カテゴリー「特別攻撃隊」の15件の記事

2018年8月11日 (土)

『特攻の母!』(T_T);

(薩摩半島 訪問 : その61)
(※注:平成30年 5月 4日(金・祝)の記憶です。)
おはようございます!(^o^)/
【特攻の母!】(T_T);
(ペン)「お゛っ!
     あれが、『富谷食堂』なのぉ?」 Img_0657
(ハム)「うん。
     そうなんだって。
     なんでも、『鳥濱トメ』さんの、
     次女の証言などから、当時と同じ場所に、      外観も、当時のままに、      再現されたんだって。」
(ペン)「へぇ~!
     そうなんだぁ。
     それは、凄いね!」
(ハム)「さっきさ。
     歩道とか、道路には、電柱が無かったじゃん。
     だけど、ここは、当時を再現するために、
     わざわざ、木製の電柱を建てたんだって。
     ポストも、当時の物なんだってよ。」

(ペン)「ほぇ~!
     物凄い、徹底ぶりだよね。
     それで、食堂は、営業してるのぉ?」
(ハム)「いやいや、食堂と言うのは、あくまでも、
     名前だけだよぉ。
     今は、『ホタル館 富谷食堂』って、
     言うんだって。」
(ペン)「え゛~?
     それって、どう言うことぉ?」
(ハム)「あのね。
     『富谷食堂』は、建物としては、
     再現したんだけど、今は、内部を、
     資料館にしてあるんだって。
     それでね。
     『ホタル館』と言うのは、特攻隊員が、
     『特攻したら、ホタルになって帰って来ます。』
     と、言い遺した言葉から、名付けたんだって。」

(ペン)「あ゛~!
     そう言えば、『ホタル』って、
     映画があったじゃん!」
(ハム)「そうだね。
     それでね。
     『ホタル館 富谷食堂』は、
     平成13年(2001年)に、復元されて、
     映画『ホタル』も、同時期の公開だったんだ。
     だから、どっちがどっちと、言う訳ではなくて、
     とにかく、特攻隊員が、
     『特攻したら、ホタルになって帰って来ます。』
     と、言い遺した言葉が、重要で、それが、
     共通の言葉として、
     使われたんじゃないのかなぁって。」

(ペン)「そっかぁ。
     下種な、憶測をしちゃったなぁ。
     ごめんね。」
(ハム)「まぁ、気になったんだから、仕方ないよ。
     それでね。
     今、館長をされている方は、
     『鳥濱トメ』さんの孫で、
     『鳥濱明久』さんと言う方なんだって。
     その方なんだけどさぁ。
     館長の、お仕事だけでなく、
     『知覧いのちの物語』と言う書籍も、
     出版されているんだって。
     その上、『鳥濱トメ』さんから、直接、聴いた、
     当時の話を、語り部として、
     伝える活動もしてるんだってさ。」

(ペン)「ぎょぇ~!
     物凄いじゃん!」

(ハム)「いやいや、それだけじゃないんだよぉ。
     『鳥濱トメ』さんから、
     トメさんの味を受け継いで、メニューも、
     そのままで、昭和63年(1998年)に、
     『特攻おばさんの店 知覧茶屋』を、
     創業したんだ。
     それで、今は、そのお店の、
     店主でもあるんだって。」
(ペン)「なんともまぁ!
     館長で、著者で、語り部で、店主~!
     って、凄くない?」
(ハム)「そうだよねぇ。
     きっと、『鳥濱トメ』さんの想いが、
     そうさせているのかも知れないね。」

(ペン)「ところでさぁ。
     『特攻おばさんの店 知覧茶屋』って、
     どこにあるのぉ?」
(ハム)「あんれぇ~?
     運転手さんの、説明を聴いてなかったぁ?
     ほら!
     『平和公園』の、入口の右側。
     あそこに、レストランとか、食堂とか、      一杯沢山、並んでたじゃん!
     だけど、物凄い混雑ぶりで、運転手さんが、
     『君子危うきに近寄らず!』
     って言って、本当に、近寄らなかったじゃん。
     あそこの、体育館寄りに、あったんだよ。」

(ペン)「げぇ~!
     じゃぁさ。
     『知覧特攻平和会館』の、直ぐ近くに、
     あったってことなのぉ?」

(ハム)「そうだよぉ。
     だけど、物凄い大混雑で、あれじゃぁ、
     何時間掛かっても、お店の中にすら、
     入れなかったと思うよ。」
(ペン)「ふんぎゃ!
     そっかぁ。
     そうだったのかぁ。
     でもまぁ、運転手さんが、
     そう言うんだから仕方ないよね。
     ちょっと、心残りだけど。」

(ハム)「あとね。
     『ホタル館 富谷食堂』の内部なんだけど、
     今回は、時間が無くて、      寄ることができないのと、
     車椅子だと、中が狭くて、かなり、
     かったるいんだって。
     ましてや、2階には、登れないから、      外観だけで、勘弁してくださいって。
     それでね。
     1階は、『鳥濱トメ』さんと、
     特攻隊員達とのふれあいを、遺品や、写真、
     映像資料などで、展示、紹介してるんだって。
     2階は、『特攻の母』として、慕われた、
     『鳥濱トメ』さんの生涯を、展示、
     紹介してるんだって。」

(ペン)「ふぅ~ん。
     そうなんだぁ。
     展示物は、観てみたい気もするけど、確かに、
     全体的には、狭そうだし、2階には、
     おデブ隊長は、上がれないもんなぁ。
     それじゃぁ、仕方ないよね。
     でもさ!
     『鳥濱トメ』さんと、特攻隊員達との、
     ふれあいの写真ってさぁ。
     『三角兵舎』に、あった様な写真なのかなぁ。
     そうしたらさ。
     『きゃさりん副長。』は、また泣いちゃうぜ!」
(ハム)「そっかぁ!
     それはあるかもね。
     『ホタル館 富谷食堂』に寄ったら、ちょっと、
     ヤバかったかも知れないね。
     ところでさぁ。
     右手の方に、視線を移して欲しいって。」 Img_0658
(ペン)「えっとぉ、『富谷旅館』~?
     こっちは、食堂じゃぁなくって、旅館なのぉ?」

