございました。m(_ _)m

振り返ってみれば、計画段階で、熊本地震が発生し、九州を、訪問すべきか、止めるべきか、とても悩みました。

しかしながら、このチャンスを逃す訳にはいかないだろうと思い、計画変更を、旅行会社の担当者の方にお願いし、また、私達の迷いから、幾度となく、担当者の方を、振舞わす様な格好になってしまい、大変、申し訳なかったと思いました。

それでも、その都度、対応してくださり、綿密に、行程表を練り上げてくださったのには、プロ意識を感じ、頭が下がるばかりでした。

九州訪問、出発当日、三島駅までの移動には、タクシーを利用したのですが、運転手さんは、私と車椅子の扱いに慣れている、ベテランドライバーの方が、迎えに来てくださいました。

JR東海には、事前に、電話連絡を入れておいたのですが、

「一応、利用駅数分、『行程表』を、ご用意して頂けますか。」

と言うことで、三島駅では、私達の『行程表』をお渡しし、

「解りました。
 博多までは、連絡をしておきます。
 ご安心ください。」

と、JR西日本、JR九州まで、概略の連絡をしてくださった様でした。

名古屋駅では、『行程表』を確認した上で、往路だけでなく、5日後の、復路の際にも、とても丁寧に対応してくださいました。

新大阪駅では、九州新幹線が、通常運行できない状況下にあり、かなりの混乱を来たしていたのに、また、ホームが、大混雑の状況にあったのに、JR西日本の駅員さんが、丁寧に案内してくれまして、そして、JR九州の車掌さんに、私達のことを、申し送ってくださっていました。

博多駅では、新幹線の駅員の方が、

「JR九州の中でも、新幹線と、在来線は、異なる部門になります。
 地下鉄は、(福岡)市営になりますので、本来は、ご案内はしないのですが、上司の指示で、それぞれの、窓口までご案内します。」

と言って、新幹線側の駅員さんが、市営地下鉄、在来線側のJR九州の窓口まで、連れて行ってくださいました。

それも、私の車椅子を押しながら、かなりの距離を、移動してでした。

とっても丁寧で、大変、有難かったです。

また、

「『行程表』は、確かに受け取りました。
 お帰りの際までに、連絡をしておきます。」

と言うことで、

(新幹線の、各駅への連絡は、相当、徹底されているんだなぁ。)

と、感心するばかりでした。

そして、博多駅の、在来線の女性駅員の方は、かなりの時間は掛かりましたが、

「波多江駅、新鳥栖駅、吉野ヶ里公園駅、鳥栖駅、長崎駅、大村駅、諫早駅、全部、連絡が取れましたぁ!」

と、息を切らせながら、報告してくださいました。

多分、そんなにも、一度に、連絡調整することは無かったのでしょうね。

(とっても大変だったんだなぁ。)

と、恐縮してしまいました。

初日の、『H氏』のお出迎えには、驚いてしまいましたが、サプライズとしては、大変、嬉しく思いました。

ただ!

「雨の中を歩こう。」

と、言わなければ、でしたが。(^^;

九州での、タクシーの利用は、初日と2日目、3日目の、博多駅~キャナルシティ博多の間だけでしたが、流石に、観光地だけあって、運転手さんの対応は、とても親切で、優しかったと思いました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


2日目の、市営地下鉄と、波多江駅では、乗車券の購入方法が判らず、結局、駅員さんに、購入して貰うと言うこともありました。

そして、糸島市では、『H氏』に、九州大学や、糸島市の観光地を案内して貰い、糸島牛や、糸島豚を、鱈腹、ご馳走になってしまいました。

その上、酔っ払い捲りました。

『H氏』の奥様には、君津市に次いで、またまた、とってもご厄介になってしまいました。

また、宮崎県から駆けつけてくれた、『K氏』との再会も、とても嬉しく思いました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


3日目の、博多駅、新鳥栖駅、吉野ヶ里公園駅、鳥栖駅では、駅員さんの対応が、素早く、その動きが、とてもスマートに思え、列車の乗降も、スムーズでした。

『K先輩』が、なかなか、姿を現してくれなかったのは、とても心配になりましたが、16年振りに、奥様とお会いできたのは、嬉しいことでした。

16年振りの『吉野ヶ里歴史公園』訪問は、『K先輩』が、ずっと、車椅子を押し続け、申し訳なく思うのと、嬉しい気持ちで一杯でした。

この時は、とっても不思議で、複雑な思いもありましたが、

(先輩に、甘えられるって、結構、幸せだよなぁ。)

と、思っていました。

そして、夕刻、『S先輩』と、約34年振りに、再会することができ、感動で一杯でした。

両先輩には、お酒も、焼き鳥も、目一杯、ご馳走になってしまい、とっても、愉しく過ごすことができたのですが、両先輩との、別れ際には、胸が一杯になり、思わず、涙ぐんでしまいました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


4日目は、私も『きゃさりん副長。』も、人生、初の、長崎訪問でしたが、鳥栖駅でも、長崎駅でも、列車への乗降は、とてもスムーズでした。

どちらの駅でも、

「そんなに、広範囲を(九州北部を)回られているのですか。
 お気を付けて、どうぞ。
 良い旅を!」

と、駅員さんと、会話を交わしていたのが、印象に残っています。

さて、長崎駅では、『S氏』が、万全の準備を整えて、待っていてくれました。

改札口で、大きく手を振って、出迎えてくれたのは、私も『きゃさりん副長。』も、大喜びでした。

そして、私や『きゃさりん副長。』への気遣いが、とても手厚く、細かなところにも、気を配ってくれたのには、感服していました。

私の、念願の『平和公園』、そして、『きゃさりん副長。』、念願の『本場のちゃんぽん』。

それと、私の我儘で、連れて行って貰った、『諫早湾』。

どれもこれも、大満足でありました。

そして、夜には、『F氏』との再会もでき、大ジョッキ、焼き鳥、お刺身で、歓待して頂きました。

その上、ホテルは、大村湾の近くにあり、長崎空港が望め、食事も、とっても美味しく、『きゃさりん副長。』は、この頃から、元気を取り戻していました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


5日目の朝、『S氏』が、大村駅まで送ってくれ、名残りを惜しんでいました。

それにしても、出迎えから、見送りまで、『S氏』には、長崎の、最初から最後まで、お世話になりっ放しでした。

本当に、有難く、心強かったです。

大村駅では、列車に乗るために、駅員さんが、二人掛かりで、超長いスロープを、運んで来てくれました。

お二人の駅員さんは、

「これは、使ったことが無い。
 初めてだよ。」

「そう言えば、私も、かなり久し振りだよ。」

と、会話されていたので、私が、

「車椅子の人は、あまり来ないんですか?」

と聞くと、一人の駅員さんが、

「ここは、車が主だからねぇ。
 車椅子の人は、自動車を使っちゃうんじゃないのかなぁ。」

すると、もう一人の方が、

「(長崎)空港に来ても、この駅を使う人は、まずいないと思いますよ。
 みんな、高速(リムジンバス)を使いますから。
 ここは、通学、通勤なんかが、主ですね。」

と、言われていました。

私が、

「二人掛かりなんて、何か、申し訳が無いです。」

と言うと、

「いえいえ、良いんですよぉ。
 私達にとっちゃ、丁度良い、訓練にもなるんですから。」

「そうそう。
 私なんか、初めて見たぐらいですから。
 使っておかないと、いざって時に、人も物も、使い物にならなかったら、済まされないですからねぇ。」

「そうそう。
 その通り!」

と、かなり、陽気な、お二人でした。

大村駅から、諫早駅を経由し、博多駅まで戻り、ホテルにチェックインしたところで、再び、『H氏』の登場!

ボーイスカウト関係者と会うと言うことで、『H氏』のお宅に忘れてしまったキャップを、わざわざ、届けに来てくれたとのことでした。

何ともまぁ、『H氏』の、とっても優しいところが、顕わになった時でした。

この日の午後は、第5回日本ベンチャースカウト大会で、とてもお世話になった、『Eさん』と、お会いしました。

それが、お土産の買い物に、お付き合いさせてしまったり、車椅子を押して頂いたり、とっても美味しい『もつ鍋』を、ご馳走になってしまったりと、またまた、お世話になってしまったのでした。

また、『きゃさりん副長。』との会話で、かなりの刺激を与えてくださったのは、とっても、有難いことだと思いました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


九州訪問最終日、6日目の朝、『H氏』が、博多駅まで、見送りに来てくれました。

やっぱり、誰も、迎えに来てくれない。

誰も、見送ってくれないじゃ、とっても、寂しいですからね。

『H氏』の見送りは、九州訪問の締めとしては、最高に、嬉しさと歓びを感じるものでした。

そして、『H氏』の、期待通りの行動。

『のぞみ』には、敵いませんでしたが、果敢に挑戦してくれたのには、大喝采でした。

乗り換えの、名古屋駅では、初めて、パーサーに介助して頂き、富士川の手前で、富士山が確認できた時には、大きな安堵感と、深い郷愁感に包まれていました。

そして、三島駅では、またまた、駅員さんに、タクシー乗り場まで、送って頂いてしまいました。

普通は、改札口までだそうです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


結局のところ、

・タクシー運転手の皆さん

・JR東海の、駅員、車掌、パーサーの皆さん

・JR西日本の、駅員さん

・JR九州の、新幹線側の、駅員、車掌の皆さん

・JR九州の、在来線側の、駅員、車掌の皆さん

・福岡市交通局の、駅員の皆さん

そして、

・『K先輩』

・『S先輩』

・『H氏』と、奥様

・『K氏』

・『S氏』

・『F氏』

と、とても多くの皆様に、お世話になってしまいました。

その皆様が、手を貸してくださらなければ、今回の旅は、成立しなかったと思います。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


そして、もう一人。

やはり、『きゃさりん副長。』の存在だと思います。

ボーイスカウトで、隊長、副長として、活動を行なってきた、大事な相棒です。

勿論、男女と言う性別はありますが、私が、左半身が、全く動かない、身体障害者になってしまってからは、性別と言うことは、全く、関係なくなってしまいました。

また、少年工科学校の同期生達も、皆、『同じ仲間』として、『きゃさりん副長。』を、迎え入れてくれています。

今回の九州訪問は、『きゃさりん副長。』が、いてくれたからこそ、成功裏に終えることができたのだと思います。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


今回の、九州訪問で、お世話になった皆様には、誠にありがとうございました。

衷心より、感謝申し上げます。(^-^)/



そして!

私の、乱文、稚拙な文章に、かなりの期間、お付き合い頂いた皆様にも、感謝申し上げます。

次は、どこへやら。

生ある内に、全国にいる、同期生達に、会いたい。

語り合いたい。

それが、今の、私の望みの一つでもあります。

長々と、誠に失礼いたしました。m(_ _)m



(おしまい!)(^-^)/



皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 8日 (木)

『振り子式って?』(^^;

(# 九州―21)


おはようございます!(^o^)/


【振り子式って?】(^^;


(※注:平成28年5月6日(金)の記憶です。)


早朝からのドタバタで、私も、かなり、疲れてはいたはずなのですが、妙~に、目が冴えてしまって、流れ行く、外の景色を、眺め続けていました。

それは、多分、初めて訪問する『長崎』が、とっても愉しみで、ワクワク感一杯で、気持ちが高揚し過ぎていたからなのでしょうね。(^^; Img_4497
どの位の時間が経ったのかは判りませんでしたが、『白いかもめ』は、佐賀駅に停車しました。

(佐賀駅かぁ。
 16年前に、ここまで、来たんだよなぁ。
 あの時は、寝台列車だったよなぁ。
 沼津駅から乗って、B寝台の、個室だった。
 ゆっくりできて、とっても、楽ちんだったし、良く眠れた。
 乗客が、随分と少なくって、意外に思って、驚いた記憶がある。
 ただ、確か、熊本駅行きの『はやぶさ』と、連結されていたと思った。
 ん゛~!
 あんれぇ?
 列車の名前は、『はやぶさ』と分かれた後は、何と言ったっけ?)

私は、暫くの間、その寝台列車の、名前を思い出せずにいて、考え続けていましたが、ふと、車内の、JR九州のエンブレムを観まして、

(あ゛っ!
 つばめ!
 そうだそうだ!
 九州新幹線に、その名が、残ってんじゃん!)

と、16年前の、寝台列車の名前を、思い出せたのでした。

『寝台特急「さくら」』

ただぁ、『富士』や『はやぶさ』の、先頭車両のエンブレムは、直ぐに思い浮かべることができたのですが、『さくら』のエンブレムは、全く、思い浮かばない。

と言うか、連結されていたために、エンブレムを、観ることは、叶わなかったのだと思いました。 Img_4498
佐賀駅を出てから、暫くの間は、『白いかもめ』の走りは、快調に思えていたのですが、とあるところから、車体が、左右に、かなり揺れ出してしまいました。

私は、3日前の、九州新幹線を思い出し、

(結構、左右に振れてんじゃん。
 風が強いのかなぁ。
 それとも、運行が遅れていて、時間を取り戻すべく、スピードを出しているのかなぁ。)

などと思っていました。

とは言っても、その様な状況の中でも、『きゃさりん副長。』は、眠り続けていましたが。(^^; Img_4500
さて!

『鳥栖駅』から、『長崎駅』までは、約1時間半の乗車時間でした。

私は、

(終点までだから、乗り過ごすことは無いし、私も、寝ちゃおっかなぁ。)

などと、思っていたのですが、そこに、いきなり、一面に広がる『海』が、飛び込んできたのでした。 Img_4504
(おぉ~!
 『有明海』だぁ!
 かなり広そうだぞぉ。
 『駿河湾』と、どっちが広いんだろう?
 まぁ、『海』って言うぐらいだから、こっちの方が、広いんじゃないのかなぁ。)

と思って、『有明海』を観続けていました。

そうしているうちに、

(あんれぇ?
 『鹿島』の駅は、過ぎたんだっけぇ?)

と、思ったのですが、正確な駅名は、『肥前鹿島駅』であり、もうとっくに、通り過ぎ、その上、停車までしていました。

どうやら、その時には、『肥前』が付く駅名が多く、きちんと、駅名を認識できていなかった様でした。(^^; Img_4507
そうして!

(そう言えば、『ベンチャー2000』の時に、『K先輩』に、ここ(の周辺)まで、連れて来て貰ったっけ。
 その時は、干潮だったよなぁ。
 だから、干潟ばっかりで、『海』を観ることは無かった。)

と、これまた、16年前のことを、想い出していたのでした。

『ベンチャー2000』の時には、こちらには、『鹿島活動基地』があり、ベンチャースカウト達は、『ガタリンピック』の種目に、挑戦していたと思いました。

今では、全世界から、『ガタリンピック』に、とても多くの参加者が、集うと聞いています。

それから、ベンチャー達は、『ムツゴロウ』の捕獲や、料理、生態観察(研究)などにも挑戦したと、聞いています。

それで!

『K先輩』には、他にも、『有田活動基地』があった有田町や、伊万里市にも連れて行ってもらい、

「流石に、唐津(市)に行くと、時間が足りなくなる。」

と言うことで、唐津市までは、行けませんでしたが、それでも、他の活動基地を観て回ることができて、本当に有難かったです。

ただただ、『感謝!感謝!』でした!(^-^)/

さて、『鹿島市』では、

「名物を食わせてやる!」

と言うことで、海沿いの大きなレストランに入りまして、少々、遅かったのですが、昼食を摂ることになりました。

『K先輩』は、かなりのグルメです。

ですので、かなりの期待感を持っていました。

そうしましたら、何ともまぁ!