(ハム)「うん。
     『鳥濱トメ』さんが、開業したんだってさ。
     おっと!
     そう言っても、いきなりじゃ、      何も解らないよね。
     『鳥濱トメ』さんの、経歴を、
     簡単に整理しておこうね。
     ・明治35年(1902年)
      鹿児島県川辺郡西南方村(小さな港町)生まれ
     ・18歳で、『鳥濱義勇』氏と結婚
     なんだけどもね。
     『トメさん』のお宅は、とっても貧しくて、
     小学校にも、通うことができなかったんだって。
     それで、読み書きも、できなかったんだって。
     だけどもね。
     夫の『鳥濱義勇』氏が、『トメさん』に、
     読み書きを教えてくれたんだってさ。」

(ペン)「ひょぇぇ~!
     そんなことが、あったんだぁ!
     今では、全く、考えられないよね。」
(ハム)「まぁ、明治の、終わりの頃だからね。
     貧しい家は、殆ど、
     同じ様な状態だったみたいだよ。
     それでね。
     『鳥濱義勇』氏は、とっても優しい人で、
     『トメさん』との仲は、かなり、
     良かったみたいなんだ。
     だけどもね。
     『鳥濱義勇』氏は、旧家の出身で、
     『トメさん』との家柄に差があり過ぎて、
     とっても、苦労した様だよ。
     それでも、『トメさん』は、      身を粉にして働いて、
     ・昭和4年(1928年) 27歳
      『富谷食堂』開業
     するんだ。」
(ペン)「お゛~!
     待ってましたぁ!」
(ハム)「それでね。
     『鳥濱義勇』氏は、美男子で、『トメさん』も、
     かなりの美人だったんだって。
     だから、二人が並んで歩いていると、みんなが、
     振り向いて、羨ましがったんだって。
     その上、『トメさん』は、写真館の、
     広告写真のモデルになったり、他にも、
     写真モデルをしてたんだってよ。」
(ペン)「どっひゃぁ~!
     それまた、凄いじゃん!
     知覧町じゃぁ、超~、有名人だったんだねぇ。」
(ハム)「だよねぇ。
     実際、その辺りの頃までは、本当に、幸せで、
     良かったみたいだよ。
     でもね。
     ・昭和17年(1942年)
      陸軍知覧飛行場 完成
     の、頃から、段々と、おかしな流れに、
     なって行っちゃうんだ。」

(ペン)「そうなんだぁ。
     その頃ってさぁ。
     もう、戦争は、してたのかなぁ?」
(ハム)「うん。
     『支那事変(日中戦争)』とかは、
     それ以前に起きていたし、
     『大東亜戦争(太平洋戦争)』は、
     ・『陸軍』
      マレー作戦 
      昭和16年(1941年)12月8日 
      マレー半島北端 奇襲上陸
     ・『海軍』
      真珠湾攻撃
      昭和16年(1941年)12月8日 未明
      (ハワイ時間 同 12月7日)
      航空機 及び 潜航艇による攻撃
     で、開戦してたんだ。
     それで、昭和17年の頃は、負け戦は、殆ど、
     無かったんだよ。
     だから、それで、日本軍は、とっても大きな、
     勘違いを、しちゃうんだけどさ。」
(ペン)「そっかぁ。
     そんな状況だったんだね。
     それで、『富谷食堂』は、どうなるの?」
(ハム)「今まで、学習して来たから、解ると思うけど、
     知覧飛行場に、『大刀洗陸軍飛行学校』の、
     『分教所』が、できるじゃん。
     それで、『富谷食堂』は、
     陸軍指定の食堂になるんだ。
     すると、『富谷食堂』には、      『少年飛行兵』達が、
     わんさかと押し寄せて来て、たちまち、
     大賑わいの、お店になっちゃったんだよ。」
(ペン)「お゛~!
     そうだったね。
     それから、『鳥濱トメ』さんと、飛行隊員達、
     それから、特攻隊員達との、『ふれあい』が、
     始まって行くんだよね。」

(ハム)「そうなんだよ。
     それでね。
     最初は、みんなが、『トメさん』のことを、
     『おばさん』って、呼んでいたみたいなんだ。
     それが、次第に、
     『お母さん』と呼ぶ様になっちゃったんだって。
     とにかく、『トメさん』の人柄に、
     惚れちゃってと言うか、『トメさん』に、
     会いたくって、みんなが、『富谷食堂』に、
     やって来たみたいだよ。」
(ペン)「ほぇ~!
     それじゃぁ、超~、人気者ってことじゃん!
     でもさぁ。
     そんなに、兵隊さんが、集まって来てさ。
     あの『富谷食堂』に、入り切れたのかなぁ?」
(ハム)「お゛~!
     いいところに、気が付いたね。
     えっとね。
     なんでも、『離れ』が、あったみたいなんだ。
     それが、今の『富谷旅館』の、
     前進にもなったみたいなんだけど。」
(ペン)「そっか!
     『離れ』かぁ!
     だったら、順番で、食事をして、休んで、
     と言うこともできたんだろうね。」