『ムツゴロウ~!』

らしきものが、運ばれてきたのです。

と言うのも、真っ黒な棒状で、独特のヒレは無く、よく判らない。

香りからすると、どうやら、蒲焼の様な感じ?

こちら(静岡県)では、蒲焼と言えば、ウナギ。

当然、ウナギは、身を開いてあるので、丸々、蒲焼にしてしまうと言うのは、私の頭の中には、その様な発想は、全くありませんでした。

(あぁ~!
 やっぱり、こうなると思ってたんだよなぁ。
 『ムツゴロウ』だぁ!)

と、私は思っていました。

そうして!

甘露煮らしきものが。

また、味噌汁が。

次々と運ばれてきたのですが、『K先輩』は、

「刺身はないですか?」

と、聞いていましたが、確か、ウェイトレスさんが、

「今日は、品切れで、もうないんですよ。」

と、言っていた様な記憶があります。

私は、

(へぇ~!
 『ムツゴロウ』も、刺身で食えるんだ。
 どんな味なんだろう。
 それに、お刺身は、超人気みたい。)

などと、興味津々になってしまいましたが、

(これだったら、定食にしても良かったんじゃないのかなぁ。)

と思い、そのことを、『K先輩』に伝えましたら、

「見てみろよ。
 みんな、グロテスクだろ。
 初めての人は、大体、食べられないんだよ。
 だから、別々に、頼んだのさ。
 お前が、何でもかんでも食っちまう人間だと言ったってさ。
 初物は、どうかなぁと思ってさ。
 さぁ、食え!食え!」

と、言われていました。(^^;

私は、黒い棒状の物に、手を伸ばしてみたのですが、かなり固い!

箸では、なかなか千切れない。

『K先輩』は、と言うと、かぶりついて食べている。

私も、そうしようかと思ったのですが、甘露煮?の方が、軟らかそうでしたので、そちらの方と、味噌汁を頂いた様な記憶があります。

その、お味はぁ~!

実を言うと、それらの味は、よく覚えていません。(^^;

と言うのも、『K先輩』に勧められ、やたらと、ビールを呑んでしまっていたからです。(^^;

『ベンチャー2000』の開催期間中は、当然ですが、飲酒はご法度でした。

そのことを、『K先輩』に伝えたところ、

「ほぉ~!
 お前にしたら、大したもんだ。
 褒美を取らそう。」

と、行く先々で、ビールを、ご馳走になり続けていたのでした。

『K先輩』は、運転手に専念し、一滴も、呑むことはありませんでしたが。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さてさて!

これまた、何処の駅かは、忘れてしまったのですが、

「上り列車の通過を待ちます。
 5分ほど、停車します。」

と、車内放送がありました。

その時、『きゃさりん副長。』が、

「うぅ~ん!
 ここ、どこぉ?
 もうすぐ着くのぉ?」

と、目覚めました。

私は、

(これは、チャ~ンス!
 今のうちに、トイレに行って来よう。)

と、思いまして、『きゃさりん副長。』に、トイレに連れて行ってもらいました。

私達が、座っていた席は、1号車の一番後ろ。

トイレは、2号車の先頭部分。

要は、旅行会社の担当の方が、

『トイレに一番近い席』

を、確保してくれていたのでした。

トイレは、『多目的トイレ』でして、3畳ぐらいの広さがあったと思いました。

車椅子でも、楽々入ることができ、十分過ぎる、スペースだったと思いました。

私と『きゃさりん副長。』は、車椅子を折り畳んで、座席シートの後に入れていましたので、車椅子を出すのが面倒で、トイレには、徒歩で向かいました。

私も、

(多分、5分あれば、間に合うだろう!)

と、安心し切っていました。

ところが!

『白いかもめ』は、車内放送は無く、するすると動き出してしまいました。

そうして、スピードを、ぐんぐんと上げていくのが体感できました。

それと共に、車体が、左右に大きく揺れ出し、『きゃさりん副長。』は、便座に腰掛けていた私を、支えるだけで、精一杯でした。

そして、

「大丈夫?
 歩けそう?」

と、円周状に開くスライドドアを、『きゃさりん副長。』が開けてみたのですが、何ともまぁ、1号車の自動ドアまでは、3mほどの距離がありました。

それに、2号車の先頭部分は、通路ではなく、これまた、3畳ほどの、広い空間になっていました。

ですので、手摺りも無ければ、何も無い。

要は、掴まる所が、何も無かったのです。

杖を使って歩く、私達にとりましては、『手摺り』は、『最後の砦』と言っても、過言ではないと思います。

(あちゃ~!
 トイレに来る時には、全く、気にしていなかったぁ!
 何ぁ~んにも、気が付かなかったなんて、ヤバ過ぎじゃん!)

と、思いましたが、もはや、後の祭りでした。

私は、迷いながらも、歩いてみることにしたのですが!

一歩、進んだだけで、私の身体はぐらつき、その上、半円状のスライドドアの、取っ手に掴まった途端に、そのスライドドアが、右へ左へと動き出し、『きゃさりん副長。』は、そのドアの動きを止めるのが、やっとでした。

私は、再び、便座に戻ることになってしまいました。(^^;

「全くもう、『行きは良い良い帰りは恐い』、だよねぇ。
 やっぱり、車椅子を取って来るよ。」

と、『きゃさりん副長。』は、1号車に戻って行きました。

私は、便座に座りながら、

(何で、こんなに揺れるんだろう?
 そう言えば!
 さっき、上り列車の通過待ちで停まったよなぁ。
 と言うことは、ここは、単線?
 まぁ、単線は、関係ないにしても、海岸線を走ってるから、それで、カーブが多いのかなぁ。
 それで、こんなにも揺れるのかなぁ。
 確かに、佐賀駅ぐらいまでは、こんな揺れは、無かったよなぁ。)

と、色々、あれこれ思っていたのですが、『きゃさりん副長。』が戻って来まして、車椅子を、多目的トイレの中に入れようとしましたら、例のドアが、右へ左へ!

「ダメだこりゃ!
 ねぇ、(ドアの)手前に(車椅子を)置くから、乗れる?」

と、『きゃさりん副長。』が、ドアを押さえてくれ、私は、飛び移る様にして、車椅子に乗ったのでありました。

「これ(『白いかもめ』の車内)って、優しくないよねぇ!」

と、『きゃさりん副長。』は、うんざりしていた様でした。 Img_4509
私達が、やっと席に戻り、落ち着きを取り戻しつつあった頃には、既に、『諫早駅』に着く寸前でした。

(一体全体、どの位、格闘を続けていたのだろう。
 今日は、疲れることばっかり。)

私達は、へこたれつつありました。(^^;

それでも!

「諫早ってことは、もう、長崎県に入っちゃったんだぁ!」

と、私が言いましたら、

「きゃぁ~!
 素敵ぃ~!
 九州で、3つ目の県に突入~!」

と、『きゃさりん副長。』は、悦んでいました。 Img_4511
そして、『白いかもめ』は、『浦上駅』で停車。

いよいよ、終着駅の、『長崎駅』到着を迎えていたのでありました。(^-^)/ Img_4513

これは、後々、知ることになるのですが、『885系電車』は、

『振り子式車両(車体傾斜式車両)』

と言うのだそうです。

有明海の入り組んだ沿岸部を走るため、多くの曲線区間に対して、特急列車の速度アップのためと、曲線通過時に、車体を傾斜させることで、乗り心地の改善を図った車両とのことです。

ですので、左右に揺れているのではなくて、左右に傾いている、と言うことの様です。

ただ、車両の連結部分近くは、やはり、揺れ?傾き?が、大きく感じられる様です。

と言うことで、私は、

(なるほどねぇ。
 そう言えば、乗客の皆さんは、比較的中央の座席に座っていたっけ!)

と、何となぁ~く、ですが、納得したのでありました。(^^;


(つづく・・・。)(^^;


皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 7日 (水)

『ざぁざぁざぁで、へとへとへとぉ~!』(^^;

(# 九州―20)


おはようございます!(^o^)/


【ざぁざぁざぁで、へとへとへとぉ~!】(^^;


(※注:平成28年5月6日(金)の記憶です。)


朝、目覚めたところ、『きゃさりん副長。』の表情が、とんでもないことになっていました。 Img_4486
それで、

「どうしたの?」

と、聞いてみましたら、

「全然、眠れなかったの!
 夜中に、雷は鳴るし、雨(の音)は煩いし、物凄い大雨だったんだよ!」

とのこと。

「あなたは、良いわよ!
 ぐうぐう寝てたんだもん。
 (私は)目が冴えちゃってさぁ。
 何にも眠れなかった。」

と、かなり辛そうでした。

(あんれぇ~?
 いつもなら、その程度では、平気で寝ているはずなのに、どうしたんだろう?)

と思って、よくよく、『きゃさりん副長。』の姿を観てみましたら、何ともまぁ、迷彩の雨合羽の、上衣を着ているではないですか!

それで、窓の外を観てみましたら、

(ありゃまぁ~!
とんでもない大雨!
昨日は、あんなにも晴れていたのになぁ。
どうなっちゃんだろ?)

と、あっという間に、目が覚めてしまいました。

『きゃさりん副長。』は、

「(鳥栖)駅までさぁ。
 一体、どうやって行こうかと、考えちゃってさぁ。
 まさか、(徒歩1分のホテルから)タクシーで行く訳にもいかないしさぁ。
 私は、濡れてもいいから、あなたが傘を差してさぁ。
 先に、あなたを(駅まで)運んでさぁ。
 それから、荷物を運んだら、いいと思うの。」

何でも、朝4時頃から、起きていて、そんなことを考えていたと言うことで、そりゃぁ、身も心も、疲れてしまう訳です。

私は、突然、心配になってきて、この日、向かう予定の、長崎の『S氏』に、電話を入れ、

「雨が酷ければ、大村(市)に向かう。」

と、聞いてみたのですが、

「(雨の)降りは、そんなには強くない。
 雨が酷かったら、(見学予定の)『平和公園』は、ちょっと厳しいかも知れないけど、『原爆資料館』とか、雨に関係なく、他にも観られるところがあるから、とりあえず、おいでよ。」

と言うことでした。

そして、予定通りの行動を取ることにしたのですが、

『きゃさりん副長。』は、

「雨って、(降り方に)強弱があるよね。
 だからさ。
 (雨が)弱まったら、いっぺんに、駅まで行っちゃうって言うのはどう?」

と言うことで、その方法を取ることにしたのでした。

私達は、9時台の特急に乗る予定でしたが、朝の7時台から、そわそわしっ放しで、全く、落ち着きませんでした。

そして、8時過ぎには、フロントへ。

チェックアウトはしたものの、事情を話して、そのまま、フロント前のロビーで待機。

『きゃさりん副長。』は、外に出て、雨の様子を観て、

「まだ、ダメみたい。」

と、そりゃもう、全く、落ち着きがありませんでした。

でもまぁ、そりゃそうです。

車椅子の身体障害者を、濡らさずに、雨の中を、どうやって移動させるのか?

多分ですが、資格を持っている介護士の方でも、至難の業だと思います。

点字ブロックや、道路の白線は、水で濡れれば、滑る。

段差があれば、水溜りができ、水が跳ねたり、車輪が滑ったりもし、段差を乗り越えられない。

ましてや、旅行バッグを持った、おデブとなれば、重量は嵩みますし、労力は、余計に掛かってしまいます。

『きゃさりん副長。』の心中は、ただならぬものがあった、と思いました。

そうして!

8時半を過ぎた頃、

「時間的に、間に合うかしら?」

と、『きゃさりん副長。』が、今度は、電車の時刻を、気にし出してしまいました。

私は、

「よっしゃ!
 (ホテルの)玄関前に出て、タイミングを診て、ゴーだ!」

と、決心し、私達は、ホテルを出て、雨との睨めっこを始めました。

すると!

「小降りになったんじゃない!」

と、『きゃさりん副長。』が。

その言葉で、

「えぇ~い!
 もう、行っちゃえぇ!」

と、私が言った途端に、『きゃさりん副長。』は、アクセル全開で、私の車椅子を押し出したのでした。 Img_4487
幸いにも、交差点の信号は『青』で、停まることなく、鳥栖駅に着くことができたのですが、『きゃさりん副長。』が、

「ここで待ってて!」

と言うので、どうしたのかと聞くと、

「ホテルに、荷物を取りに行ってくる。」

とのこと。

私が、

「どうして、一緒に持って来なかったの?」
と聞くと、

「だって!
 最初から、荷物は後からって、決めてたじゃん!」

(あちゃぁ~!
 何だ、この食い違い!)

と、私は思ったのですが、どうやら、

『いっぺんに!』
と言う言葉が、ネックの様でした。(^^;

『きゃさりん副長。』の『いっぺんに!』と言うのは、

『一挙(速やかに)に、行動に移す。』

と言うことの様であり、私は、

『一挙(物事をまとめて)に、行動を終えてしまう。』

と、考えていました。

そして!

『鳥栖駅』では、どんよりとした曇天の下、小雨が降り続いていましたが、私達の間にも、重苦しい空気が、漂い続けていたのは、間違いは無かったと思いました。(^^; Img_4488
そんなこんなで、朝から、色々と、トラブルはあったのですが、無事に、ホームに辿り着き、『K先輩』から、

「柱が、レールでできている。」

と、聞いていましたので、あちらこちらと、歴史ある駅舎を観て回ってみました。 Img_4489
ですが、『きゃさりん副長。』が、

「疲れちゃった!」

と言うことで、待合室で待つことにしたのですが、直ぐに、列車の到着案内があり、結局、あまり休むことなく、ホームに出てしまったのでした。 Img_4491
案内放送では、

「白いかもめ9号、長崎駅行き、間もなく、5番線に到着します。」

と、流れていました。 Img_4493
『きゃさりん副長。』が、

「へぇ~、『白いかもめ』って言うんだ。
 じゃぁさ、『黒いかもめ』は、『黒いかもめ』って言わなかったよね。
 何て言うの?」

と言いましたら、私達に、付き添ってくれていた駅員さんが、

「黒いのは、そのまま『特急かもめ』です。
 885系(『白いかもめ』)は、初めてですか?
 全席、革張りシートで、くつろいで頂けると思いますよ。」

とのこと。 Img_4494
その言葉を聴きまして、『きゃさりん副長。』の表情が、和らいでくれたのは、言うまでもありません。(^^;

私も、

(そう言えば!
 昨晩、『S先輩』が、
 『黒は駄目よ。
  やっぱり、白に乗らんといかんよ。』
 と言っていた。)

と、言うことを思い出し、ワクワク感が高まっていました。 Img_4496
ただぁ!

その思い込みと言うのでしょうか。

それが、後で、かなりの恐怖を味わってしまう基に、なってしまうのですが。(^^;

さてさて!

『白いかもめ』の、革張りシートに、期待とともに、収まった私達ですが、『きゃさりん副長。』は、直ぐに、目を閉じてしまいました。

(あぁ~!
 よっぽど、疲れていたんだなぁ。
 朝、4時じゃぁなぁ。)

と、独り残された私は、車窓から流れていく、景色を眺めていました。

そして、『吉野ヶ里公園駅』を過ぎた辺りで、『K先輩』から、

「佐賀は、擬音語や、擬態語を、3回、続けるんよ。」

と、聞かされていたことを、思い出していました。

(今朝の天気は、差し詰め、雨が

 『ざぁざぁざぁ』

 で、『きゃさりん副長。』の、今の状況は、

 『へとへとへと』

 なんだろうなぁ。)

それから!