(ハム)「うん。
     そうみたい。
     それでね。
     お金が無い兵隊さんもいたみたいなんだけど、
     誰彼、構わずに、その『離れ』は、
     使うことができて、休日は、
     みんなの溜まり場になって、のんびりと、
     過ごしていたんだって。」
(ペン)「ふぅ~ん。
     なるほどねぇ。
     当時は、戦争中だよね。
     だったら、娯楽と言う娯楽は、      なかっただろうし、
     部隊にいたら、気が休まらないものなぁ。
     兵隊さん達にとっては、唯一、
     気が休まる場所だったのかも知れないね。」
(ハム)「だけどね。
     日本軍は、段々と、劣勢になっちゃったでしょ。
     その上、昭和20年に入ってからは、      特攻作戦が、
     始まっちゃった訳じゃん。
     そうなると、もう、『富谷食堂』で休むとか、
     『離れ』で、息抜きするとかの話じゃぁ、
     なくなっちゃったんだよ。
     だから、『トメさん』は、自らが、
     知覧飛行場に出向き、特攻機を、
     見送り続けたんだ。
     その上、憲兵の検閲に、      引っ掛かりそうな手紙を、
     特攻隊員から預かり、代理で、
     投函し続けてもいたんだって。」
(ペン)「そっかぁ。
     そうなんだ。
     たった3年で、そんなにも、      変わっちゃったんだぁ。
     本当に、天国から、地獄だよね。
     それにさ。
     当時の、憲兵の検閲って、
     とっても厳しかったんでしょ。
     『トメさん』だって、下手をすれば、
     超~、ヤバかった訳じゃん!」
(ハム)「でもさ。
     よく考えてご覧よ。
     特攻隊員達は、命懸けで、
     出撃して行っちゃってたんだよ。
     『トメさん』にしたら、手紙を、
     代理で投函することぐらい、なんでも、
     なかったんじゃないのかなぁ。
     それにさ。
     特攻隊員達の、出撃の様子を、      自ら、書き綴って、
     個別に、全国各地の、家族のもとへ、
     送り続けたそうだよ。」
(ペン)「どっひゃぁ~!
     そこまで、していたのぉ?
     なんと言う、優しさと言うか、
     特攻隊員達のことを、想い考え、そして、
     家族のことも、想い考え、並大抵のことじゃぁ、
     絶対に、できないよぉ!」
(ハム)「そうだね。
     『トメさん』の心境を想うと、相当な、
     辛さの中での、ことだったろうね。」

(ペン)「う゛~、本当に、辛いなぁ。
     それで、その後は、どうなっていくのぉ?」
(ハム)「えっとね。
     戦後は、進駐軍に、知覧飛行場など、殆どが、
     接収されてしまうんだけど、『富谷食堂』は、
     残ったんだ。
     それで、初めは、進駐軍の、
     『富谷食堂』への出入りを、固辞するんだけど、
     進駐軍の歓迎会をきっかけに、米兵が、
     『富谷食堂』に出入りする様になって、結局、
     『ママさん』と、呼ばれるまでに、
     なっちゃうんだって。」
(ペン)「あれまぁ~!
     超~、驚き!
     米兵達からも、慕われちゃたって、ことなの?
     それってさぁ。
     相当な、人柄だったってことだよね。」
(ハム)「そう言うことだろうね。
     それでね。
     その後、知覧飛行場跡地を、訪れて来る遺族が、
     とっても増えてきちゃったんだって。
     だから、『トメさん』は、
     昭和27年(1952年)に、
     『離れ』があった場所に、
     訪れて来る遺族のために、『富谷旅館』を、
     開業したんだって。
     その最初の場所が、あの駐車場の奥の、
     『開聞岳』上空を、『隼』が飛んでいる写真の、
     奥なんだって。
     道路に面している建物は、      『本館』だそうだよ。」 Img_0659
(ペン)「あれま!
     駐車場の奥の写真なんて、全く、
     気付かずにいたよぉ!
     う゛~、あの写真。
     象徴的な一枚だよなぁ。
     その写真が、しっかりと、      遺されているなんてさ。
     なんとも言えない!」
(ハム)「あとね。
     『ホタル館 富谷食堂』の裏手に、      道路を挟んで、
     『別館』も、あるそうだよ。
     だから、今現在の『富谷旅館』は、『本館』・
     『本館離れ』・『別館』の、三つの建物で、
     構成されているそうだよ。」 Img_0660
(ペン)「ふぅ~ん。
     そうなんだぁ。
     きっと、人気の旅館でもあるんだろうね。」
(ハム)「なんでもね。
     宿泊プランとか、宿泊料金は、
     電話で予約する時に、相談して決めるんだって。
     だから、ネットとか、そう言う形での予約は、
     できないみたいだよ。」
(ペン)「へぇ~。
     きっとさぁ。
     『鳥濱トメ』さんの想いだけじゃぁなくってさ。
     お孫さんの、『鳥濱明久』さんとか、
     三代目女将の、『鳥濱初代』さんの、
     想いなどもあってさ。
     そういう方式に、
     なっているのかも知れないよね。」

(ハム)「うん。
     それからね。
     あと、『富谷旅館保存会』と言う組織も、
     あるんだってさ。」
(ペン)「あれま!
     保存会まであるんだぁ。
     なんだか、凄いことになっているよね。
     ところでさぁ。
     『トメさん』は、いつ頃まで、
     ご存命だったのぉ?」

(ハム)「えっとね。
     平成4年(1992年)だそうだよ。
     享年89歳で、桜の花が、散る頃に、
     息を引き取られたそうだよ。」
(ペン)「え゛~!
     それってさぁ。
     ひょっとしたら、特攻隊員の皆さんのところに、
     旅立たれたってことぉ?」
(ハム)「あぁ、そうかもね。
     いや、きっと、そうなんだと思うよ。
     今頃は、昔の様に、仲良く、
     愉しくしてるんじゃないのかなぁ。」
(ペン)「そうだよね。
     『トメさん』の想いは、永遠に、
     続いているんだものね。」
(つづく・・・。)
皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

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2018年8月 5日 (日)

『数え切れない、想い!』(T_T);