(♪あああぁ~ ながさきぃはぁ きょうはぁ はれぇだぁったぁ
  に、なると良いなぁ。)

と、想っていたのでした。(^^;


(つづく・・・。)(^^;


皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 6日 (火)

『大マサ・中マサ・小マサ!』(^-^)/

(# 九州―19)


おはようございます!(^o^)/


【大マサ・中マサ・小マサ!】(^-^)/


(※注:平成28年5月5日(木・祭)の記憶です。)


『吉野ヶ里公園駅』に着いて、ホームに降りてみたところ、ホームには、誰もいませんでした。

『K先輩』に、そのことを聞いてみましたら、

「この時間帯(14時前後頃)は、殆ど、人はおらんよ。
 特に、休みの日はおらん。」

とのことでした。

そして、普通電車は、13時台最後の電車に乗ることができなければ、次の電車まで、1時間も待つと言うことで、本当に、危うい所でした。 Img_4474
そうして、電車を待っていたら、『黒いかもめ』が、ビュ~ン!

黒でも、白でもない、特急が、ビュ~ン!

(何だか、凄いなぁ。)

と、思いまして、これまた、『K先輩』に聞いてみましたら、

「そりゃそうよ。
 ここは、長崎本線と、佐世保線からの特急が通る。
 『かもめ』以外に、『みどり』とか『ハウステンボス』(などの特急)も通る。
 普通(電車)よりも、特急が多いのさ。」

と、言っていました。

それから、

「長崎新幹線ができても、ここ(の線路)は、そのままよ。
 前(『ベンチャー2000の時』)に、連れてったろ。
 武雄温泉。
 そこまでが、在来線で、そこから長崎までが、新しく(線路が)できる。
 だから、今よりも(特急が)多くなるかも知れん。」

と言うことでした。

(在来線と、新しい新幹線用の線路?
長崎新幹線って、山形新幹線とか、秋田新幹線と、何が違うんだろ?)

と、私は思っていましたが、その時に、普通電車がやって来まして、それ以上の質問は、止めにしておきました。

『吉野ヶ里公園駅』から、『鳥栖駅』までは、15分程度。

あっという間に着いてしまいました。(^^;

そして、ホテルにチェックイン!

と、思っていたのですが、そのホテルが、さっぱり見当たらない。

『駅から、徒歩1分』

と、なっていたのですが、

(一体全体、何処にあるのだろう?)

『K先輩』は、スマホを使って、『きゃさりん副長。』は、駅前の案内看板と、交番で聞き込み、それぞれ、『徒歩1分のホテル』を探してくれました。

そうしたら、何ともまぁ、駅前にある、大きなビルに隠れる様にして、そのホテルは建っていたのでした。

その上、交差点を、2つほど渡らなければならない。

(う~ん!
 これは、分かり辛いなぁ。)

と思いましたが、確かに、交差点の信号で停まらなければ、徒歩1分程度だったと思いました。(^^;

私達は、チェックインを済ませ、少しの休息を取った後、鳥栖駅前に出掛けてみました。

鳥栖駅前には、飲食店は、あまりなく、少し行った所に、ショッピングモールがありましたので、そこに入ってみることにしました。

そこで、夜のことも考え、軽くですが、遅い昼食を摂りました。 Img_4479
この日の夜は、待望の『S先輩』と会う予定でした。

『S先輩』は、勤務とのことで、私達は、鳥栖駅周辺を散策したり、ホテルのロビーなどで、時間を潰していました。

すると、『K先輩』のスマホに電話が。

何でも、

「早く行ける。」

と言うことで、私達は、ホテルのロビーで待つことにしました。 Img_4480
「おぉ~!
 元気かぁ!
 懐かしいなぁ。
 相当、デブになっているけど、平出だって、一応は判る。
 何年振りだぁ。」

と、全く変わらない、懐かしい声が!

『S先輩』の登場でありました。(^^;

何ともまぁ、およそ、34年振りの再会でした。

『K先輩』が、

「(呑み会の)場所は何処よ?」

と聞くと、

「目の前さ。
 焼き鳥屋。
 鳥栖に来たら、名物を食わさんと、いけんから。
 身体の具合が良くないって言うから、一番、近い店を取っとった。」

『S先輩』が、指さす方向を観ましたら、本当に、道路を挟んで、ホテルの真ん前!

私は、

(人相、風袋は、相変わらずごついけど、やっぱり優しいなぁ。)

と、かなり嬉しくなってしまいました。(^-^)/


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


『K先輩』は、『陸上自衛隊 少年工科学校』の17期生。

『S先輩』は、18期生。

そして、私が、21期生。

今は、『少年工科学校』は、校名を変え、『高等工科学校』となっています。

また、卒業後の進路も、大きく変わっています。

それで、既に、存在はしていませんが、『少年工科学校』のことについて、少々。

『少年工科学校』は、中学校を卒業予定の者、または、満17歳未満の者が、受験できました。

入校と同時に、『特別職国家公務員』となり、『陸上自衛官』として、階級が与えられます。

教育課程は、前期課程・中期課程・後期課程と分けられ、4年間掛けて、卒業を目指します。

卒業後は、『3等陸曹』に任命され、部隊配置となり、勤務に就くことになっていました。

前期課程は、『少年工科学校』の3年間で、一般教養(普通高校とほぼ同じ内容)・戦闘戦技科目・専門学(電子科、航空科、機械科、土木科、応用化学科の何れか)を、学びます。

中期課程は、履修した専門学により、希望と選考によって、各職種学校に振り分けられていました。

『富士学校(野戦特科・機甲科)・高射学校(高射特科)・航空学校(航空科(通信))・航空学校霞ヶ浦分校(航空科(整備))・施設学校(施設科)・通信学校(通信科)・武器学校(武器科)・需品学校(需品科)・化学学校(化学科)など。』

それらの学校を、総称して、私達は、『中期校』と呼んでいましたが、各課程によって、その学習期間は異なっていました。

そして、後期課程は、各部隊に配置され、『部隊実習』を行っていました。

私は、『少年工科学校』の3年生の時は、『電子科』でした。

それで、区隊長が、

「君は、『通信科』が合ってる。
 『通信学校』に行きなさい。」

と言われたのですが、物凄ぉ~く、駄々を捏ねまして、

「とにかく、一番遠い学校(『中期校』)に行きたい。」

と言いましたら、既に決まっていた同期生を、区隊長が口説き落とし、私は、航空学校に行くことができたのでした。

本当に、我儘で、その同期生には、大変、申し訳が無かったです。(^^;

『少年工科学校』は、神奈川県横須賀市にありました。

そして、多くの職種学校は、関東にあります。

ただ、『航空学校』だけは、三重県度会郡小俣町明野(現在は、伊勢市)にあり、とにかく、全国行脚をしてみたかった私には、関東から離れてみたかったと言うのが、本音です。

これまた、本当に、我儘でした。(^^;

ですが!

その我儘も、『航空学校』を卒業する時には、全く、通用しませんでした。

『後期課程』である、『部隊実習』の配置希望時に、私は、

『第一希望:北海道・第二希望:沖縄・第三希望:九州か航空学校』

と、希望を提出したのですが、区隊長は、全く取り合わず、殆ど無視状態で、

「君の行くところは、もう決まっている。
 変更はできない!」

と、一蹴されてしまったのでした。

その配置先とは!

東京都立川市にある、『東部方面航空隊 東部方面ヘリコプター隊』でした。

何ともまぁ、戻りたくは無かった関東に、再び、戻ってしまうことになってしまったのでした。

これって、『因果応報』って言うんでしょうねぇ。(^^;


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さてさて!

『陸上自衛隊 航空学校』は、『霞ヶ浦分校』と『宇都宮分校』を持っています。

私達は、『航空通信修理課程』と言う課程名で、わずか17名が、『航空学校』に入校しました。

一方、『整備課程』の同期生達は、『霞ヶ浦分校』に入校しました。

と言うことで、『航空通信』と『航空整備』は、別々の学校に入校していました。

また、『航空通信修理課程』は、生徒17期生から、新設された課程であり、『K先輩』は、その第1期生でもありました。

そうして、『第21期 航空通信修理課程』の17名のうち、3名が、『東部方面ヘリコプター隊』で、『部隊実習』を行うことになったのでした。

私達、3名が、立川に着任した時、『東部方面ヘリコプター隊』は、野営訓練中でした。

3日ほど、何もすることが無く、どうしたものかと思っていましたら、留守を預かっていた方から、

「お前達の先輩が、(野営訓練から)戻って来る。」

と、とある部屋に呼び出され、待っていましたら、3人の方々が登場~!

17期の『K先輩』。

18期の『S先輩』。

19期の『W先輩』。

でした。

『K先輩』は、長髪で、なおかつ、中分けのヘアースタイル。

『S先輩』は、髭、ぼぉ~ぼぉ~で、まるでゴリラ状態。

『W先輩』は、何となく、オカマチック。

私達3人は、あまりにもショッキングで、唖然としてしまって、声が出ず、ろくに、挨拶もできなかったことを覚えています。

それが、『K先輩』と『S先輩』との、最初の出会いでした。(^^;

私達、『航空通信修理課程』の『後期課程』は、約4か月間でした。

それが終わると、いよいよ部隊配置となります。

私達3人は、3人が3人とも、『東部方面ヘリコプター隊』への部隊配置を希望していたと思いました。

ですが、配置枠は、1名。

そして、私が、『東部方面ヘリコプター隊』に残ることになったのでした。

ですが、これは、とても辛かったです。

と言うか、私は、大学進学を希望し、受験し、既に合格していました。

すなわち、既成事実を作り上げてしまっていたのです。

他の二人には、

(本当に申し訳ない!)

と、思いつつも、それを言い出せなかった、悲しさと寂しさが、今でも残っています。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


鳥栖市内での、『K先輩』と『S先輩』との呑み会は、昔話で、大いに、盛り上がりに盛り上がってしまいました。 Img_4483
『きゃさりん副長。』は、至極当然、自衛隊の話は、全く解りません。

ですので、

「私はいいから。
 (とっても美味しい)焼き鳥を、一杯ご馳走になるからいいもん!」

と、私の分まで、ひたすら、食べ続けておりました。(^^;

『S先輩』は、

「おれはぁ、お前のせいで、名を変えなきゃいけなくなったんだ。」

と、突然、言い出しました。

「最初は、『大マサ(『K先輩』)』、『小マサ(『S先輩』)』で、ええ感じのコンビやったんよ。
 それが、お前が来てからさ。
 おれはぁ、『中マサ』に、なったんよ。」

実を言いますと、私達3人は、名前に『マサ』が入っています。(^^;

それから、

「おれと『K先輩』は、最初は、一緒に休めたんよ。
 それで、スキーとかも(一緒に)行けたんよ。
 でも、(通信)班長がさぁ。
 『K(先輩)とS(先輩)は、一緒に休んじゃいけん!』
 とか言い出してさ。
 お前は、(『K先輩』と)しょっちゅう、スキーに行ってさ。
 おれは、『W(先輩)』とは、(一緒に)行くつもりは無かったから、独りで(スキーに)行ったりしてさ。
 『17期と18期は、(戦力が落ちるので)同時には休ません!
  端っこの21期と、頭(先頭)の17期なら、バランスが取れる。
  18期と19期が残れば、それで(戦力が)保てる!』
 って、(通信)班長が、言ってたよなぁ。」

などなど。

それから、

「体力には自信があったけど、お前のクソ力には敵わなかった。
 発発(100kg以上ある発動発電機)を、二人で運んだりしてさ。(実際は、四人で持つことになっています。)
 負けたくなかったから、付き合ったけどさ。
 2号天幕だって、投げ合ったりしてさ。
 堪ったもんじゃなかった。」

すると、『K先輩』が、

「あったよなぁ。
 ドラッパチとか、リールの159とか、ガンガン巻いたりして。
 そうそう、銃剣道!
 全く、お前(私のこと)とは、二度とバディを組みたくないと思った。
 と言うか、二度と、銃剣道をやりたくないと思った。
 何が何でも突いてやるって感じで、思いっ切り突いてくるんだもんなぁ。
 お前は、手加減ってものを知らん。」

(んがぁ。
 よく覚えていらっしゃいました。)(^^;

それからは、3人の記憶が、それぞれに、堰を切ったように、止め処なく蘇り始め、喋り続け、予定の時間は、あっという間に、過ぎ去ってしまったのでありました。 Img_4484
先輩達との別れ際、私は、思わず、半泣きになってしまいました。

立川で、とっても愉しかった日々を過ごせたこと。

それは、今でも、掛け替えのない想い出であり、自信であり、私のバックボーンとなっている。

そして、素晴らしい先輩達に恵まれたこと。

(また会えるのであろうか?)

そう思ったら、自然と、涙が出てきてしまったのでした。 Img_4485
「いつまでも元気でいてよ!」

私は、二人の先輩に、そう言うのがやっとでした。(^^;


(つづく・・・。)(^^;


皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 4日 (日)

『懐かしの森かげに~!』(^-^)/

(# 九州―18)


おはようございます!(^o^)/


【懐かしの森かげに~!】(^-^)/


(※注:平成28年5月5日(木・祭)の記憶です。)


『北墳丘墓保存館』を出た私達は、今度は、南に向かって、要は、太陽に向かって、歩くことになりました。

「あづいぃ~!」

と、『きゃさりん副長。』の一言。(^^; Img_4466
そして、視線を前方に向けてみると、あんなに大きかった『祭殿』が、かなり小さく見えていました。

それだけでも、どれだけ歩いたのか。

そして、どれだけ、この『国営吉野ヶ里歴史公園』が、広いのか!

一目瞭然でありました。(^^;

私達は、『北内郭』の西側を通り、『南内郭』へと向かいました。 Img_4470
途中、『きゃさりん副長。』に、何枚かの写真を撮ってもらったのですが、

「ねぇねぇ、知ってるぅ~?
 わたしぃ~、1枚も、写真撮ってもらってなんいだよ!」

私は、

(あちゃ~!
 やっちゃった!
 やば過ぎ~!)

と、思って、

「デジカメ貸して!
 撮るから。」

と、言ったのですが、

「もういいもん。
 明日っから、バンバン撮ってもらうから!」

と、少々、ちんぶくれ(※方言です。)気味でありました。(^^; Img_4472
『南内郭』を、少し過ぎたところで、行きには気付かず、全く分からなかったのですが、

(おんやぁ~?
 ここはぁ~?
 確か!)

と思って、その建物を、じっくりと観てみると、確かに、その建物だったのです。

建物の周囲は、木々で覆われ、建物の手前には、すだれが掛けられた休憩所があり、その状態では、一見すると、単なる休憩所の様にしか観えず、

(これでは、全く分からないはずだ!
 16年前は、木々も無く、休憩所もなく、野中の一軒家で、逆に目立っていた!)