(薩摩半島 訪問 : その56)
(※注:平成30年 5月 4日(金・祝)の記憶です。)
おはようございます!(^o^)/
【数え切れない、想い!】(T_T);
(ペン)「ちょ、ちょっとぉ~!
     ハムゥ~!
     ハムってばぁ!」
(ハム)「ん゛?
     どしたの?」 Img_0626
(ペン)「あれだよぉ。
     あれを、観てよぉ。
     物凄い数の、灯篭だぜ!」
(ハム)「あ゛~!
     ほんとだぁ!
     ひょっとして、あれかな?
     運転手さんが、言っていた、
     物凄い数の灯篭って?」
(ペン)「本当に、何か、物凄いよ。
     灯篭が、ずっとずっと、奥まで続いてるよぉ。」
(ハム)「これはさぁ。
     数えるどころの騒ぎじゃないよなぁ。
     さっきのさ。
     県道27号線のさ。
     『知覧平和祈念通り』から、
     『平和特攻観音堂』まで、約1,700m、
     灯篭が、並んでいるって、運転手さんが、
     言っていたけど、ここが、
     最終地点と言うことなのかなぁ。」
(ペン)「でもぉ、あそこは、道路じゃないし、
     参道でもないみたいだよ。
     一体、どうなってんのかなぁ。」
(ハム)「んとね。
     運転手さんが、言ってるけど、結局、
     『知覧平和祈念通り』には、並べ切れないから、
     こうなっちゃったみたいだよ。」
(ペン)「それにしてもさぁ。
     遺族とか、戦友とか、そう言う方々は、
     昭和30年代に、既に、
     灯篭は建ててしまったんでしょ。
     一体、どなた達が、寄進しているんだろうね。」
(ハム)「えっとね。
     運転手さんが、
     『今は、遺族であったら、孫の代。
      それから、『知覧特攻平和会館』を、
      ご覧になっての、有志の方々。
      また、有名人、著名人、等の方々からの、
      寄進もある様ですね。
      あと、私は、あまり好かんですが、政治家。
      会社の社長さん等々、色々の様です。
      また、さっきの、
      『特攻隊戦没者慰霊顕彰会』の、新たに、
      会員になった方々も、
      加わっているみたいですね。」
     だって!」
(ペン)「そっかぁ!
     考えてみれば、      寄進したいと思っている人達って、
     かなりいるんだものね。
     それじゃぁ、石灯篭が、一杯沢山になっても、
     当たり前だよね。」
(ハム)「それでね。
     今は、おっきなテントが張られているから、
     視界が遮られているんだけどさ。
     ここは、かなり広い、      参道になっているんだって。
     それで、その両側には、昭和30年代からの、
     旧くからの、石灯篭が、綺麗に、
     真っ直ぐに並べられているんだってさ。」 Img_0627
(ペン)「ふぅ~ん。
     そうなんだぁ。
     じゃぁさ。
     ここの、石碑みたいな灯篭は?」
(ハム)「えっとね。
     運転手さんは、      よく解からないって言ってるけど、
     二つの石碑は、『歌碑』なんだって。
     あとは、『少飛(少年飛行兵)十四期』って、
     刻まれているから、その期の、遺族が、
     合同で建てたかも知れないって。」
(ペン)「そっかぁ。
     そう言うことも、有り得るよね。
     同期の絆って、言うかさぁ。
     おデブ隊長なんかを観ているとさ。
     遺族が、期別で繋がっても、      おかしくはないよね。
     おっとぉ!
     こっちは、これまた、でっかいぞう。
     『至純』だって!」 Img_0628
(ハム)「おいおい!
     よく観てご覧よ!
     左下の方の文字をさ。」
(ペン)「えっとぉ!
     なになに?
     『   平成十六年五月三日
       内閣総理大臣 小泉 純一郎 書 』
     げぇぇ~!
     小泉さんが、ここに来たってことぉ?」
(ハム)「いやいや、この地に来た、
     と言うことではないみたいだよ。
     小泉さんは、首相時代には、靖国神社参拝を、
     公約にしていたんだ。
     それで、この地にも、慰霊を、と言うことで、
     石碑を、建立させて貰ったんだそうだよ。」
(ペン)「ふぅ~ん。
     でもさ。
     さっきさ。
     運転手さんが、
     『政治家は好かん!』
     って、言ってたじゃん。      それは、どうなのかなぁ?」  
(ハム)「まぁ、そこはさぁ。
     日本国の、トップじゃん!
     売名行為ばかりしてる、つまらない政治家とは、
     少しは、区別してるんじゃないのかなぁ。
     おっと!
     運転手さんが、『特攻平和観音堂』について、
     説明をしてくれているよ。」 Img_0629
(ペン)「りょっかぁ~い!
     それは、きちんと、聴かなくっちゃね。」
(ハム)「えっとね。
     『特攻平和観音堂』は、
     『鳥濱トメ』さん抜きでは、絶対に、
     語れないんだって。」
(ペン)「あの、『特攻の母』で、『富谷食堂』の、
     女将さんでしょ?」
(ハム)「そうそう!
     それでね。
     『富谷食堂』は、      陸軍指定の食堂でもあったから、
     『鳥濱トメ』さんは、特攻隊員達の面倒を、
     目茶苦茶、看ていたんだって。
     ほら、映画『ホタル』で、
     朝鮮出身の特攻隊員がいたでしょ。
     それで、どこの出身とか、とにかく、
     分け隔てなく、親しくしていたんだって。
     その上、特攻機の出撃の際には、必ず、
     駆け付けて、見送り続けたんだってさ。」
(ペン)「あちゃぁ~!
     それまた、凄いよね。
     それじゃぁ、『特攻の母』と、      呼ばれる訳だぁ。」
(ハム)「それからね。
     終戦後、『鳥濱トメ』さんは、荒れ果てた、
     知覧飛行場跡の片隅に、棒杭を立てて、
     墓標として、拝み続けていたんだって。」
(ペン)「ぎょぇぇ~!
     なんと言う!
     そこまで、してたんだぁ!
     『特攻の母』って、偉大過ぎるよぉ!」
(ハム)「本当に、そうだよね。
     そしてね。
     当時、知覧町長だった方が、      『鳥濱トメ』さんの、
     担任教師でもあったことから、幾度も、
     町長に懇願し、それで、周囲の人の力も借りて、
     『昭和30年(1955年)9月28日』に、
     観音堂の建立が、叶ったんだよ。」
(ペン)「そうだったんだぁ。
     それじゃぁ、『特攻平和観音堂の母』でも、
     ある訳じゃん!」
(ハム)「そうだね。
     だから、『特攻平和観音堂』を語る際には、
     『鳥濱トメ』さん抜きでは、
     話しにならないんだって。」
(ペン)「確かに!
     そりゃ、その通りだよぉ!」 Img_0630
(ハム)「それでね。
     『特攻平和観音堂』は、最初は、
     数段の階段の上にあったものの、
     小さな祠だったんだって。
     そこに、『鳥濱トメ』さんは、毎日、      供養に来て、
     草刈りなどの、手入れを行っていたんだって。」
(ペン)「毎日ぃ~?
     雨の日も、風の日も、ひょっとして、
     台風でもってことぉ?」
(ハム)「そうなんだよねぇ。
     それにね。
     近所の子供達を集めて、掃除や、      供養をして貰い、
     そのご褒美として、
     飴やお菓子をあげていたんだって。
     それが、次第に、習慣となってきて、
     様々な人達が、
     供養に訪れる様になったんだってさ。」
(ペン)「ありゃまぁ~!
     毎日の供養と、習慣かぁ。
     それに、子供達に伝えるって、とっても、
     大事なことだよね。」
(ハム)「そうだよねぇ。
     そうして、全国から、
     供養に訪れる人が増えだして、祠は、
     屋根で覆われることになったんだって。」
(ペン)「ふぅ~ん。
     でもさ。
     今は、随分と、立派な建物に、      なっているよね。」 Img_0631