と、私は思いました。

その建物はと言うと、16年前の当時、唯一あった『展示室』でした。

『ベンチャー2000』の時は、その『展示室』で、説明や講義を受けたり、休憩したり、また、昼食も摂っていました。

それに、『勾玉づくり』や、『土笛づくり』などもしたと思いました。

私は、当時を想い出し、目茶苦茶、懐かしくなってしまい、『K先輩』に、思わず、

「連れてってください!」

と、懇願してしまいました。

そうして、『展示室』の中に入ってみましたら、何と、当時と、殆ど変わっていない!

(あぁ~!
 確かに、こうだった!
 一番奥に、会議室があったはずだ。
 その奥に、トイレがあったけど、スカウト達が、長蛇の列を作っていた。)

など、一瞬にして、16年前の想い出が、またまた、蘇ってしまったのでありました。 Img_4467
私達は、とりあえず、展示室内の見学は後回しにし、一番奥の部屋に行ってみました。

そうしましたら、今は、休憩室となっているのですが、机や椅子は、ほぼ、当時のまま。

何せ、机の大きさが、独特でしたので、よく覚えていました。

それと、カーテンは、暗幕兼用で、教育用スライドや、ビデオなども観させて頂きました。

そんな話を、『K先輩』としていたのですが、『きゃさりん副長。』の空腹は、かなりの度合いを迎えていた様でありまして、私達は、席を立つことにしました。

展示室内を回っているときに、『きゃさりん副長。』が、突然、
「私、これで良いから!」

と言って、写真撮影を頼まれました。 Img_4469
ですが、

(あぁ~あ!
 これはきっと、後々、引き摺るよなぁ~。
 「吉野ヶ里は、この写真しかない!」
って、多分、1年以上、話のネタにされるだろうなぁ。)

と、私は、少々、落胆気味でありました。(^^;

そうして、展示室を出ようと思ったのですが、入り口付近に、受付兼事務室があり、そこに、やや、ご年配の職員の方がいました。

そこで、私は、16年前のことについて聞いてみました。

すると!

「知ってますよ!
 ボーイスカウトの人達が来たこと。
 私は、直接は携わりませんでしたが、県教委が、担当していましたよ。」

とのこと。

私は、

(おやぁ~?
 ここは、国営だったんじゃないのかなぁ?)

と思い、色々と話を聴いていきましたら、

「ここ(『展示室』)は、佐賀県教育委員会の担当なんですよ。
展示物も、(県教委)担当です。
昔(16年前)もそうでした。」

などなど。

それから、

・『吉野ヶ里歴史公園』は、国と佐賀県の担当が、色々と入り混じっている。

・平成12年の開園前(『ベンチャー2000』の時)は、主に、佐賀県の担当だった。

・平成13年の開園後は、国営となったため、前面に、国(国土交通省)が出ている

等のことでした。

そして更に、

・『北墳丘墓』の北側に、未開園エリアがある

・そこでは、佐賀県が、発掘調査を続けている

・ただ、調査が終わった所は、『芝生広場』や『多目的広場』として、解放予定

・ボーイスカウトで、そこを使ってくれたら嬉しい

などなどの話もして頂きました。

私は、

(凄んげぇなぁ!
 まだ、未開園エリアがあるなんて!
 発掘調査も、まだ続いている。
 一体全体、どれだけの広さになるんだぁ?
 ひょっとして、地区キャンポリー程度の大会が、できてしまうんじゃないのか。)

などと思っていましたら、今度は、『K先輩』が、その方と話しだし、今後の発掘調査のことや、北側のエリアの担当は佐賀県になるのか、など、地元の人間として、様々なことを聴いていました。

『きゃさりん副長。』は、と言いますと、流石に疲れた感じがあり、『K先輩』に、話を、いつ切り上げて貰おうかと思っていましたが、

「私は、大丈夫!
 佛教章(の事前研修)で、長ぁ~い話を聴くのは慣れているから。」

と、少々、いや、かなり嫌味が混ざったお言葉を述べておりました。

大丈夫そうかなと思いましたが、非常に気まずい状況であったのは確かでした。(^^;

(さぁて、レストランは空いたかな。)

と、私達は、『展示室』を後にしたのですが、途中で、またまた、見覚えのある場所が! Img_4473
そこは、環濠(堀)だったのですが、今は、当然、入ることはできません。

と言うか、入ることができなくなっています。

16年前も、

「入らないでください!」

と、言われてはいたのですが、そこは、やんちゃなベンチャー達。

入りたくて、入ってみたくて、うずうずしていたのは、直ぐに判りました。

そこで、率先して、私が!

ですが、環濠に入った途端に、

((堀が深くて)高い!!!
 高過ぎるぅ~!
 こりゃ登れないぞ!
 どうやって出るんだぁ?)

と、私と数人のベンチャー達は、慌てふためいてしまったのでありました。

まぁ、防御のための『堀』なのですから、出られなくて当たり前なのですが、随分と、間抜けな話しです。(^^;

そうして、担当職員の方に、

「助けたくないけど、仕方が無い!」

と、言われつつも、救出して頂いたのでありました。

何とも情けなかったです。

とってもお恥ずかしい想い出です。(^^;

さてさて、やっとのことで、公園東口の『歴史公園センター』に辿り着いた私達ですが、

(こりゃ、ダメだ!)

と、一挙に、意気消沈してしまいました。

レストランは、相変わらずの満員。

その上、長蛇の列。

『きゃさりん副長。』に、

「お土産はどうする?」

と、聞きましたら、

「もういい!」

とのこと。

『K先輩』は、

「これはもう仕方が無いから、鳥栖まで行ってしまおう。
 その方が、店もあるし、落ち着くと思う。」

と言うことで、私達は、『吉野ヶ里公園駅』へ向かうことにしました。

ただ、『きゃさりん副長。』のお腹は、

「くぅ~、くぅ~。」

と、可愛らしく鳴き続けていましたが。(^^;


(つづく・・・。)(^^;


皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 3日 (土)

『何処まで続く~?』(^^;

(# 九州―17)


おはようございます!(^o^)/


【何処まで続く~?】(^^;


(※注:平成28年5月5日(木・祭)の記憶です。)


『K先輩』と職員の方、そして、私の3人が、何時までも話し続けていたので、『きゃさりん副長。』は、相当、辟易していた様でした。(^^;

「疲れちゃったよぉ。
 何処かに、休むとこは無いの。
 座りたくなっちゃった。」

その言葉を聴いて、『K先輩』は、

「あ゛っ!
 そうだよね。
 あとちょっとだから、少し急ごうか。」

と言って、『北内郭』を出て、更に北に向かって、進んで行きました。

そして、

「こっちは、流石に知らんやろ。
 発掘調査が進んでから、造られたからね。
 かなり立派なものが、できてる。
そこまで行けば、少しは、涼しいかも。」

と、歩みを進めながら、言われていました。

(それにしても、広い!
確かに、国内では、最大規模の『歴史公園』なのだろうけど、これでは、何かのついでに見学、などと考えてはいけない。
丸一日、掛けても、全部を観て回ることは、不可能かも知れない。)

私は、動かない左腕が、じりじりと日に焼かれている感触(痛く感じる)を受けながら、そう思っていました。

それにしても、この日は、目茶苦茶、熱かったです!