(ハム)「うん。
     平成17年(2005年)に、
     改築されたんだって。」
(ペン)「そうだったんだぁ。
     え゛っ?
     2005年てさぁ。
     『特攻平和観音堂』は、1955年に、
     建立されたんでしょ?
     と言うことはぁ?」
(ハム)「そう!
     その通り!
     第50回慰霊祭を、記念して、
     改装されたんだって。」
(ペン)「そうなんだぁ。
     やっぱり、半世紀も経つとねぇ。
     色々なところが、傷んで来るんだろうね。
     でもさ。
     『特攻平和観音堂』が、綺麗になって、きっと、
     『鳥濱トメ』さんも、喜んでいるよね。」
(ハム)「うん!
     俺も、そう思うよ。
     全国からさ。
     様々な人々が、この地を訪れて、手を合わせて、
     平和の祈りを捧げている。
     『鳥濱トメ』さんの想いは、遺っているんだよ。
     だから、絶対に、『特攻の母』は、
     喜んでいると思うよ。」 Img_0632
(ペン)「ところでさぁ。
     ここに並んでいる石灯篭は、さっき、
     遠目で観たものとは、全く違うよねぇ。」
(ハム)「そうだね。
     形も、色も、全く違うね。
     とにかく、年季が入っているって、      感じだよね。」
(ペン)「一体、いつ頃の、ものなのかなぁ?」
(ハム)「運転手さんが、昭和の時代のものには、
     間違いがないって。
     石灯篭を、ぐるっと、回ってみて、
     建立日を確認しても構わないけど、今は、
     テントを張っているワイヤーが、      牽かれているから、
     それに、杭も打たれているから、危ないから、
     その行為は、避けた方が、良いかも、ってさ。」
(ペン)「あ゛~、確かに!
     こりゃぁ、危ないなぁ。」 Img_0633
(ハム)「それでね。
     こっちの、二つを見比べてみると、手前の方は、
     何も彫られていないけど、奥の方は、
     特攻の状況が、
     とても細かく彫られているでしょ、だって。」
(ペン)「ほんとだぁ。
     それは、やっぱり、ご遺族の気持ちが、
     違うってことなのぉ?」
(ハム)「そうみたいだね。
     それと、実際には、特攻の状況は、ご遺族には、
     詳しくは知らされていなかったんだ。
     だから、遺されたご遺族は、残った、
     他の特攻隊員とか、『特攻の母』から、
     状況を聴くしかなかったみたいなんだ。
     その差もあると、運転手さんは、言ってるよ。
     何せ、遺骨は、絶対に、戻っては、
     来なかったんだからさ。」
(ハム)「そうなんだぁ。
     そっか!
     そうだよね。
     遺骨は、戻って来られなかったんだものね。
     だから、遺書や、遺品が、
     とっても大事なものになったんだよね。
     悲しいよなぁ~!
     これまた、遣る瀬無いよなぁ~!」
(ハム)「それから、こっちの方の、石灯篭も、
     観て欲しいって。」 Img_0634
(ペン)「なんとなくだけど、こっちの方は、
     かなりスリムな感じがするよね。」
(ハム)「うん。
     同じく、昭和の時代のものらしいんだけど、
     さっきのよりは、新しいんだって。
     それで、地名、名前は伏せて、階級だけ、
     観て欲しいってさ。」
(ペン)「え゛っ?
     階級~?
     『陸軍 大尉』、かなぁ?」
(ハム)「そうだね。
     それで、運転手さんが、
     『死んで花実が咲くものか!』
     って、言っているんだけどさ。」
(ペン)「ん゛~?
     それって、どう言う意味なのぉ?」
(ハム)「あのね。
     特攻隊員は、結局は、死んでしまう運命に、
     あった訳でしょ。
     そうすると、死後に、二階級特進が、
     待っていたんだ。」
(ペン)「二階級特進~?
     と言うことは、この方は、少尉から、
     大尉になったってことなのぉ?」
(ハム)「そう言うことなんだけどさ。
     死んでしまった後に、二階級特進したってさぁ。
     ご遺族としては、納得ができたのかなぁ?」
(ペン)「あ゛~!
     そう言うことなんだぁ!
     納得なんて、できる訳が無いじゃん!
     生きていて、笑顔でいるのが、一番、
     良いに決まってんじゃん!」
(ハム)「そうだよね。
     だからさ。
     こちらのご遺族は、石灯篭を、建立するのを、
     随分と長い間、
     躊躇っていたんじゃないのかって。」
(ペン)「そっかぁ。
     そうなんだ。
     気持ちの整理がつくまでに、相当な、
     苦しみがあったんだろうね。
     ご遺族も、辛くて、どうしようもなくて、でも、
     『鳥濱トメ』さんが、
     『特攻平和観音堂』を建立して、それで、      やっと、
     踏ん切りが、ついたのかも知れないよね。」
(ハム)「あのね。
     ちなみにだけど、
     特攻隊員になった人達の階級なんだけどさ。
     陸軍では、現役士官は、
     陸軍士官学校と陸軍航空士官学校出身者で、
     少尉以上。
     予備役士官は、特別操縦見習士官出身者で、
     少尉以上。
     下士官は、陸軍少年飛行兵出身者で、伍長以上。
     なんだけどもね。
     その中でも、滅茶苦茶、
     多くの戦死者を出しているのが、      下士官なんだよ。
     つまり、『陸軍少年飛行兵』出身者が、全体の、
     70%弱も占めていたんだ。
     それで、陸軍は、一体、どうしたと思う?」
(ペン)「え゛~?
     どうしたって、どうしたのぉ?
     『陸軍少年飛行兵』出身者に、      対してってことぉ?
     言っている意味が、全く、解からないよぉ?」
(ハム)「あのね。
     『四階級特進』に、したんだよ。」
(ペン)「ええ゛~?
     よんかいきゅうぅ~?」
(ハム)「そうなんだよ。
     さっきさぁ。
     『特攻平和観音堂』の、右脇に、『歌碑』が、
     あったよね。
     そこにはさ。
     『少飛十四期 陸軍少尉』って、
     刻まれていたんだ。
     つまり、二階級特進では、伍長から、
     曹長にしかならないんだ。
     だから、『四階級特進』にすれば、
     少尉に特進して、士官になることができたんだ。
     ただし、『四階級特進』は、陸軍下士官で、
     航空特攻で、
     戦死した人に限られていたみたいだけどね。」
(ペン)「げぇ~!
     そんなぁ!
     そんなの、無茶苦茶、過ぎるよぉ!
     絶対、何かが、おかしい!
     青少年の命が、『四階級特進』?
     そんなの、何の意味も為さないじゃん!
     陸軍って、大馬鹿だったんじゃないの!」
(ハム)「そうだよね。
     全くの、大バカだったと思うよ。
     だから、運転手さんが、
     『石灯篭に、刻まれている文字を、できれば、
      しっかりと、読んでみてください。』
     って、言っていたんだよ。」
(ペン)「そうかぁ。
     そうだったのかぁ。
     石灯篭、一つずつに、ご遺族の、大変な想いが、
     込められていたんだぁ。
     それに、石灯篭、一つずつが、特攻隊員、
     一人ずつの人生を語っているんだぁ。
     だから、同じ様な形をしていても、ここに、
     ずらっと並んでいても、一つずつ、全く、
     異なっているんだぁ。
     そうとは知らずに、
     『同じ形』なんて言っちゃってさ。
     俺は、全く、ダメだよなぁ。」
(ハム)「おいおい。
     そんなに、自分を、責めるなよぉ。
     俺だって、運転手さんに、お話しを聴くまでは、
     全く、解からなかったんだからさ。
     おっと!
     もうちょっと、見学するところがあるみたい。
     だから、しっかりと、観て行こうぜ!」
(ペン)「うん!
     分かったよ!」
(つづく・・・。)
皆様、今日も、好い一日をお過ごしくださいませ!(^-^)/

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2018年8月 4日 (土)

『63年続いている、5月3日!』(T_T);

(薩摩半島 訪問 : その55)
(※注:平成30年 5月 4日(金・祝)の記憶です。)
おはようございます!(^o^)/
【63年続いている、5月3日!】(T_T);
(ペン)「あれれぇ?
     ここは、どこなのぉ?」
(ハム)「いきなり、『特攻平和観音堂』に、
     出ちゃったねぇ。
     運転手さん、迂回をするって言ってたけど、
     おデブ隊長の、
     車椅子が通れる路を探していてくれたんだねぇ。
     有難いよねぇ。」
(ペン)「そうだったんだ。
     運転手さん、いきなり消えちゃったからさ。
     どうしたのかと思ってたよ。
     おんやぁ?
     『観音の由来』~?
     ねぇねぇ、ちょっと、読んでみてよ。」 Img_0614
(ハム)「んもう!
     たまには、自分で読んでみたら?」
(ペン)「だってぇ。
     難しそうな字が、一杯、並んでんだもん。
     俺には、無理だよぉ。」
(ハム)「全くもう!
     しょうがないなぁ。
     えっとね。
     『  特攻平和観音堂
            観音の由来        太平洋戦争末期の沖縄戦において一千三六名       の特攻勇士が身を以って示された崇高至純の殉       国精神を顕彰し、世界の恒久平和を祈念するた       め、旧知覧飛行場跡地に特攻平和観音堂を昭和       三十年九月二十八日に建立し観音像を安置して       います。
 
       この観音像は大和法隆寺の夢殿に奉安してあ       る秘仏「夢ちがい観音像」を特別のお許しを受       けて謹鋳した一尺八寸(五十四センチ)の金剛       像です。
 