『晴れ男』も、考えものかも。(^^; Img_4446
案内看板の横を通り過ぎ、少し進んだら、『甕棺墓列』が。 Img_4447
私は、『ベンチャー2000』の時に、展示物を見学していましたので、それが何かは、直ぐに解りました。 Img_4448
ただ、『きゃさりん副長。』は、

「何かの壺?」

と言っていましたので、

「これに、死者を入れたんですよ。
 それで、埋葬をしたんです。
 それが、ここに、一杯沢山、埋められていたんですよ。」

と、『K先輩』が、説明をしていました。 Img_4449
そして、

・目の前に現れてきた丘は、人工的に造られたもの

・『北墳丘墓』と呼ばれている

・14基の甕棺が発見された

・歴代の、王の墓と考えられている

・古墳とは、性質を異にするかも知れないが、古墳と思っても良いかも知れない Img_4451
・くぼみは、『墓道』と呼ばれ、参拝のための道 Img_4453
・丘の手前にある柱は、『立柱』と呼ばれ、祖先の霊が宿る柱と考えられており、目印的(シンボル的な)役割を持っている Img_4454
などなど、ガイドさん、顔負けの説明をしてくれていました。

ですが、『きゃさりん副長。』は、それよりも、早く、休みたいと言った感じでした。(^^; Img_4452
さてさて、『北墳丘墓』は、一時、埋め戻されるなどの紆余曲折があった様ですが、『北墳丘墓保存館』として、内部が、展示施設になっていました。 Img_4455 Img_4456
その保存館の内部は、一定の温度と湿度に保たれているとのことで、

「きゃぁ~!
 涼しい~!」

と、『きゃさりん副長。』は、かなりの悦びようでした。(^^;

私は、

(保存のための空調なんだけどなぁ。)

と、思いましたが、実は、私も、ホッと一息、つくことができたのでした。(^^; Img_4457
『北墳丘墓保存館』の内部は、発掘された状態での、本物の遺構、及び、甕棺が展示されていました。 Img_4458
通路の一部は、透明になっており、甕棺の内部を、真上から観ることもできました。 Img_4462
また、こちらの甕棺の中からは、有柄銅剣や、ガラス製管玉が出土したそうです。 Img_4463
それらの物も、展示されていましたが、『きゃさりん副長。』曰く、

「どれを、写真に撮ったら良いのか分からないんだもん。
 (甕棺が)みんな同じに見えて、区別なんかつかないんだもん。」

と、憮然とし、写真係としては、かなり飽きが来ていた様でした。(^^;

その他にも、出土品の復元作業の様子や、その室内も、ガラス越しではありますが、見学することができました。

私は、

(確かに、16年前には、『北墳丘墓』の話は聞かなかったし、「発掘調査は、まだまだ、続けられます。」とは聞いたけど、物凄いことになっていたんだなぁ。)

と、ただただ、感心させられるばかりでありました。(^-^)/

さて、再び、ギラギラと輝く太陽の下に、出てしまった私達ですが、

「この先(北側)は、どうなっているんですか?」

と、『K先輩』に聞いてみたところ、

「お前ぇ~!
 それは、無理やろ。
 北口があるけど、今まで歩いた分の、倍近くはあるぞ。」

とのことで、私は、

(一体全体、何処まで、この遺跡は続いているんだぁ?)

と思い、

「止めた方が良い。」

との『K先輩』の言葉で、私達は、引き返すことにしたのでありました。

『きゃさりん副長。』は、

「お腹空いたぁ!」

と、頻りに言っていましたが。(^^;


(つづく・・・。)(^^;


皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年11月30日 (水)

『国営だったのぉ~!』(^^;

※決して、パソコンの不調の腹癒せではありませんが、何しろ、4回も、投稿が消えてしまいましたので、かなりの長文となっています。

ご注意とご了解をお願いいたします。(^^;


(# 九州―16)


おはようございます!(^o^)/


【国営だったのぉ~!】(^^;


(※注:平成28年5月5日(木・祭)の記憶です。)


さてさて、『吉野ヶ里歴史公園』に入った途端に、16年前の記憶が、どどどどぉ~と、蘇ってしまいました。

それを少々。(^^;

『第5回ベンチャースカウト大会(高校生年代の全国大会)
(略称:5NV)
(通称:ベンチャー2000)』

は、2000年(平成12年)7月29日(土)~ 8月5日(土)の間、

・主会場を、11NJが行われた、大分県の久住高原

・活動基地を、沖縄:1 福岡:4 大分:3 宮崎:4 佐賀:5 長崎:3 熊本:3 鹿児島:5

に、それぞれ置き、過去に例をみない、とても壮大なスケールで、全国から、スカウト、指導者、奉仕員、およそ、4,500名が集まり開催されました。

開会式には、秋篠宮殿下、秋篠宮妃紀子様のご臨席を賜り、それはそれは、大いに盛り上がり、盛大に挙行されたとのことです。

ですが、私は、活動基地にいましたので、その様子を観ることができずに、とっても残念でしたが。(^^;

スカウト達の参加形態としては、日程を半分に分け、

・前半を主会場で過ごした者は、後半は活動基地で

・前半を活動基地で過ごした者は、後半は主会場で

それぞれ、活動を行なうと言う様に、入れ替わる形を取りました。

ただ、8月1日(火)だけは、スカウト達全員が、主会場に集結し、大集会を行いました。

主会場でも、活動基地でも、それぞれ、地域性のある独特のプログラムが展開され、スカウト達は、全国の仲間達と交流を深めつつ、若さを爆発させながら、プログラムを存分に愉しみ、夏を満喫したのでした。(^-^)/

しかしながら、台風の影響で、沖縄、屋久島等は、かなり苦労したと聞き及んでいます。

私は、当初、主会場での奉仕予定でしたが、『K先輩』や、同期生の『K氏』が、勤務していた付近に設けられた、佐賀県の『吉野ヶ里活動基地』に、どうしても行きたく、懇願に懇願を重ね、お願いし続けたところ、

「お前のことだから、まぁ、何を言っても、言うことは聞かんだろう!」

と言うことで、お許しを得られたのでありました。

本当は、いけないんですけれどもねぇ。(^^;

しかしながら、参加確定までは、はっきり言って、何処の基地に配置されるかは、全く判りませんでした。

と言うのも、奉仕者は、大会の前日に入場し、大会後に退場します。

私達は、それを、『前泊』と『後発』と呼んでいますが、それは、スカウト達の入場受付の準備、そして、スカウト達を見送った後、会場の後片付けがあるためです。

と言うことで、奉仕者の参加期間は、この大会の時には、10日間と、長期間に亘っていました。

そんなにも、10日間も仕事を休めば!

「(会社に)帰ってきたら机が無かった!」

「(会社が)倒産していた!」

まぁ、とっても悪い冗談なのですが、でも、普通に、10日間も休むことができる人は、ます、滅多にはおりません。

やっとのことで、休みを取ることができた人は、人数的に、そう多くは無かったはずです。

ですので、九州、沖縄の皆さんは、日々の時間を遣り繰りして、『時間帯を限っての奉仕』や、『早朝奉仕』・『夜間奉仕』など、相当、苦労をされていた様でした。

本当に、大変だったと思います。

今でも、そのご尽力には、『感謝!』の言葉しかありません。

私は、佐賀県は、決定していたのですが、佐賀県の活動基地は、

(順不同)
・波戸岬基地
・唐津基地
・有田基地
・鹿島基地
・吉野ヶ里基地

と、5つの活動基地がありました。

そのため、それらの基地に対しての、人員配置が、とっても難航していた様でした。

結局のところ、参加スカウトの受け入れ人数が、一番多い、と言うことで、私の経験と経歴を踏まえて頂き、『吉野ヶ里基地』に、招かれると言う形になったのですが、希望通りに配置されなかった奉仕員の方も、数多くいたと聞いています。

本当に、私は、ラッキーだったと、今でも思っています。(^^;

さて、前置きが長くなってしまいましたが、その後の、『ベンチャースカウト大会』に付いてです。

第6回ベンチャースカウト大会は、関東一円で開催されたのですが、第7回ベンチャースカウト大会は、新型インフルエンザの蔓延が危惧され、開催中止となってしまいました。

その後は、全国レベルでの大会は行われていません。

本当に、残念なことだと思います。(T_T;)


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さてさて、本題に戻んなきゃ!

と言いつつ、過去の話を、もう少々。(^^;

『吉野ヶ里歴史公園』ですが、公園の中央に、県道が、東西に通っていまして、南北に分かれる様な形になっています。

<