       知覧町では昭和三十年奉安以来毎年五月       三日、知覧特攻基地戦没者慰霊祭を挙行し、       御霊らの霊顕彰に努めています。
 
       尚、観音像の体内には特攻勇士の芳名を謹記       した霊名録が奉蔵されています。
 
              知覧特攻慰霊顕彰会  』  
     って、刻まれているよ。」
(ペン)「ふぅ~ん。
     『知覧特攻慰霊顕彰会』かぁ。      やっぱり、きちんとした組織があるんだねぇ。  
     それも、昭和30年からかぁ。
     と言うことはぁ、彼此、63年、経つんだよね。
     そうすると、会員で、
     もうお亡くなりになってしまった方も、
     いるってことだよね。
     でも、どこかの某団体と違って、きちんと、
     引き継がれて、続いているってことは、
     凄いことだよねぇ。」
(ハム)「そうだね。
     遺志を引き継ぐのは、考えや想いに、
     ずれが生じたりして、本当に難しいと思うけど、
     知覧の皆さんは、本当に、
     頑張っているんだねぇ。」 Img_0615
(ペン)「あんれぇ?
     運転手さんと、おデブ隊長、観音堂の方へ、
     行っちゃったよぉ。」
(ハム)「おんやぁ?
     ひょっとして、ここは、観音堂の西側?」 Img_0616
(ペン)「と言うことはぁ、『特攻平和観音堂』と、
     『知覧特攻平和会館』は、並んで、
     建てられているってことなのぉ?」
(ハム)「そうだね。
     そう言うことになるよね。」 Img_0617
(ペン)「ほう!
     こっちが、正式な入口なんだ。
     ひょっとして、運転手さん、
     近道を探してくれたのかなぁ。」
(ハム)「多分、そうだろうね。
     運転手さんも、ずっと、
     おデブ隊長の車椅子を押してるじゃん。
     流石に、疲れちゃうよ。
     そりゃぁ、近道を探したくなるよ。」
(ペン)「そうだよねぇ。
     それに、おデブ隊長、重た過ぎるものね。」 Img_0618
(ハム)「おんやぁ?
     運転手さんが、何か、お話ししているよ。
     えっとね。
     『お花が、まだ残っていますねぇ。
      これは、昨日の、慰霊祭の時に、
      献花されたものですね。
      えっと、
      ・『特操会(陸軍特別操縦見習士官)』
      ・『知覧特攻慰霊顕彰会』
      ・『南九州市』
      ・『鹿児島県知事』
      ・『南九州市議会』
      で、最後のは、字が小さくて、
      よく観得んですけど、まだ飾られていて、
      良かったですは!
      お客さん達が、今日(5月4日)、
      お観得になると言うので、       安心しとったんです。
      昨日だったら、目も当てられない。
      全国各地から、慰霊祭に人が集まって、
      身動きが取れなくなってしまうんですは。
      だけど、若干ですが、
      慰霊祭の雰囲気が残っていて、
      良かったですは!』
     だって!」
(ペン)「あれまぁ~!
     それって、超~、ラッキーだったってことぉ?」
(ハム)「そうみたいだね。
     昨日(5月3日)だと、本番だから、
     激混みだったんだろうね。
     それ以前だったら、会場準備とかで、それまた、
     混んでいたってことだよね。
     運転手さんが、
     『テントが、       (観音堂の前に)残ってますでしょ。
      あそこで、式典をするんですは!
      式典の時は、人が一杯で、テントに、
      一度入ったら、もう、抜け出せんですは!』
     って、言ってるからさ。
     本当に、日がずれて、
     ラッキーだったみたいだよ。」
(ペン)「それはさ。
     『きゃさりん副長。』とかは、
     知っていたのかなぁ。
     おデブ隊長の、計算だったとか?」
(ハム)「二人とも、全く、知らなかったみたい。
     事前の、調査も、何もしていなかったみたい。」
(ペン)「じゃぁさ。
     本当に、単なる、『ビギナーズラック』じゃん!
     『まぐれ当たり』じゃん!
     運が良過ぎるって言うかさ。
     驚いちゃうよねぇ。」
(ハム)「だけど、運転手さんはさ。
     きっと、おデブ隊長達が、5月3日を、
     外して来てくれたと思っているんだよ。
     だから、ここは、おとなしくして、
     黙っておこうぜ。」
(ペン)「わかった!
     りょっかぁ~い!」 Img_0619
(ハム)「あれれ?
     今度は、観音堂の中の、額の中に、
     『観音の由来』が、書かれているよ。
     それを、運転手さんが、説明してくれている。
     えっと、要点だけ、言うよ。
     ・昭和27年春、有志のご賛同を得て、
      『平和観音像』を建立した。
     ・同年5月5日 
      東京音羽の護国寺で開眼式が行われ、
      『特攻平和観音像』と名づけた。
     ・『特攻平和観音像』は、金剛像で、陸軍、海軍
      夫々一体を世田谷観音寺に奉安、
      陸軍の一体を知覧の地に、また海軍は、
      三宅島サタドウー岬灯台に奉安された。
     と言うことだそうだよ。」
(ペン)「あれまぁ~!
     『特攻平和観音像』は、二体あったのぉ?
     これまた、びっくり!
     だけどさぁ。
     そりゃそうだよね。
     陸軍だけって言うのは、
     何かしっくり来ないものね。
     陸軍と、海軍、それぞれ、
     一体ずつってことだよね。」
(ハム)「うんとね。
     実はぁ~、そうじゃぁなくって、
     『特攻平和観音像』は、四体、あるんだよぉ。
     運転手さんが、今、言い直してくれたんだけど、
     陸軍、海軍、それぞれ、二体、      謹鋳したんだって。
     その内の一体ずつを、さっきの、
     『世田谷観音寺(正式名:世田谷山観音寺
      (せたがやさん かんのんじ)
      ・通称:世田谷観音(せたがやかんのん))』
     に、奉安したんだって。
     だから、『世田谷山観音寺』では、
     『特攻観音堂』内に、『特攻平和観音像』が、
     二体、並べられて奉安されているんだって。
     ちなみに、その背後の壁には、金の菊のご紋が、
     着けられているんだって。」
(ペン)「あれま!
     早とちりだったね。
     そっかぁ。
     そう言うことかぁ。
     じゃぁさ。
     特攻隊員、全員の慰霊に、それも、
     陸軍と海軍の区別なしに行くならば、
     『世田谷観音』に、      行けば良いってことだよね。」
(ハム)「まぁ、そう言うことかな。
     だけどさぁ。
     やっぱり、実際に、特攻基地があった、
     ここ知覧と、世田谷とでは、気持ちの上で、      全く、異なると思うんだ。
     ここには、『鳥濱トメ』さんの、
     想いもこもっているんだもの。
     それはやっぱり、しっかりと考えて、
     認識しないといけないと思うんだ。」 Img_0621
(ペン)「ん゛~!
     確かに、そうかも!
     おんやぁ?
     運転手さんと、おデブ隊長が、
     動き出しちゃったよ。」
(ハム)「最後の、献花の名前の確認に行ったんだよ。
     ・『公益財団法人 特攻隊戦没者慰霊顕彰会』
     だって。」
(ペン)「あんれぇ?
     さっきさぁ。
     同じ様な、名前があったんだけどさぁ。」
(ハム)「『知覧特攻慰霊顕彰会』でしょ。
     多分だけど、
     『公益財団法人 特攻隊戦没者慰霊顕彰会』
     の方は、全国組織じゃないのかな。
     特攻隊員は、47都道府県、それに、
     樺太、朝鮮からも、加わっているからさ。
     全国組織は、どうしても必要だろうね。
     それに応じて、地方組織もあると思うんだ。」
(ペン)「ちなみにだけどさぁ。
     特攻隊員の、各都道府県別の、人数って、
     判るのかなぁ。」
(ハム)「ええ゛~?
     確か、『知覧特攻平和会館』の中に、
     表示されていたと思ったけど、それを、今、
     言うのぉ?
     本当に、しょうがないなぁ。
     特攻隊員の、総数は判らないけど、
     陸軍沖縄特攻作戦に限っての、
     戦死者数なら判るよ。
     ・北海道   35名
     ・青森県    9名
     ・岩手県   18名
     ・宮城県   27名
     ・秋田県    9名
     ・山形県   10名
     ・福島県   22名
     ・茨城県   25名
     ・栃木県   28名
     ・群馬県   24名
     ・埼玉県   22名
     ・千葉県   27名
     ・東京都   86名
     ・神奈川県  31名
     ・新潟県   17名
     ・富山県   13名
     ・石川県   17名
     ・福井県    8名
     ・山梨県    6名
     ・長野県   30名
     ・岐阜県   21名
     ・愛知県   43名
     ・静岡県   22名
     ・三重県   18名
     ・滋賀県   10名
     ・京都府   26名
     ・大阪府   35名
     ・兵庫県   28名
     ・奈良県    8名
     ・和歌山県  14名
     ・鳥取県    9名
     ・島根県    8名
     ・岡山県   26名
     ・広島県   28名
     ・山口県   20名
     ・徳島県   13名
     ・香川県   17名
     ・愛媛県   13名
     ・高知県    6名
     ・福岡県   43名
     ・佐賀県   22名
     ・長崎県   18名
     ・熊本県   20名
     ・大分県   25名
     ・宮崎県   20名
     ・鹿児島県  40名
     ・沖縄県    6名
     ・樺太     2名
     ・朝鮮    11名
     ・合計 1,036名(1,036柱)
     だよ!」
(ペン)「あ゛~!
     本当に、47都道府県、それに、樺太、
     朝鮮からも、特攻作戦に参加して、
     戦死者が出ているんだぁ。
     何てこったい!
     それにしても、東京都は、ダントツだよね。
     それに、40名超えの県が、3つもあるなんて。
     その内、2つは、九州で、福岡県と、
     鹿児島県だよ!」
(ハム)「まぁ、そうなんだけど、人数では、
     比較はできないと思うんだ。
     要は、日本全国、隈なく、
     特攻作戦に参加したってことなんだと思うよ。
     と言うことは、日本国民、みんなが、
     特攻作戦を知っていたってことにもなるよね。」
(ペン)「そっかぁ。
     そう言うことかぁ。」
(ハム)「あとね。
     福岡県には、『大刀洗陸軍飛行学校』が、
     あったでしょ。
     それに、鹿児島県には、その分教場の、
     『知覧飛行場』が、あった訳で、
     そう言う環境じゃぁ、どうしても、人数が、
     増えてしまったんじゃないのかなぁ。」
(ペン)「なんだかなぁ。
     日本国民、みんなが、特攻作戦を知っていた、
     だなんて!
     それで、戦死者が、
     出ていることも判っていたんでしょ!
     それはぁ、遣る瀬無いよなぁ。
     切ないよなぁ。
     悲し過ぎるよぉ!」
(ハム)「だからさ。
     こうやって、『特攻平和観音堂』を建立して、
     『特攻平和観音像』を奉安して、
     慰霊祭を行っているんだよ。
     俺達は、しっかりと、見学して、学習して、
     このことを、他の皆さんにも、
     伝えなきゃいけないんだよ。」 Img_0623
(ペン)「そうだよね。
     よく解かったよ。
     ところでさ。
     こっちにある像も、奉安されたのかなぁ?」 Img_0624
(ハム)「えっとね。
     運転手さんが、像の脇に、額があって、      その中に、説明書きがあるって。
     ちょっと、待って。
     あのね。
     こっちは、『観世音菩薩像』だって。
     『南都 大安寺 大佛師
      奈良市 石賀 正(悟山) 73歳』
     と言う方が、仏像を彫刻し、平成8年11月に、
     奉納したんだって。」
(ペン)「そうなんだぁ。
     皆さん、きっと、居た堪れない気持ちで、
     一杯なんだね。